十一章「それぞれの特訓」
久しぶりに続き書きます。2~10章も大幅に加筆訂正(というか全面書き直し)行なっております。
「おねがいします!」
専用室内練習場で、コーチに向けて研二は声をあげた。
木製ノックバットが音を立て、鋭い打球は足元でショートバウンドした。もちろん狙って打っているのだ。すかさずすくい上げるようにグラブで捕球してすぐに送球する。
「遅い! 最初の一歩がまず遅い! もっと打球に対してすぐに反応するように。それに捕ってから投げるまでの動作がまだまだスムーズじゃない! 考えるより先に体が動くようになるくらいにするんだ」
「はい!」
コーチの言葉に応えると、
「どうやったらそうなれるか、それは考えることだ! 考えて考えて、頭の中で何度も何度も繰り返してイメージを持ち、そして実際に体を動かして自分の頭の中にある理想のイメージとの差を縮めていく。そうすることによって動作は完成し、実際に体を動かすときには何も考えなくても良いようにするんだ! わかったか」
「はい!」
本音を言うと、わかったような、わからんような。
甘中との練習試合の翌日から、薫子の紹介で研二は常南から電車でふた駅離れた野球教室に短期コースで通い始めていた。
「コガケンはある程度出来上がってるからな。あとはそれをもっと上のレベルへ押し上げること。そのために第三者に見てもらって分析してもらうことだ。アンタは理詰めで言われた方が納得できるタイプだろ?」
確かに、今まで自分ができていると思っていたプレイがまだまだだったり、逆に未熟と思っていた部分を褒められたりと新たな発見が多かった。
「よしじゃあ、次はキャッチいくぞ」
これは薫子の要望で、研二の練習メニューには内野手としての守備とバッティングに加えて、キャッチャーの練習が加えられていた。
ひょっとして山田先輩が引退したあとのキャッチャーを託されるのか? 引退したあとでも試合見に来て怒られそうで嫌だな、などと思う。
防具をつけ、ピッチングマシーンの前に構える。あとでコーチが体が空いたらピッチャー役をしてくれるのだ。やってみるとピッチャーと味方として向き合うというのはなかなか面白いものであり、将来的にはありかも、などと思う。先輩の後釜を狙っているユーカには悪いが。
早乙女優華は常南小学校の校庭で小学生に混じって練習していた。
「もっと腰落として、グラブは体の正面! 何度言ったらわかるんだ!」
「すいません!」
内野のノックを小学生二人と一緒に交代で受ける。彼女は自分の順番を待つ間にも他の子の動きを見て勉強していた。小学生なので、ユーカよりも下手な子もいるしうまい子もいる。そのどちらにしても参考になる点は多いのだ。彼女にはちょうど、レベルが釣り合っているということである。
暗くなり、ボールが見えなくなって練習終了。片付けの後、集合すると監督から週末の練習試合について伝えられる。相手チームにも無理を言って、中学生のユーカも試合に出させてもらっている。
チームによりけりではあるが、少年野球は試合数が多い。公式戦もそうだが、ほぼ毎週末は練習試合である。それも、多い時には一日に三試合やることもある。
小学生相手とは言え、試合経験は確実に彼女を成長させていた。いわゆる、場数を踏んだのである。
「じゃーね。またあした!」
ユーカはチームメイトに手をふる。相手も、じゃーねユーカ! と手を振り返す。すっかり小学生に馴染んでいる中学生。
「次の試合は絶対にヒット打つぞー!」
家まで走って帰れば少しはトレーニングになるはず、とエナメルバッグをガチャガチャいわせながら帰路につく。放課後と週末、小学生に混じって野球をするのにも慣れた。
少しは自分も上手くなったのではないかと思う。特に守備だ。もう初歩的なエラーはしない自信がある。
早く本来のチームメイトと合流して練習や試合がしたい、という思いとともに、こうして何度も試合ができる現在の状況も楽しかった。もっと早く、小学生のうちに野球を始めていればと後悔する。
「ううん。後悔先に立つべし、って言うもんね。過ぎたるはお呼びでないナントカ。 ……よーし、立つべし、立つべし!」
謎の格言を連呼しながら、何故かシャドウボクシングをしながら自宅アパートへ走る中一女子。すれ違う近所の人々の視線が生暖かいものであったのは言うまでもない。
早川琴音は、自宅の弓道場で矢をつがえた弓の弦を引き絞っていた。
自宅の弓道場、である。
常南という町は太平洋に面した海岸から離れ、この県の最も大きな山脈からも離れた、要はまん中の平地にある。平地とは言えもちろん起伏はあり、小さな山もあるのだが、そのうちの一つに標高100メートル足らずの早川山、というものがある。
その山は個人が所有する土地であり、その広大な敷地の頂上付近には豪奢なお屋敷が建っている。元々は明治時代の建築で、新築時点でも和洋折衷の建物だったのだが、時代を経て増築や改修を進めるうちに和洋が溶け合うような絶妙のバランスで混在する、他に類を見ないような物となった。
現在の所有者、早川篤文氏の財界での地位の高さも併せて、その建物は県内だけでなく全国的に有名なものとなっている。
その早川邸の敷地内の弓道場で、琴音は久しぶりに弓の稽古に励んでいた。
親の方針と本人の希望もあって中学までは公立に通い世間を知る勉強をしている彼女は、現在所属している野球部での活動を大切にしていた。
チームメイトたちと野球ができるのもあと一年足らず……いや、もし次の試合で負けてしまったらそれでもう後はないのだ。
絶対に、負けるわけにはいかない。
私が……嫌な言い方だというのは十分承知の上だけれど……『庶民』でいられるのはあと少しだけなのだから。
自分が現在取り組んでいるスポーツから離れ、自分自身と向き合って精神力、集中力を磨き直すために幼い頃から親しんでいる弓を手にとった。
塵一つない冷たい床を踏みしめる両足、的を見つめる瞳、狙いを定めるために落ち着いた呼吸を繰り返す全身が、清浄な道場の空気を吸い込んで弓矢と一体になるかのように構えている。
そして、どこまでも静謐な心が矢を放った。
狙いは違わず、的の中心に矢は命中する。
「絶対に、負けません。私たちは」
琴音はひとり、つぶやいた。
「アウト、ですわ」
金剛丸小鳥は右手をあげ、そう告げた。
「ええ! 嘘でしょ今の完全にセーフじゃない」
ライト超えのヒットを打って二塁ベースへ滑り込んだ選手が抗議の声をあげる。胸には『Joh Nan』と刺繍が入っている、常南中女子ソフトボール部のユニフォームである。
そうよそうよと常南ベンチの他の選手からも声が上がる。
場所は常南中の校庭、女子ソフトボール部の練習試合中である。
「タイムお願いします!」
ベンチから出てきた滝澤が言う。野球部のサポートをしてくれているソフト部員である。
「小鳥、真面目にやって。約束でしょ」
他の人には聞こえないように言う。
「良いではないの? 今の当たりなんてただのまぐれ、あんなスイングで打席に立つこと自体がアウトですわ。それもシングルならまだしも欲をかいて二塁まで進もうとするなんて、見苦しいですわ」
涼しい顔で小鳥は言う。いくら注意してもユニフォームの帽子をかぶらず、ウェーブのかかった綺麗な金髪をそよ風になびかせている。
「もうひとり、野球部の助っ人が欲しいんでしょ? だったら真面目にやって。監督や二年の先輩に睨まれたら私たちだって野球部の試合に行きにくいんだから。そんな調子じゃ、私もサポート入れなくなるよ?」
少々の脅しも込めて滝澤が言うと、それは困るですわと小鳥は顔色を変える。
「でしょ。じゃあ、ちゃんとして。はい、帽子もかぶって」
と、Jの刺繍の入った帽子を手渡す。
「わかりましたわ……」
渋々と帽子を被る小鳥。
「それと髪、くくらなくて良いの? ヘアゴム貸してあげよっか」
それは断固おことわりしますわ、と退ける。
「そう。まあいいけど……すみませーん、もう大丈夫です」
たたた、とベンチへ戻る滝澤。彼女はレギュラーではない。他にも何人か補欠の一年生が居る。その中からもうひとり、次の試合で野球部のサポートを貸してほしいと小鳥はソフト部へ頼んだのだ。その交換条件として、試合までソフト部のサポートをしている。
選手として試合に出るだけでなく、こうして練習試合の審判もしているわけだが……。
「つまらないですわ。せめてプレイするならまだマシですのに……」
こんなレベルの試合を見て、審判などしたところで何もプラスにならない。早く終われと小鳥はずっと思っていた。
ああ、またランナーを出してしまった。ヘボなピッチャーだこと。また二塁審の仕事が増えるですわ……。
思ううちに、ふたたび二塁へとランナーが到達。またもクロスプレー、かなり微妙なタイミングだ。
「ジャッジメントですわ!」
小鳥は声を張り上げた。
常南中学の裏手に、吉田山という小さな山がある。中学の敷地ではないし、はっきり言うと何の関係もないのだが、近いという理由だけで常南中の生徒からは『学校の裏山』として親しまれている。
その斜面を全速力で駆け上がる、ジャージ姿の女子ふたりが居た。
まっすぐな黒髪をポニーテールにまとめた大柄な女子、山田薫子とほっそりとした長身の女子、桜井まりんだ。常南中野球部のバッテリーが裏山をダッシュで駆け上がっていく。吉田山は頂上に小さな神社もあり、簡単に道が整備されているのでこうしたトレーニングも行ないやすい。
「はあ、はあ……。どうだまりん、まだ行けるか?」
頂上に着いて息を切らした薫子が言う。既にもう五回目の登山ダッシュである。
「……大丈夫。薫子こそ、もうキツいんじゃない?」
細身の体に似合わず、桜井は薫子より平気そうな顔で言う。
守備の要であるバッテリーの二人はスタミナ強化をメインに取り組んでいた。次の試合、桜井まりんがどれだけ開明打線を抑えられるかが重大な鍵の一つとなるのは間違いない。球数を抑えたピッチングができるほど甘い相手ではない。ならば全力で七イニングを一人で投げきるだけの持久力を身につけるしかない、と桜井が言い出してこの特訓が始まった。
「よし、さすが相棒。じゃああと二本行こうぜ!」
小走りに山道を降り始める。呼吸を整えながら下まで行き、また全力で駆け上がるのだ。
「……三本行こう」
そうしてその後三回のダッシュを終え、下山した二人は中学へ戻る。今日はグラウンドでソフト部が練習試合をしているので敷地の隅、プールの脇の空きスペースを使わせてもらうのだ。
「おーカレン! がんばってるな」
プール脇で一人、黙々と素振りをしている女子。柔道部一年生で野球部のサポートをしている梨田花蓮だ。
「山田先輩! 下の名前はカンベンしてほしいっす」
薫子をひとまわり小さくしてもう少し筋肉量を増やしたような体型で、いかにも恥ずかしそうに顔をしかめる。
「そうか? じゃあナッシー。守備練しようぜ」
「ナッシーって……。押忍、それでいいっす。お願いします!」
バットを薫子に渡し、代わりにミットを左手にはめる。
軽くノックして、その後バッテリー二人で投球練習。ナッシーは桜井の左側の離れた位置に立たせる。
桜井のストレートがミットに勢いよく飛び込むと、座った姿勢のまま薫子は素早く右手にボールを握り、鋭い送球をナッシーに。ファーストミットをはめている彼女は難なく受け止めた。
「さすが山田先輩っす! 打球よりも重いっす!」
場所が狭いので正確ではないが、彼女を一塁の位置に立たせている。次の試合、薫子は自分の牽制で確実にいくつかはアウトを取るつもりだった。そのため、一塁ランナーの油断をつく、投球後の送球を練習しているのだ。
「絶対に、負けらんねえからな」
薫子はつぶやき、ナッシーは押忍! と応える。
当然、と口の中で小さくまりんは呟いた。




