少女達の意志6
ソロが気が付いた時には、その台詞は既に意思から離れ、放たれていた。
彼女の必死な思いは、手に取る程に伝わっていた。その上、彼女は騎士だ。そんな身の上にも拘らず、このように頭を下げたことは、彼女の願いが言葉以上のものであることを示すのに十分過ぎるものだった。
いつものことであれば、ソロもすぐに首を縦に振ることができたであろう。しかし、同情のような彼女に寄り添おうとする思いとは反対に、今までの彼女が、この帝国が行って来た事に対する思いが、火の粉を吹く石炭のように静かに燃えていた。
思考が言葉を選ぶより、その思いが先行してしまい、彼女に向けられたのだ。
ソロの言葉を聞くも、ほんの短い間であったが、リダイアはその頭を垂れたまま硬直した。
しかし、ソロには、その答えを聞いた彼女の見えぬはずの瞳が、見開いたように思えた。
リダイアの顔が上がると、ソロはその思いに任せるように、言葉を続けた。
「闇の勇者、セアを倒し、魔界の門を完全に封じることができた後、君たちはまた、理想の世界のために戦争を続けるのかい?」
ソロの問いに、リダイアの瞳が一瞬光ったように見えた。
その微動だにしない彼女の口が開く前に、ソロは返答を待つことなく、話を繋いだ。
「ここの国の人達のことも、世界のことも考えれば、赤の勇者である君と一緒にセアに立ち向かうことは間違いなく良い方法だ。
けど、その後は一体どうなる?
ボクがこの国を前に訪れた時、君たちは、"相反には力を持って制す"、と言っていたね。
魔界という脅威がなくなった後、もし君が国の人達の支持を受け、この国を導くことになったとしても、あるいは、そうならなかったとしても、この国は世界をまとめあげる日まで戦いをし続けるんじゃないのかい?」
「…………」
リダイアは視線を少し落とした。
ソロはようやく胸の内の火の勢いを弱まり始めると、その言葉の勢いも緩やかになった。
「ボクには、君の願いが、前にここの国の王がボクに言った事と同じように思える。ボクは、この国の為に一度だけ、ボクの中の掟を破った。関係のない人達を、たくさん、たくさん殺した。
ボクが君に協力して、そんな未来に繋がったのなら、ボクは間接的に同じ過ちを繰り返したことと同じだ。
だからボクは、君と一緒には戦えない。
分かり合えない人達に、力を振るっていく君とは、同じ剣は振るえない――」
その時だった。
勢いよく扉が開き壁に激突する轟音と共に、芯の太い怒声が空気を切り裂き耳に飛び込んで来た。
「もう我慢ならぬ!!」
突然部屋に入って来た巨漢の騎士、オルディウスに驚いたのは、ソロだけではなかった。
「オルディウス……?」
顔に水をいきなりかけられたような顔で、リダイアが言うも、オルディウスはソロに向かってズカズカと一直線に足を歩ませ、
「放浪の! 言わせておけば勝手な事を小さな口からグチャグチャと!」
「止せ、オルディウス」
リダイアが彼の口を制しようと言葉を挟むも、オルディウスはそれを振り払うようにリダイアに言い放った。
「いいえ、今回ばかりは言わせて頂かねば、気が済みませぬ!」
オルディウスはそう言い、すぐにまた、まだ驚きと戸惑いを帯びた顔をするソロに向かって、荒げた声を浴びせた。
「放浪の、貴様は何も分かっていない。確かに今までの扱いを受けた貴様にとって、今回の話は都合の良いようなものに聞こえたかもしれぬ。帝国に意を唱えることも騎士の懐におさめよう。
だが、この方を彼のように言う事ばかりは断じて許さぬ!
この国の民ではない貴様らにとって、この方は血に塗れた戦人のようにしか映っていないのだろう。
ある時は鬼と言われ、ある時は死神とも言われる。酷い場合では好戦狂という語が浴びせられる。
だが、この方は貴様らの描くのような無粋な御方では、断じてない!
貴様は、"分かち合えない者達には力を振るっていく"と、この方を言ったが、断じてそのような方ではない!
幼子の時、両親を人の手で殺められたリダイア様が、なぜ進んで力で人を制するというのか」
その言葉を聞くと、ソロの表情はハッとしたように変わった。
「両親を……」
俯くリダイアの表情に、昔の記憶が横切った。
異なる境遇といえば、異なる境遇に違いない。だが、ソロにとって、それはとても他人事のようには思えなかった。実の親の顔すらも分からず、親無しとして先生に出会うまでの心の空虚さ、絶望、そして、夜の森のような不安な世界に独り取り残されてしまったような孤独感。
その全てが、リダイアに重なった。
「戦争を勧められる陛下に対し、リダイア様は何としてもそれは避けたいと、他国とこの国が対立し合う度に交渉をギリギリまで続けられた。結果としては無念なものばかりだったのは確かだ。だが、戦場に向かう我等、そして敵兵の中に家族がいる者を思い、できる限りの戦いを避けようとし続けてきたのだ。
戦が終わる度に、戦死した敵兵や同士に誰よりも先に追悼を手向けておられたのも、この方だ。
敵国にて"子どもは決して殺すな。子どもと共にいる両親も絶対にだ"と命じる指揮官がどこに居られる。
リダイア様は知っておられたのだ。戦争に巻き込まれ、何もわからぬまま死していく子ども達を。無残に両親を殺される子どもらに刻まれる永遠の傷を。
敗北国民であり陛下に誓いを立てぬ隷属民は、この国の誰よりも蔑まれ、冷遇を受ける。そんな隷属民、そして貧しい者達に対して私産のほとんどを食糧や保護区運営の為に使われている騎士が他にどこに居られる。
雨に濡れた隷属民の子らに、自ら膝をつき、手を差し伸べる騎士がどこに居られる!
放浪の。貴様が我等に力を貸さずとも、我等騎士はそれを否定はしない。だがこの方を、心亡き戦人のように言う事だけは絶対に許さぬ!」
オルディウスの荒波のような声がようやくおさまると、リダイアは「もう、良い」と震えた声で言った。
リダイアの視線は、下を向き、その瞼は何とも言えないように、そして何かを隠すように、静かに閉じた。
ソロの胸の火は、すっかり冷めていた。
それに代わり、さっきまでの自分に対する恥と、目の前の少女に対する申し訳なさが同時に込み上げてきた。
「ごめん……、ボク、何も知らなかった。君のことを、君の本当の姿を……」
ソロが言うと、リダイアは横に首を振った。
そして、酷く静かでどこか柔らかい声調で言った。
「私は、私にできる限りの事をしてきただけだ。何も素晴らしい事をしてきたわけではない。
私がこの手で奪って来た者達のことを考えれば、不釣り合いにも程がある。
放浪の、私はもう、分からないのだ。
何が正しいのか、何が正義であるのか、何が善であるのか。
私は、戦の無い平和な世界へ導きたい一心で、ここまで戦って来た。しかし、どこかで疑問を抱いていたのも事実だ。戦で導かれた、戦の無い世界。戦場で倒れる敵兵や騎士達を見るたびに、何度もそれは私の心を揺さぶった」
リダイアは深く瞳を閉じると、ゆっくりとそれを開いた。
「放浪の。私は今まで自分の歩んできた道が正しいものかは分からぬ。しかし私は、別の道があるものなら、それを歩みたい。
聞かせてくれ、お前の見て来た世界を。そしてお前の行こうとする世界を」
リダイアが言うと、ソロは強く頷いた。




