九章「トリック オア リリーフ」
野球に関しては自分でやるのはもちろん、TVで見ることすらしないので、数々の間違い、勘違いがあるかと思います。それを正してくれる人が現れるくらい、この小説を読んでくれる人が増えると良いのですが……
まあ、無理かな。別にいいけど。
三回裏、先頭バッターは一番の金剛丸小鳥。今度は左打席に入る。相手のピッチャーは少し意外そうな顔をしたが、今更この程度で驚くまいと思い直し、勢いのあるボールを投げ込んでくる。
一球目、二球目と続けてストライクゾーンへ。小鳥はまるで打つ素振りも見せずに見逃す。三球目は外角へ外れたボール球。そう言えばこのピッチャーはまだ一球も変化球を投げていない。一年生だし、まだストレートしか球種がないのかもしれない。
四球目を小鳥はカットでファールにした。
五球目もカット。次は見逃してボール。
それから四球連続でファールにし続けた。
更に三球カット。ワンバウンドになってしまった投球でスリーボールとなり、そこからまたカットしてファールが五球も続いた。
いつになったら終わるのこれ?
全員がそう思っていた。何しろあからさまなボール球もカットしてしまうので、相手ピッチャーからしてみれば嫌がらせだ。もうフォアボールで良いのでやめて下さいと言いたいだろう。
結果、キャッチャーの頭上を越える大暴投でフォアボール。相手に同情しかけた研二だったが、いやいや三点負けてるんだこっちは、と気持ちを切り替える。ベンチを見ると、エンドランのサインが出ていた。ちなみにサインを出しているのは桜井まりんであり、本来その役目の監督はベンチで居眠りを始めていた。どうせ起きててもサインを知らないので結果は同じであるが。
小鳥はかなり大きくリードをとっている。彼女の脚を警戒して鋭い牽制球が来るが、滑り込むこともなく簡単に彼女は一塁へ戻る。三回まで試合が進んでいるのに彼女のユニフォームは全く汚れていない。
ピッチャーの足が上がり、一球目。またも小鳥は神がかったタイミングで二塁へと走り出す。球はストライクゾーン、内角への厳しい球。さっきあれだけ投げさせられたのに、実に良いボールである。
研二のやや苦手なコースだが、当てて転がすくらいなら何とかなる。小鳥の脚ならアウトは有り得ないだろう。打球はやや二塁ベース寄りのショートゴロになった。研二は一塁に向けて全力疾走。
走りながら、まさかと思いながら横目で見ると、やはりというか何というか、小鳥は二塁を勢いを全く殺さずに駆け抜けていた。またも三塁を狙っているのだ。
捕球した遊撃手は少しだけ迷った素振りを見せたが、すぐに三塁へ送球した。まだ塁まで半分以上を残している。さすがの小鳥もボールより早く到着できるはずがない。三塁手の構えたグラブに白球が収まり、金髪をなびかせてフルスピードで走ってくる彼女にタッチの手を伸ばす。
次の瞬間、小鳥が消えた。
「上だ!」
と、誰かが叫んだ。
グラブを突き出した三塁手の頭上を、体操競技のようにくるくると回りながら金髪少女が宙に舞っていた。そのままきりもみ状の回転で三塁ベースに着地する。その背後にはまるでアホのように誰も居ない空間に向かってタッチの体勢をとり続けている三塁手。
「じゅってん、ですわ!」
両手を広げてまさに体操選手のようにベースの上に直立する小鳥。放っておいたらY字バランスとかやり始めそうである。
「まったく、めちゃくちゃやな」
その隙に二塁まで進塁していた研二は呆れ顔で言う。
続くバッターは三番ピッチャー、早川琴音。
右バッターボックスに入った彼女はバントの構え。研二は驚いた。
あれ? スクイズのサイン出てたか?
ベンチを確認するがサインはなし。つまりは選手の判断でのバントということか。
三塁の小鳥は当然のような顔をしているが、ほとんどリードはとっていない。何をするつもりなのか、研二は困惑した。
一球目をバントで一塁方向へ転がす。一塁手が前に出てボールをつかむと、そのタイミングで小鳥は猛スピードでホームへと走った。
常識で考えたら完全にアウトのタイミングである。
しかし、ここまで非常識なプレイをし続けてきた彼女の行動は予測不可能であり、一塁手は自分のつかんだボールをどこへ投げるべきか迷った。
ホームか、一塁か。普通なら一塁だが、あからさまにアウトのタイミングでホームを狙うランナーを見逃すのも心理的に大きな抵抗がある。絶対アウトにできるはずだ。さっきみたいにジャンプしたところで、キャッチャーがベースをブロックしておけば……
そう長い時間ではなかったが、内心の葛藤を経て彼はホームへ送球した。そのモーションが始まる一瞬前に小鳥は反転して三塁へと戻った。
……なんか、さっきから見てるとこいつ予知能力でも持っとるんか? 研二はまた呆れる。
結果、全てのランナーがセーフとなり、ノーアウト満塁でバッターは四番・山田薫子。
そして、点差は三点である。ここでホームランが出れば逆転だ。
「しゃあ!」
気合の声をあげて薫子は打席へ。
ここで甘中ベンチが動いた。一日監督の三年生が主審を務めている儀賀監督に告げる。
「ピッチャー交代お願いします、柏田が入ります」
かしわだって誰だ、と常南メンバーは思う。相手チームは、マジですか、いいんですか監督、と軽く騒ぎになっている。誰なんだ?
マウンドに上がったのは交代を告げた本人、監督役の三年生だった。投球練習はおろかウォーミングアップもしていないが、わずか数球の投球練習で勢いのあるボールがミットに飛び込んでいく。
キャプテン、山田さんだったねと儀賀先生がバッターボックスを離れて投球練習に合わせてバットを振る薫子に声をかける。
「柏田はウチのエースだよ。全国のマウンドも経験している彼が、どうしても君と対戦したいんだそうだ。少々反則気味かもしれないが、そちらもトリックプレーが得意なようだし、大目に見てやってくれるかな?」
薫子は、特に驚きもせずに応える。
「いいっすよ。なるべくスゲーピッチャーとやった方が練習になるんで」
と言い、バッターボックスにリラックスした表情で向かう。
女子にしておくにはもったいないな、と儀賀は思った。逆に考えれば女子野球に進めば相当なところまで行くのでは、とも思うがそれでもやはり惜しい、と思ってしまう。プロを頂点とした日本の野球競技は男子のものだ。女子の野球は、はっきり言ってマイナースポーツ。同じ競技だというのに天と地ほどの差がある。こればかりはどうしようもない事実だ。そして女子選手が男子と一緒に公式戦に出られるのは中学まで。来年引退したら彼女はもう、実質的に日本の国技であると儀賀が勝手に思っているメジャーなスポーツである『野球』の公式戦には出られないのだ。
どれだけすごいプレイヤーであろうとも。
慎重にマウンドの足元をならす柏田。三年間彼を見てきた儀賀にはよくわかる。強打者を前にして高揚している、その胸中が。
おおきく振りかぶったワインドアップ。三塁ベースに足をつけたままだった小鳥が顔色を変える。
何ですのこの男、ランナーがいるというのに……まあ、確かにわたくし走る気はないけれど。
左足が高く上がり、全身を大きく使ったダイナミックなフォームから放たれるボールは、文字通り唸りをあげてキャッチャーミットに収まる。一年生選手では取るのも少し怖そうなほどだ。
「ストライク!」
コースは、ほとんどど真ん中。球種はストレートである。しかし薫子は手を出さなかった。いや、出せなかった。ただの真っ直ぐではない。球が生きているようにぐうっと伸びてくる。
バッターの体感的には上に跳ね上がってくるようだ。
「……これが全国か。燃えてきたぜ」
薫子はほんの少しバットを短く持った。いつもどおりの自然体のフォームで構える。
二球目、真ん中低めへストレート。ライト方向へファール。
自分の打球の感触を確かめるように薫子は再びバットを握り直す。グリップはいつもどおりの位置に戻した。ミートだけでは力負けすると悟ったのだ。
そして三球目、柏田は遊び球なしでストライクゾーン低めへ投げ込んできた。薫子のバットはそのボールを捉えられずに空を切った。
「ストライーク、バッターアウト!」
嘘……山田薫子が三振? 二年生の二人は初めて見た光景に唖然とした。
続く五番バッターの桜井は、セカンドゴロを『打たされて』ゲッツー。ノーアウト満塁のチャンスを活かせず、無得点でチェンジとなった。
やはり強豪校は選手層も厚い。改めて思い知らされた常南中野球部だった。
ガクッと頭を振って富士川あずきが目を覚ました。
「あれ、どうしたんだみんな。 ……ひょっとしてもう負けちゃった?」




