イリオンとソロ3
イリオンが姿を消した後、ソロは再び遺跡内の探索を始めた。
イリオンを探しつつも、気になるものがあればすぐに手を伸ばし、思考を凝らす。
遺跡を歩いていると、地下へ通じる階段が、ひっそりと廊下の行き止まりにあった。
階段の下も、光が届いているのか、今いる階と同じくらいに明るい。
階段を降りると、一直線に伸びた道がソロの目の前に伸びていた。
壁には、人や動物などを描いた画が彫られ、謎の文字がズラリと記されていた。
「アース文字だ」
ふと見た文字に、見覚えを感じると、ソロはその文字の名を言った。
左右対称的な文字型。そのアース文字の一つ一つを読みながら、ソロは通路を歩いて行く。
「知それ即ち世界。知それ即ち宇宙。知それ即ち時空。知それ即ち生命。知それ即ち全。知それ即ち我……」
そのような文字の羅列がひたすらに続いていた。
この遺跡に住んでいた人々は、狂信なまでに知を愛していたのだろうか。
良く見れば壁画には、獅子や人間の他に、知の象徴であるフクロウや林檎も描かれている。
思えば、この遺跡も所々崩落はしているものの、今まで見て来た遺跡群の中ではほぼ完全に近い形で残っていた。
何数年の時、人の手を離れてもここまで残る建造物はそうそうにない。
この遺跡こそ、当時の人々が高度な知識と技術を持っていた確たる証拠だった。
しかし、好奇心に憑りつかれた少女には更なる疑問が浮かんだ。
「ここまで高度な文明が、一体何で……ん?」
考えているうちに、いつの間にか廊下の突き当りまで来ていた。
今までとは違い、一層豪奢な扉が目の前に堂々と立っている。
ソロは、その扉をゆっくりと開く。
扉を開いた時、その内部を見る前に少女に襲い掛かって来たのは、熱風だった。
閉じ込められていた暴れん坊が、溢れんばかりの元気を振るうように、音を立てソロに吹き荒れた。
熱風がおさまり、目を開くと、廊下と同じ黄金の道が奥の玉座まで伸びていた。
黄金の道の左右は崖になっており、その底には煮えたぎる溶岩の海が広がっていた。
「この場まで足を踏み入れるとは、何という愚か者であるか」
その声に前を向くと、玉座を囲む様に伏せているイリオンいた。床には、杖のような物が置いてあり、前足で踏みつけるようにして持っている。
イリオンは不機嫌そうな顔でソロを見つめながら、言った。
「何故この場にまで足を踏み入れた、小さき愚者よ」
先生に訊かれた生徒のように、ソロは答えた。
「町の人から頼まれたからです。この遺跡に住まう、旅人を襲う魔物を退治してほしい、と」
イリオンは、嘲笑うように笑みを浮かべた。
「言ったはずだ。愚かな者には死を与えん。知恵の無き者は価値がない。知識こそこの世を統べる志向の存在であり、知を持つ者こそがこの世界に愛される権利を有する。我が問いに答えられぬ者は、その死を与えたまでだ。良いだろう、貴様にこの問いをかけてみよう。もしそれに答える事ができたならば、我の命を差し出そうではないか」
熱風が谷底から髪を弄ぶ中、ソロはコクリと頷いた。
それを見ると、イリオンはいつものような出だしで、少女に訊いた。
「我が問いに答えよ。それは、この世で最も賢く、この世で最も愚かであるものだ。このものを、貴様は何と答える?」
「この世で最も賢く、最も愚か……?」
ソロがその言葉を繰り返すと、イリオンは頷いた。
ソロは眉間に皺を寄せた。
目を瞑り、考える。
…………
…………
…………。
最も賢く、そして最も愚かなもの……
長い沈黙が続いた後、ソロは目をゆっくりと開いた。
「答えは出たか、小さな愚者よ」
イリオンが訊ねると、ソロは静かに頷いた。
「では、答えを言ってみせよ。答え次第では貴様を屠り去ってくれようぞ」
「この世で最も賢く、最も愚かなもの――答えは人」
少女が答えると、イリオンは今まで見せた事のない表情をした。
ギョロリとした眼が飛び出んばかりに目を見開き、ソロを見た。
「この世界を生きる存在の中では、比類ない知識を持っているし、それを使ってこの遺跡みたいな高度な文明を発展させることもできる。知恵を自然に向ければそれをコントロールすることもできる。けど、それだけの英知を有していながら、ヒトは愚かだ。戦争は繰り返され、歴史は何度も繰り返される。危険だと分かっていても、ボクみたいに好奇心の赴くままにこの遺跡を進み、魔物を目の前に死と生の綱渡りをする人もいる。臭い言葉だけど、今ボクが君の問いに出せる唯一の答えはそれ」
ソロの声が空気に溶けるように消えると、それに代わるように、化物から小さな声が聞こえてくる。
「……がう。……ちがう、……違う」
その声は徐々に大きくなり、そして、
「違う、違う違う違う、チガアアアウウウウ!!!!!!!!」
イリオンは前足を思い切りに上げると、玉座にたたきつけた。
玉座は音を立て、粉々に砕け散る。
「違う! 人間こそこの世の志向の存在だ!! この世で最も賢い。この世の知を有し、全てを統べるに値する存在。そしてその人間たちの中で賢者たちのみで築き上げたこの国こそが頂点であり、それを統べた我こそがこの世界の玉座に君臨する存在なのだ!!」
魔獣は狂ったように地団太を踏みながら、自分に言い聞かせ、ソロをねじ伏せるように叫んだ。
「そしてその愚かな人間たちを、その種を超越した我こそが神なのだ!! この世界の叡智を統べた我こそが――」
その時だった。
イリオンが踏みつけていた地面は、一気にひび割れると、安定を失い崩れ落ちる。
急な崩落に、イリオンは動揺の声を一瞬上げるも、その声は崩れ落ちる瓦礫と共に途絶え、熱気の底へと消えて行った。
イリオンが落ちる際、魔獣が持っていた杖は宙に舞い、ソロの目の前に落ちていた。
ソロはそれを手に取ると、杖を上から下まで眺め見た。
緑色に淡く光る宝玉を加えた、フクロウを象った像が先端についている、細身の杖だ。
「叡智の杖じゃな」
肩に止まっていた小鳥が言うと、ソロはその言葉を繰り返し、小鳥に訊いた。
「叡智の杖?」
「2000年も前の話じゃよ。この国の真の名は、ノウ帝国。かつて栄えた大帝国じゃ」
小鳥は昔を思い返すように話した。
「ノウ帝国は、ありとあらゆる知を愛した。何の役に立つか分からない雑学から世界の大発見に至る知識まで、世界中に溢れる知識を集め、それを独占していた。ノウ帝国は、高度な知識を有し、それを用いて栄えた国じゃったからの。その恩恵たる知を愛する事は必然じゃった」
「知は力なり、ですね。というか先生、この遺跡の事、ご存知だったんですね……」
「お主があまりにも真剣に探索するもんじゃから、言うタイミングを見失っておったんじゃわい」
小鳥はそう返すと、話を戻した。
「ノウ帝国の王、イリオンは、ある時、世界中の知識を一つの杖に収めようと考えた。その杖を作り上げるまでに数年の時を費やした。そして完成したのが、その叡智の杖じゃ。叡智の杖は、訊かれるあらゆる問いに対し答えた。災害が訪れようとすれば、それを逃れる術を教え、戦が起これば、勝利への道筋を教えた。病が蔓延すれば、その治療法をすぐに教え、王家に裏切者の噂が立てば、杖に訊ねた。やがて国は、その杖に頼り切りになっていった。そして運命の時が来た。魔界への扉が開き、異世界からの侵攻が始まった時じゃ」
「"大災厄の時代"ですね」
その事件を示す歴史用語をソロが言うと、小鳥は頷いた。
「叡智の杖は、この世の事であればどんな問いにも答えを与える。しかし、異世界のこと、未知の事については答えを与える事はなかった。魔物の軍勢の侵攻に、諸国は互いに協力し合い、立ち向かった。しかしノウ帝国は、他国と肩を組むことは決してなかった。それどころか、どう立ち向かうのか、どうすれば生き残れるのか。それを考える術も忘れてしまっていたのじゃ。ノウ帝国は魔物たちに滅ぼされる最後まで、叡智の杖にすがり切りじゃった。もはや物申さないこの杖にな」
「考えることを、忘れてしまったんですね」
小鳥は少女の肩から飛び降りると、崩れ落ちた崖から、底を見下ろした。
「奴はわしと同じ賢知陣(:かつて地上で最も賢いとされた賢者たち)でな、奴は陣の中でも最も賢く優秀な賢者じゃった。しかし、排他的な性質に捉われ、魔物となった今でさえも過去に縋りつく愚か者であった。最後にお主に訊ねた問いは、あやつにとって最大の問いじゃったのだろう。恐らく杖に訊いたとしても、お主と同じ答えが返ってきたのじゃろうがな」
「…………」
ソロは杖を持ち、小鳥の横に立つと、杖を谷底に、えいっと投げ捨てた。
落ちて行く杖に、小鳥は少し驚いた顔をすると、ソロに訊いた。
「良いのか? あれがあれば、この世のことを全て知り尽くすことができたというのに」
その場を去ろうとするソロに小鳥が訊ねると、ソロは振り返って言った。
「良いんです、あれはボクには勿体ない代物です。それに、ボクみたいな小さき愚か者が、あの杖を使えば、滅ぶこと間違いなしですからね」
ソロがそう言うと、小鳥はクスッと笑い声を漏らして、皮肉そうに言った。
「愚者ゆえの賢者か」
それは誰にも聞こえないような、小さな独り言だった。




