賊王と賢者2
ペスカが収監されてから、何日経っただろうか。見張りの看守が定期的に見回りに来る事だけが、時の流れを把握する唯一の手掛かりであったが、面倒になって、数える事をいつしかやめてしまった。
相変わらず貧相な姿だが、案外体力はあるらしい。
碌な食事も与えられない、この監獄だ。そのうちにくたばってしまうものだろう、と思っていたが、強情な奴だ。
しかし、気にかかることが一つあった。
出会った時以来、ペスカには体力的な消耗が目に見えて現われることはなかった。看守たちに乱暴を受けることはあるものの、その体力はすぐに回復し、気が付いた頃には息切れすらなくなって、出会った時のように、ボーっとした表情を浮かべている。
虚ろなその雰囲気に、レオーネは、
「おい、お前本当に生きた人間なのか?」
ペスカはいつものようにゆっくりと顔を上げると、首を縦に振った。
この質問は何度かペスカに投げかけたが、その度にペスカは同じ回答をレオーネに返した。
時々レオーネは思った。こいつは既に死した亡霊なんじゃないのか、と。
今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気を纏った少女に不気味さを感じていたのはレオーネだけではなかった。
見回りに来る看守たちも、どこか怯えたような顔で少女に接していた。
殺されるのではないか、というレオーネに対するような怯えではなく、呪われはしないか、祟られはしないか、といったような、そんな怯えだった。
「チッ。相変わらず、気味の悪い女だ」
牢の扉に錠をかけ、看守たちがいつものように上へ繋がる階段へと消えて行くと、レオーネとペスカの長い2人の時間が始まる。
会話が始まるのは、いつもレオーネからの投げかけだった。
しかし、この日は違った。
「レオーネ」
か細い声が向かいの牢から聞こえてくると、レオーネは顔を上げた。
「……何だ?」
「貴方は、これからどうするの……?」
唐突な質問だった。
レオーネは一瞬答えに詰まるも、すぐに、
「決まってんだろ。看守共の寝首を掻いて、ここを出る」
脱出に使う小細工などは必要がなかった。
この地には元々、剣闘士や武闘士による戦い、コロシアムで栄えた国があったということは、知っていた。
その国のシンボルであった大闘技場。この監獄城塞が、それを元に作られたものであるなら、基本的な構造はそのままに遺っているだろう。
闘技場の構造などはたかが知れている。
看守たちに殺される心配などは気に留めてなどなかった。自身がここに送られた理由。それは、ここで処刑を行う為ではない。処刑することができないことが本来の理由であることは、レオーネにとって既知の事実だった。
世界を震撼させた大盗賊の討伐を目的としたあの戦いで、何故わざわざ、捕らえたその場で殺すことなく、このような場所に収監させることを選んだのか。
できなかった。
どんなに腕の立つ上級鍛冶師の打った剣や斧でさえ、レオーネの首の皮膚皮を斬り通すことが敵わなかったのだ。
大砲を受けても平然と立っていた男だ。銃弾でさえ、その臓器まで届くことはない。
レオーネ自身も、自身を裁くことをできるのはこの世にはいない、と自負していた。
そんな不死身の人間は、力の抑えることの敵わなかった悪魔を封印することと同様に、厳重な場所に縛り付けること以外手がなかった。
手枷も魔法の込められた特別製の金属が使われているらしいが、こんなものも、その気になればいつでも砕くことができる。
しかし、長いこと、脱出の機会を待ちすぎた。
強靭な肉体を持つレオーネには1つの不安があった。
ペスカとは異なり、食事はおろか、収監されてから水すら与えられていない。
体力は絶好調の時の半分もない。
この状態で、この牢獄を抜けられたとしても、その先の死の谷とドラ・ミュンデ山脈、そしてそのさらに先に広がる巨人たちの砂場が問題だった。
あの環境をこの状態で越えられるかどうか。下手に牢獄脱出時に体力を消耗すれば、その可能性は限りなく低いものになろうだろう。
「お前は、どうするつもりなんだ?」
ふとレオーネは少女に訊ねた。
「…………」
少女はしばらく沈黙する。
そもそもこんな景気の悪い顔をした女だ。ここで果てるつもりなのだろう。
自身の愚問に思わず笑うと、
「悪かったな。ここで朽ちる奴にする質問じゃあなかった」
「貴方は――」
ペスカの言葉にレオーネの顔から笑いが消えると、ペスカはもう一度言い直した。
「貴方は、あの山を越えられない」
「ハンッ。まぁ、出会ったばかりのお前には分からないかもしれねェが、俺は幾度となく苛酷な戦場、修羅場を切り抜けて来た男だ。今はこんななりをしているが、あんな山、その気になればいつでも――」
「勇者の力が、弱っている」
少女の言葉に、レオーネは言葉を止めた。
そして、少し怪訝そうな、そして驚いたような目をすると、
「今……、なんて言った? 勇者だと?」
レオーネが訊くと、ペスカは小さな首を縦に振った。
そしてまた沈黙が牢獄を支配すると、
「ブッ、ククク、ハハハハハハハッ!!」
レオーネの堪えられないというような笑い声が爆発した。
「ペスカとか言ったな。勇者の力だ? お前、見た目通り、頭の中はまだ子どもらしいな! 牢獄に閉じ込められた絶望で、ついに俺の事を自分を助けてくれる勇者とでも思い込んじまったのか!? こいつは傑作だぜ、ガッハッハッハ!」
その笑い声が次に止まったのは、それが壊れる音が鳴り響いた時だった。
金属が砕ける音。
レオーネはその音に辺りを見渡すも、それがペスカが砕いた手枷の壊れた音だと分かると、レオーネは声を失った。
ペスカは手枷の解けた片腕の甲をレオーネに見せた。
その甲に、淡い金色の紋様が浮かび上がると、レオーネに反応するようにゆらゆらと輝いた。
「貴方は、金色の勇者の力を受け継ぐ者、レオーネ・グランクリスタ。そして、貴方の人並み離れた強靭な肉体は、その力の影響によるもの」
「……」
レオーネは再び沈黙する。
その眼差しは、先程の小馬鹿にするようなものではなく、鋭い眼光を帯びてペスカを見つめていた。
ペスカに繋がれた手枷は、恐らく俺の物と同じ特別金属でできた手枷。
この女、まるでそれを土塊でできた玩具のように――
「で、俺はどうすれば良い?」
レオーネが訊ねると、ペスカは落ち着いた声で答えた。
「私の魔力を貴方にあげる。完全な状態にまで戻す事はできないけれど、あの山を越えられる程には十分な力には回復する」
ペスカは刻印の刻まれた手のひらを広げ、レオーネに向けると、金色の魔法陣が現われる。
ペスカが詠唱をすると、その魔法陣から、人魂の様な光がレオーネに向けて放たれると、レオーネの身体に溶け込むように消えて行った。
レオーネは、自身の身体を見渡す。
先程までの気怠さがない。
軽く腕を動かしてみると、手枷が脆く砕けた。
両手枷、そして足枷を外すと、レオーネは立ち上がり、首と腕をゴキゴキと鳴らした。
「どうやら、話は本当らしいな」
そして、牢の扉を蹴り倒すと、ペスカの牢の前に立った。
「礼は言わねェ。ここで俺とお前はおさらばだ」
レオーネが吐き捨てるように言うと、ペスカは動揺する素振りも見せず、従順そうに頷いた。
あまりにも呆気なく答えてきた為、レオーネは、ペスカに思わず訊ねる。
「……お前は、それで良いのか?」
ペスカは首を縦に振った。
「私は、賢知陣と呼ばれる者。勇者を導くのが私の役目。貴方をここから解放することだけが、金色の勇者を導く私の役目だったとすれば、私はそれで良い。私がここで死んでも、次の賢知陣が選ばれ、貴方の元にやって来る」
「…………」
目の前の男が、牢の扉を殴り壊すと、ペスカは初めてその表情を動かした。
少し目を丸くし、その目はレオーネを見上げた。
「気が変わった。立て。ここを出るぞ」
ペスカのもう片方の手枷と足枷を砕き、強引に細い腕を取って立ち上がらせた時だった。
「お前、その足……」
ペスカの足元に目をやると、ひざ下から先が力が抜けたようになっていた。
傷だらけのその足には、もはや歩く自由はなかった。
「まさかとは思うが、俺をここから解放する為だけに、あんな山を越えて、こんな所まで来たのか?」
ペスカは、レオーネから目を逸らした。
嘘をつくのは下手くそらしい。
レオーネは大きくため息をつくと、ペスカを片腕で抱き上げた。
驚くペスカを肩に乗せると、
「大人しくしてろよ。下手に騒いだら、すぐに落とすからな」
ペスカの返事を聞くこともなく、レオーネは前を向くと、そのまま一気に駆け出し、牢を後にした。




