~一時限目:天空の孤龍~
「それでは、出発といたしましょうか」
「それでは、じゃないけど」
結局一時間かけてできたことといえば情報の整理だけ。整理はできていても心構えは完成していないのだ。しかし、アスカのそんな心情を知ってか知らずか。ジアは微笑みながら、
「第一ゲート、『時空固定』。第二ゲート、『時空開門』……さぁ、行きますよ」
強引に彼女の手を取り、走り出した。そして、ふたりは教室の壁へとぶつかり―消えていった。教室には、壁へ向けてペコリ、とお辞儀をするドッペルだけが残った。
「第三航路、『次元転移』……さぁ、つきました。ここがワタシの世界ですよ」
……あやうく、失神するとこだった。心臓に悪いことはあまりしないでほしい。アスカは抗議の一つでも言ってやろうと顔を上げた。
「あのさ、っ!」
目を疑った。目の前には広がる視界いっぱいに敷き詰められた緑の絨毯。それが波打つように揺れる丘陵の大海。丘を通り抜ける風にはアスカの嗅いだことのない不思議な青の匂いが漂っていた。
「……すごいね」
「えぇ。ここはこちらの世界でも有名でしてね。アーベル高原と言いまして、穏やかな風が絶え間なく流れていくことが特徴ですね」
ジアは手帳のようなものをペラペラしながら話す。その間もアスカはその風景に浸っていた。ある程度興奮も落ち着いてくると、遠くに見える白い棒のようなものが目に入る。アスカは手帳を眺めるジアの方へ顔を向ける。
「ねぇ。あれ、あの白いやつって何?風車に見えるんだけど……」
「おや、目ざといですね。アスカの言う通り、あれは風車のようなものです。まぁ、用途を考えるとアスカの世界の風車とは少し違いますが」
そういってサワサワと音を立てる緑の海を、ゆっくり歩いていく。アスカも遅れないようにその後をついていく。……っていうかさらっと呼び捨てしたよね。
「いいではないですか。なんか生徒と先生、って感じしません?」
……アンタの中の教師像はちょっとズレてるんじゃないかな。ま、呼び捨て自体はいいんだけどさ。ジアはそんなアスカに対し、肩をすくめて見せる。
少し歩くと、その白い棒が大きく見えるようになってきた。
「おー……なにあれ、村?」
「町と言ったほうがよいでしょうかね。ここみたいな町はこの高原にいくつか点在しているのですよ」
へぇ。アスカの目の前には丘を越えたところに作られたたくさんの家屋が並び立つ集落が映っていた。その町をちょうど三角形に囲むような形でさっきの白い棒が地面に突き刺さっていた。
「やっぱり風車にしか見えないけど……」
「そうですね。ここで解説を挟むといたしましょう」
そういって指をパチンと鳴らすと、虚空からホワイトボードがボフッと落ちてきた。……もうなんでもアリだな。
「一度やってみたかったんですよ、こういうの!」
かっこよくない?みたいな眼差しで見られましても……。アスカは白けた目でそれを見つめ、
「あぁ、うん……かっこいいかな?」
とりあえず褒めて(?)おいた。ジアは「そうでしょうそうでしょう」と言いながらウンウンと頷く。子供か、と思ったが見た目年齢的には自分と比べても若いほうだと思った。言葉の端々から滲み出るオーラというか雰囲気みたいなものが年を誤認識させてるのだろうか。
「それでは第一回、幻想学の講義を始めます!」
パチパチパチ
セルフ拍手である。
「……では、あの風車のようなものについて解説させていただきます。あれは魔風計といいます。主にここ、アーベル高原で運用されている魔法具の一つです」
少しだけ悲しそうに、ホワイトボードに先ほどの風車を描いていく。字だけじゃなくて、絵もけっこう上手いな。
「ありがとうございます。あの魔風計というのは用途が二つあります。一つ目は風に乗ってやってくる風素という魔粒子を羽の部分で捕まえ、根元の部分に設置してある魔石という物質に蓄えることです」
「風素?魔石?」
いきなり専門用語が飛び出し、アスカは少し首をかしげる。ジアは心得ているようで、それらについてもしっかりと解説をした。
「風素の前に魔粒子について説明しますね。魔粒子とは名の通り、魔力の宿る粒子です。魔粒子が集まり、魔力となり、それで魔法を扱うのです。魔粒子のいくつかは自然に存在します。そして自然に存在する魔粒子には意思があります」
「……ただの粒子なのに?」
「えぇ」
そこでいったん手を止め、ジアは目を閉じて何かに集中し始める。と、その時
キャッキャ、フフッ……フフフッ
空耳かと勘違いするほどの、けれど透き通った声が鼓膜を刺激する。それと同時にジアの周囲を緑色の光―ホタルのようなものが舞い始めた。
「……これが魔粒子です。粒子とは言いますが、これらは立派な幻想種、マナ精霊と呼ばれるものです」
ジアが光に触れるとくすぐったそうに動き回る。すると、その中の一つがアスカの方にやってくる。ふわふわと浮きながら、アスカの事を観察しているようだった。アスカはどうすればよいか迷っていたが、人差し指を光の前に出し、ゆっくり動かす。すると、光はその動きを真似するように右へ、左へ惑う。
「本当に意思があるんだね」
「えぇ。彼等は気づかないだけで割といろんなところにいます。そして魔石というものですが……」
ジアは懐からくすんだ石を取り出し、さっきの光の前に出す。すると、さっきの魔粒子が石の中へと吸い込まれていった。その石はさっきまでのくすんだ色ではなく、透き通る緑色をしていた。
「これが魔石です。先ほどまでのくすんだ色は空っぽの状態という感じでして……基本は魔粒子を取り込んで使うものです。とりこんだ魔粒子の属性、性質によりこのように色が変化するのですよ」
「……さっき意思があるって言ってたけど、これは囚われてる、みたいな状態じゃないの?」
アスカはさっきの光を指先でつつきながら、ジアの方に目だけを向けていう。ジアは「なるほど」と呟き、少し腕を組み考えているようだった。
「……確かに、その認識でいくと囚われてるということになります。しかし、魔粒子ことマナ精霊は意思はありますが、自我はありません」
近くに寄って来た光を手に乗せつつ、アスカの問いに答える。自我?どういうことなの。
「単純に言えばこうすれば反応しますし、彼らの種の中には特定のモノには近寄らないといった性質を持つものもいます。しかし、それは彼等自身がそう思っているわけではなく、世界にそうあれと定められているのです。ですので個体差というものは存在しない、筈です」
ゆっくりと掴むような動作をすると光はススッとそれを避ける。……つまり、ロボットみたいなものなの?
「その認識で間違ってないんじゃないでしょうか。ですので、この魔石に吸い込まれることも定められた役割の一つと考えることができます」
そう言うと、もう一つ懐から取り出したくすんだ魔石をさっきのように光へと使い、緑色に変わった魔石を作る。
「ちなみに、これは風魔石というものです。風の力を宿した魔石で、先ほどの魔風車ではこれを作っているのです。用途は様々で、主に魔道具の構成核となります。しかし、これ単品でも簡単な風を起こすことができます」
試してみましょう、とジアはアスカにその石を手渡す。え?どうすりゃいいのさ。
「あなたの場合は魔力が通っていないので、手で握るだけで発動すると思いますよ」
本当かね…。アスカは半信半疑で手の中の魔石を軽く握る。するとぱきっ、と石とは思えない脆さで魔石が割れ、小さな光が瞬いた。予想外の硬度にアスカは思わず手を開く。
―ヒュゥゥー
開いた手のひらからは顔を撫でる程度の風が漏れ出した。ジアは「成功ですね」といい、微笑む。
「すごい、私……魔法使いになった」
「いやいやいや、そんなわけないでしょ。そもそもあなたに魔力は存在していません。あれはあなたが起こしたものではなく、風素そのものが持つものです。本物の魔法はですね、」
ジアはもう一つの魔石をアスカと同じように握り、背後に投擲する。
「こうですよ」
―ボッッッッ
炸裂音のような音とともにジアの背後から台風のような風が二人を直撃する。アスカはとっさに顔を手で覆い、吹き飛ばされないようにしゃがみこんだ。ジアはそんな中でも余裕のようで、さっきまでと同じように悠々と立っていた。
「魔石は魔力を食物とすると考えてください。与えた魔力に応じて成長し、起こす事象のほどが変わります。……あ、今ので大体ワタシとしましては二割といったとこでしょうか」
今ので二割。ってことは全力なら竜巻くらい起こせるんじゃないのか。
「竜巻なら六割もいりません」
……さいですか。スケールの違う話に何も言えないアスカは、とりあえず乱れた髪型を直すところから始めるのだった。
「そういえば二つ目の用途ってなんなの?」
乱れた髪を直しつつ、マナ精霊と遊ぶジアをにらむ。櫛を貸してくれたのはいいが、それを使う状況を引き起こしたのは彼なのでプラマイゼロでむしろマイナスといったところである。
「あぁ、そうですね。二つ目の用途としては見たまんまで、風の強さを計測することですね」
ジアはその場から立ち上がり、何かを探すように周りを見回す。何してんだろ。見た感じ周りには特に何もない感じに見えるけど……。
「……なんか探してるの?」
「あぁ、いえいえ。ちょうどよく来ればなー、と思っていただけです。これは狙ってくるものではないので……おや?」
突然、頬を強い風が撫でる。そして話していたジアはとある一点を見つめた。しかしそこには何もなく、
否。それは丘の向こうよりやってきた。ジアの見つめる向こうには黒い影のようなものが丘を下ってこちらの方へと迫ってくる光景が広がっていた。えぇ……何あれ。
「これはこれは……グッドタイミングですねー!まさか本当に見れるとは思いませんでした」
ジアは何を面白がっているのか、迫りくる大群を前に子供のようにわくわくしてる。いやいや、その前にあれって……
「あれってなんなの!」
「まぁ、見ててください。大漁確実ですから……ですが、下の人達の分は残しておかないといけませんね」
アスカの後ろを見ながらジアはそう言う。つられて見てみると、確かに丘の下、町から少し離れたところに人らしき影がこちらを向いて立っている。と、それを見てる間にジアは片腕を前に出して何かを唱え始めた。
「“喚起、風刃・一刀”」
突き出した腕を中心に風が渦を巻き始める。やがて、それは一つの球体になり勢いよく回転し始めた。
「アスカ、少し頭を下げていてください。……当たると痛いので」
「当たると痛いことを先に説明してくれたら文句はなかったのになー!!!」
アスカは急いで、顔と胸の部分を腕で保護する。
「“射出”」
―バシュゥゥゥゥゥゥゥッッッッッッッ
ジアの腕先から切れ味をもった風が、列をなしていくつも撃ち出される。それは通り過ぎる大群の真ん中を綺麗に切り取っていった。しゃがんでいたアスカの耳元には、波音のようなザッパァンという音と鋭い切断音が響く。
「もう大丈夫です」
どうやら終わったらしい。警戒しながらも、一応その言葉を信用して立ち上がる。後ろを向くと、さっきの大群が町の方向へと向かっていくのが見えた。落ち着いてよく見てみると人影はみな、網みたいなものを持っている。
「もう……結局なんだっていうの」
半眼でジアを睨みつける。ジアはニッコリ笑って、片手をヒョイと前にあげる。その手にはポコォみたいに口を開いた魚が手に握られていた。
「!!??」
「すごい顔ですよ、お互いに」
ススッと距離を離し、半眼からニッコリと―ひきつってはいたが、笑顔に変えて
「なにそれ?」
「……すいません、さすがにワタシもその顔はちょっと怖いと思いました。」
さしものジアも困り顔でその手に持った魚(?)をいつの間にもっていたのかバケツに放り込む。改めて見ると、さっきのジアの直線状にはその魚らしき何かがいくつも転がっていた。いや、だからその手に持ってたのはなんなのさ。
「あぁ、そうでしたそうでした。これはですね、ここら辺一帯に生息している魚類型幻想種、通称『ファンフィッシュ』と呼ばれるものです」
はい、とジアはそのファンフィッシュをもう一度見せてくれる。よく見ると、その姿はヒレが翼のようになっており、背びれの一部が細く長く発達している。……トビウオみたいだね。
「そうですね。トビウオと同じようなものだと思ってください」
「さっきの大群はこれの群れだったの?」
「そうです。これらは群れで行動することは少なく、また五匹ほどの集団でこの広大な高原を回遊しているので見つけにくいのです。さらに見つけたとしても、その警戒心の強さから捕獲の難易度も高く、希少性が高いのです」
ジアは説明しつつ、足元でグデーとしてるファンフィッシュを拾い上げてはバケツに放り込む。回遊って……まさか土の中を泳いでるの?
「間違ってはいないですね。ですが、少し違います。彼らはその体内から魔力を放出することによって、土を構成する土素を水素へと変換し、自らの周囲を水場に変化させて泳ぐのです」
「へぇ……土が水に変わるなんて魔力ってすごいんだね」
「土素と水素は相性がいいので、変換が容易でしかも必要な魔素の量も少なく済みます。また一説によれば、彼らが五匹で行動するのは変換による水場の形成が最もちょうどいい状態にできるからだと言われています」
へぇ……ちゃんと考えもあって生きてるんだね。アスカはジアと同じように足元でのびていたファンフィッシュを持ち上げ、そのなんともいえない顔を見ながらジアの持つバケツに放る。
「で、これとあれは何の関係があるの?」
魔風計とファンフィッシュを指さしながら、アスカは問う。ジアは「そうでしたね。」と言いこちらを向く。コイツ、いっつも話すことを忘れてやがるな。
「いや、忘れてるわけではないのですよ?よ?」
いいから、はよ。
「はーい……んっ、ん。さて、この二つの関連性についてですが、先ほど言ったようにファンフィッシュが通常あのような大群になって行動することはありません。しかし、たった一つだけその例外が存在するのです」
例外?
「えぇ。ファンフィッシュが大群で行動する場合は、確実に前兆として強い風が吹きます。それも風素をとても多く含んだ風が」
風……そういえば、ジアが立ち上がる前に風が吹いてたっけ。アスカの反応を聞いて、ジアは感嘆したように「ほぅ」と呟く。
「よく覚えていましたね。そうです。あの風がファンフィッシュが大群で行動する前兆です。そして、あの魔風計はそれを予測することができるのです。具体的には空気中の魔素の量を計測し、それで判断をします」
なるほど。だから魔風“計”なのね。納得したアスカの耳に次に飛び込んできたのは、高原の静けさを切り裂く大音量の鐘の音であった。
―ゴォォーン……ゴォォーン……
どうやら音の出所はさっきの町らしく、先ほどまでとは別の慌ただしさが町から漂ってくる。と、そこで魔風計もなぜか動きを止めてしまった。
「あれさ、なんで止まったの?」
「まぁ、なんというんでしょうか……結論から述べると、魔風計が壊れるからですかね」
壊れる?なんで?
「えーと、ですね。あの魔風計は一定以上の速さの風を受けると、翼の部分が破損する可能性があるんです」
どれくらいの風でそうなるの?
「そうですね……さっきのワタシが放った魔石が起こした風の数十倍といったとこでしょうか」
……なんかさ、それを聞いてるとさ。
「これからそれくらいの風が来るって話になりそうだけど」
「そうなりますね」
そうなるよね。
……
……
「え、やばくない?」
「まぁ、それが実は今回の目的なんですよ」
ホワット!?さっきの風ですら動けなかったのに、それの数十倍って……今度こそ吹っ飛ぶを通り越して捻じ切れるぞ!
「大丈夫です。そこらへんは安全を考慮して……して……する、つもりです」
「おい大丈夫か教師。せめてそこらへんは確実に肯定してくれ」
思わず不安を瞳にうつし、ジアの顔を見る。ジアは顔を合わせるつもりがないらしく、こっちを見ようとしない。うぅ……不安しかない。
「まぁ、ここで怖がってても進展はありませんし……行きましょうか」
主犯格がなんか言ってる。
「主犯って……ていうか、そろそろあちらさんも動く頃合いですよ」
いや、そんな時間にしたのはそっちの問題でしょ?……あちらさん?アスカは自分の後ろを振り返った。そこにはさっきと変わらない景色が、
―キュゥゥゥゥゥゥゥッッッッ
風が強い日に屋内で、吹けなかった口笛のような音を聞いたことはあるだろうか。突如、さっきまで穏やかだった風が雰囲気を変え、風向きも真逆になる。アスカの見てる方向、その上空へと。目を凝らすとその部分だけ雲が渦を巻き、まるで一つの生物のように見えた。どうやらさっきの音はあれから発せられているようだ。
「あちらさんってさ、もしかしてアレのこと?」
「そうですね」
「……もしかして、あれもさっき捕まえたファンフィッシュみたいなやつのでっかいバージョンだったり?」
「だったらよかったんですけどね……残念ながら、魚風情と比べるのは間違いってくらいのヤツですよ」
雲は徐々にその様相を散らしていき、それを生み出していたらしい中心部が覗けるようになる。大きさはおそらく送電塔くらい。時折、雲を切り裂く腕のようなものが見える。
「腕が見えたんですけど?」
「そうですね。ところでアスカさん。ここら一帯にあの町以外に建造物がないのはなぜかお分かりですか?」
ジアはさっきの町を指さしながら、アスカに質問を投げかける。正直こっちはそれどころじゃないんだけど。だがどうやらアスカの心中は察していたようで、すぐに自分から答えを明かす。
「破壊されてしまうからなんですよ。あの、アーベル高原の王に」
ジアのセリフに反応したように、雲の中の存在がこちらに顔を向ける気配がした。
刹那、雲の隙間から砲弾が飛び出した。
―ゴッッッッッッッッ!!!
アスカの目にはジアが目の前に立ったことした認識できなかった。次に感覚器が捉えたのは、さっきのジアの起こした風の何十倍もすさまじい圧力を伴った暴風と鼓膜にぶつかる轟音。しばらくして衝撃から立ち直ったアスカが見たのは、
「……」
自分とジアを中心として、半径五メートルほどにわたって形成されたクレーター。恐らく先ほどの暴風でなったものだろう。ジアはなお前を向いたまま、アスカの方に何か話しかける。だが、何も聞こえない。どうやらさっきの慣れない轟音に耳をやられたようで、キーンという音しか聞こえない。
「アスカさん……?聞こえますか?」
ジアが肩を揺すって、ようやく聞き取れるくらいになる。……昔、似たような経験したっけ……ここまでひどくはなかったけども。
「ごめん、ちょっと耳がやられちゃってた……」
「そうでしたか……外傷とかはないですか?」
体を触って確かめても、目立つものはない。
「よかった。すみません、アレがあそこまで気性が荒いとは思いませんでした……勉強不足ですね」
ジアは少し悔しそうな表情で空を睨む。……失礼かもしれないけど、アンタがそんな顔をするとは思わなかった。しゃがんでいた足に力を入れて、アスカは立ち上がる。
「大丈夫だから。それで、あれはいったいなんなの?」
空を見ると、さっきまであった雲が消えており、中にいた主がその姿を露わにしていた。緑と白の鱗に覆われた大きい体はまるで蛇のように細長くうねっており、足は見えない。さっき雲の隙間から見えた腕らしきものは、やはり腕のようで鋭い爪とそこだけ逆立った鱗のようなものが見える。頭部には後ろへ伸びる二本の角、口元には鋭い牙が並んでいる。だが、そんな特徴だらけの中でもアスカが最も気になったのはその瞳。こちらを見据える、深紅で爬虫類特有の細長い眼の中にたった一つの感情が読み取れた。それは怒り、憎しみ。少なくとも好意的な視線ではないことがアスカにはわかった。ジアはその瞳を一瞥し、アスカの方を向く。
「あれはこの周辺に君臨する王。万物を憎み、嵐を呼ぶ災厄の『龍』。
名を、『乱気龍』と言います」
―グルゥゥゥゥゥ……
龍は滞空したままこちらを睨み、喉から荒々しい音を鳴らしている。紅の瞳は相変わらず憎しみ、怒りといったを浮かべている。アスカはジアに気になったことを聞く。
「あれさ、このままこの場から立ち去ってくれるとかはない?」
「ないですね」
ですよねー。なんとなくそんな感じはしてたs…待って待ってあの龍さ、こっちに向けて口開けてない?
「おっと、相変わらず好戦的ですね。また少し伏せていてください。それと、さっきみたいにならないように耳は塞いでおくように」
言うと、ジアはさっきと同じように前を向き前方に障壁を展開する。アスカは急いでしゃがみ、両手で両耳を押さえる。同時に龍はそのアギトからさっきと同じように風の砲弾を撃ち出した。
―バシュゥッゥゥゥゥゥ
さっきと違い、それは地に第二のクレーターを生むことはなく、ジアの障壁にぶつかり風に紛れて拡散した。耳押さえる必要なかったじゃん。
「念のためですよ。それと、さっきの攻撃から障壁の構造を変化させました。これで被害は少なくできるはずです」
その会話を聞いていたのか、それとも本能で効かないと悟ったのか、龍は口から吐き出すのをやめてこちらを見ながら唸っている。……一応、知能みたいなものはあるんだね。
「ありますよ。彼らはこの世界でも最強と名高い『龍種』。その知啓は大陸の賢者をたやすく上回り、その瞳は相対した者の心を読むと言われていて……」
ジアは、乱気龍の腕を指し、
「その腕の先の尖爪は鋼鉄を容易く切り裂き、」
尻尾の方を指し、
「その尾の一撃は山を切り崩し、」
最後に口を指す。
「その肺からは灼けつく息を吐くと言われるほどです」
……なるほど。それほど強大な存在の前に改めているって認識させて、私にどうしたいの。
「いえ、特には。なんとなしに説明してみただけです」
なんでやねん。アスカはジアの背中を軽く小突く。ジアは苦笑しながら、意識は龍から絶対に離さないようにする。龍はそれを見ても、特に何かを抱いた様子はなく―抱いたとすればそれは変わらず怒りであっただろうが、龍は今度は障壁の事も気にせずむちゃくちゃに風弾を吐き出す。
―ガアアアアァッァァッァァッァッァァッァァッァ
吐き出されたそれは、こちらにクレーターを作ったほどの威力ではないが衝撃で高原の地面を巻き上げる。こっちに効かないってわかってるのに、よく撃ってくるわね。
「足を震わせながら言われても。アスカさんの言う通りなんですが……しかし、そこは問題ではないんですよ。アレは私たちを狙ってるわけではないのです」
?どうみても、こっち見てるけど。
「確かにそう見えます。けれど、私たちはアレにとっての破壊の対象の一つに過ぎないのです。……あれは、どんな気持ちでこちらを攻撃してると思いますか?」
唐突な質問ね……そうね。アスカは少し考えた後にジアへと考えていた思いを話す。
「怒りとかじゃない?理由は……空腹だー、とか」
「いいですね、そういう発想は好きです。しかし、残念ながらアレに怒りというものは存在しません。怒りとは理性的に、ある対象に対して抱く理由のある攻撃衝動です」
だから、あれは私たちに怒りを覚えているってことじゃないの?アスカは首を傾げながら、ジアの方を見る。
「アレが抱いているのは、憎悪です。アレに理性的な衝動は存在しません。ただ生まれたときからアレは憎悪しか持たずに生まれてきてしまったのです」
「憎悪?一体何に対しての……」
「この世界というものに対して、です」
―アアアアアアアアアアァァッァァッァア
龍はいつの間にか、空中で悶え苦しみ始めていた。しかしそれでも、そんな事にも構わず辺りへ破壊の嵐を降らせ続けた。ジアは少しだけ憐憫を込めた瞳で龍を見つめる。
「アレに理由などいらないのです。アレが暴れる理由は誰にも分らない……あの龍自身にも。アレは生まれた時からあのように暴れ続けていたのです」
「なにそれ……理由がないなんて、まるでプログラムされたロボットみたいな」
「そうです。アレはここに生まれるにあたり、そういう思考を授けられて生まれたロボットなのです」
龍を見つめ話し続けるジア。その視線の先で、苦しむ龍はついに地へと堕ちた。丘の向こうにその姿は消えていく。
ドオオオォォォォン
大きな地響きがこちらにまで聞こえてくる。ジアは何も言わずに、龍が堕ちた方向へと歩き始めた。
―私も行かなきゃ。
アスカはまだ震える足に発破をかけて、ジアの後ろに早足でついていく。
「まだ息はあるようですね」
「……さっきまでの姿が嘘みたい」
龍は丘の向こうに静かに横たわっていた。瞳は伏せられ、その口元からは先ほどのような荒々しい息吹ではなく、か細く今にも消えそうな吐息が漏れていた。なんでいきなりこんな状態になってるのよ。
「先ほどのブレスは、実は自分の体内を循環する風素…人間で言う酸素を集めて吐き出していたのです。ですから龍にとってブレスというものは強力な武器である反面、多用するとこのように己を傷つける諸刃の剣でもあるのです」
……なんでそうまでして、あの龍は憎むの?
「さぁ?理由なんて先ほど言った通り、アレ自身も知らないのでしょう。喜びしか知らない人間が悲しみを理解できないように、高級マンションで育った人間が路上で寝ることを思いつかないように、あの龍は世界を憎むことしか知らなかったのでしょう」
なんか随分わかりやすい解答をありがとう。アスカは龍のことを見つめる。鱗に覆われたその皮膚は、よく見ると空気の断裂が引き起こす衝撃で傷だらけ。小さく開いた傷口からは赤紫色の血液がぽつぽつと垂れていた。
「……もう少し近づいても大丈夫?」
「ええ。あなたのことは、ワタシが守ります。ですからあなたの思うままに」
ジアの許諾を得て、ゆっくりと龍に歩み寄る。近くで見ると、さっきよりも迫力が凄まじい。アスカは龍の頭の近くでしゃがみ、その傷だらけの角を一撫でする。龍は感触に気づいてる筈だが、いつでも殺せると思っているのか、それともそれに反応できない程体が弱り切っているのか、アスカの事を特に気にした様子はない。
「あんたさ、死にたいならもっと静かにやりなよ……それじゃ、死んだ後までみんなに恨まれ続けちゃうよ。」
龍はどうでもいい、と言わんばかりに口元から吐息をフンッ、と吐き出す。ジアはアスカの後ろでいつでも動けるようにしているが、アスカのことを止めたりはしない。アスカはそんなジアの様子を知ってか知らずか、龍へと話し続けた。
「あんたはこの世界になにか……例えば親とかを殺されたの?」
龍は薄く開けた瞳でアスカの顔を見る。すると、アスカの心に一つの風景が映し出された。
それは平原。空から光が降り、その光の中から子供の頃らしきこの龍の姿が出てくる。生まれたときから空を飛ぶことができた龍は、毎日その平原を自在に飛び回っていた。ある日、その龍は別の何かに出会った。それは魚だ。翼のある空飛ぶ魚。一目見て、龍は自然とこう考えた。
―よし、殺そう。
龍は戸惑った。生まれたばかりとは思えない風素の弾丸が地面ごと魚を抉り取った。龍はその後も、自分以外の何かと会う度に無為な殺戮を繰り返した。いつしか龍は平原の王、などと呼ばれ恐れ、忌み嫌われていった。龍は殺したくない、殺したくないと心の中で呟く。その口から飛び出た弾丸が何かを壊せば壊すほど、その思いは薄れ、代わりにある種の憎悪が生まれた。それはこのような自分を生んだ世界そのものへの、自分が殺せるような自分以外を存在させた世界への。龍は何もない空へと飛び、何も見えないように己を雲で覆い隠した。こうして龍は雲の中で静かに眠った。眠ろうとした。
龍が次に気づいたのは、平原で傷つき横たわっていた時だった。静かに体を起こすと体のあちこちから激痛が伝わる。体を循環している筈の風素は底をつき、満足に呼吸することもできない。龍は悟った。
―また、やってしまった。
そして次に龍は恐れた。己のうちに燻る暗く猛々しい炎を。今は静かに揺らいでいるだけかもしれないが、いつか周りを燃やし尽くすほどの劫火になるだろう。そんな予感が脳裏を駆け巡った。そして龍は満足に動かない体を、無理に動かして空へと昇る。そこでいつかのように、己を雲で覆い隠す。そしてその中で静かに心を決める。
―己の中で燃えるもの炎は決して消えることはないだろう。ならば、せめて静かに燃やしてやろう。
龍は雲の隙間から、眼下の荒地を見る。あそこは確か緑豊かな草原だった筈だ。自分があのような姿にしたのだろう。
―次は、せめて……せめて誰も殺さぬように。
龍は静かに瞼を閉じ、己の内に燃える炎をゆっくりと覆い隠した。
アスカはハッと気づいて、周りを見渡す。龍の瞳を見ると、自分に攻撃してきたときのような紅ではなく優しい朱色の瞳がこちらをじっとのぞき込んでいた。もしかして、今のはアンタ?
―グルルゥゥ
龍は同意するように喉を鳴らす。……あの子供みたいなヤツがこれになるのか。
―ボシュゥ
龍は失礼だ、とばかりに鼻から息を吹き出す。それが顔にかかり、髪を巻きあげる。子供か!アスカは非力な力で、角のとこをポカポカ叩く。すると、突然その角がぽっきり折れた。
「え!嘘、とれた!??」
とれたんじゃなくて、お前が折ったんだよと龍は頭を揺らす。アスカの手には自分の腕の肘くらいまである鋭角がおさまっていた。どうしよう、これ。アスカはその角を見つめ困惑する。すると、龍はやれやれという雰囲気を漂わせて、体を起こす。だがそのまま起きているのではなく、一度起きて頭をアスカの方へと向けてまた横になる。アスカは龍の顔と真正面からにらみ合う。
「何する気?」
―グルゥン
龍は器用に、アスカの手から折れた角を取り上げる。そしてその鋭利な牙で角を半分に、次いで貫通しないように慎重に角に穴をあけていく。アスカはそれをただ終わるまでじっと待つ。
五分ほどすると、最終的に四分の一ほどになったそれを龍はアスカの手の中に落とす。これって……もしかして笛?
―ウゥゥン
龍は静かに唸る。確かにそれは前に上に穴が二つ、下に一つついている棒状の笛のようであった。しかし、アスカがよく知る笛とは少し違うようで、吹き方がわからない。すると今まで後ろで待機していたジアが背後からアスカに声をかける。
「アスカさん。それは上の穴を人差し指と中指で、下についてる穴を口に押し付けて使うんです」
「え、と……こう?」
ジアの言う通りにすると、龍も小さく首を縦に動かす。ジアは、そのまま息を静かに吹き込んで、と言う。アスカは言われた通り、静かに息を吹き込んだ。
―さわ、さわ、さわ……
それは風が草木を撫でる音に似ていた。決して大きくはないが、透き通るような音が辺りにこだまする。すると、その音に誘われたのかさっき一緒にいた風素達が周りに集まり始める。
「すごっ……これくれるの?」
―ゥゥン
そっぽを向いて喉を鳴らす龍。そっか…まぁ、よくわかんないけどありがと。
―キャッキャッ……
と、そこで集まっていた風素達が一斉に龍の体へと突撃していく。風素は龍の体に当たると吸い込まれるように消えていき、それに合わせて段々と龍の傷が癒えていく。
「……帰るの?」
龍は今度は体をしっかりと持ち上げ、アスカのことを見下ろす。アスカの問いかけに龍は空を見上げる。
「そっか。なら、今度は落ちないようにするんだよ。あんたならできるよ、きっと」
アスカは笑みを浮かべて、龍の傷があった場所を撫でる。龍はアスカへ息を吹きかけて、さっきよりは力強く空へ飛び立った。
龍は空へ昇る間、形容しがたい感情を覚えていた。むずかゆくなりながらも、これはきっと大切なものなんだろうと思うことにした。あの小さな女が言ったセリフを思い出す。
―あんたならできるよ、きっと
龍はそれに対してククッと喉を鳴らす。自分以外との接触というものは生まれて初めてのことだと龍は追憶する。龍の内の炎は、激しく燃える間は龍そのものに一つの衝動に則って行動するよう包み込むが、いったん沈静化すると龍はその呪縛から解放され、己の本当の自我を思い出す。
しかしこれまで、周りを破壊した後に、自分と話せるようなものが残っていることはなかった。当然だ。自分が破壊したのだから。
だから、生まれて初めて龍は「生きていてくれて」という感情を覚えた。正直なんといえばいいのかわからない。この自分の知らない感情も、あの女に聞けばわかるだろうか。
―だが、それはいつになるだろうか
龍は女に与えた笛を思い出す。あれがある限り、自分とあの女は離れることはないだろう。つまり会おうと思えば会うことができる。だから焦ることはない。今度、あの女に会ったら聞いてやろう。そうして雲の隙間から見る、久しぶりの荒地以外の光景に、期待という名の感情を抱いて龍は静かに瞳を閉じた。
「行ってしまいましたね」
ジアは空を見上げ、呟く。今度こういうことするときも、死なないといいな。
「こういうことするってのは決定事項なんですね」
「そりゃ……あの感じだと常習犯みたいだし。けど、彼も彼なりにいろいろと思いを抱えているんだと思う。だから、今は無理でもいつかは気づいて欲しいなって」
横目でジアがニヤニヤしてるのを見る。少し恥ずかしくなってその場から歩き出してしまう。話し過ぎた……早く次行こ!
―カラッ
とそこで握っている笛を思い出す。そういえば、これなんなの?
「それは竜笛ですね。主に龍とコミュニケーションを取るために使うためともいわれてますが……龍側から親愛の証として渡されるものと聞いています」
「親愛って、私はそんなに大層な称号もらえるようなことしてないよ」
よくみると、笛にはあの龍のものであろう髭らしきものが輪っかをなしていた。試しに首にかけてみるとぴったりはまる。髭といっても龍のものであり、かなりしっかりとした強度を持っている。ていうか、いつの間にあの龍はこんなものを……。
「多分、あなたの行動よりも…あなたに対する同族精神みたいなものではないですか?」
「……どういうこと?」
ジアの言葉に少し、ドキッとする。もしかして、気づかれてる?
「似てますよね……あなた達」
ジアはすべて察しているように笑う。アスカは少し考えた後に、白旗をあげる。
「……そうだよね。あんたがあの教室の前で私に言ったことだもんね……そうだよ、私とあの龍は似てる気がした。だから、あんな風にしちゃった」
笛をそっと握りしめる。
「私は別に悪が好きなわけでもないし、他人の不幸を喜んだりしない。けど、善が嫌いで、っていうのも嘘じゃない。……結局はあの龍と同じ。私がなぜそれを嫌うのか……それは私にもわからない。これはまるで宿命のような、っていえばかっこいいけど…私が生きる上で定められたものなんだと思う。……あの龍と違うとこはあの子はまだ他を嫌いきれてる。けれど、けれど私は、」
「……龍は相対した者の心の内を見ることができると言いましたね。恐らく、あの瞳を覗いた瞬間に互いの心象を映しあったのです」
つまり、あの龍には私のこんな考えも見えていたのね。……ずいぶん、汚れたものをみせちゃったね。ジアはアスカの肩に手を置く。
「己を貶すのは、やめておきましょう。意味もなければ生産性もありません」
ジアは努めて機械的に言葉を返す。アスカにはそれがなぜか心地よかった。ジアは、そこで気持ちを切り替える上でこんな話をした。
「ところであの龍に名前でも付けてあげたらどうです?竜笛ももらったことですし」
え、あれって乱気龍って言うんじゃないの?ジアは呆れて、
「ならあなたは人間と呼ぶことになりますけど?」
あぁ、あれって種族的な名前だったのね。納得したアスカは少しの間考える。龍……タツコとか?いや、あれはそもそも性別はどっちだ?タツゴロウ?なんか、古臭いな……そうだ、あの体の特徴から何かヒントを、ヒント……
「ハク、とか?」
アスカはぽつりと呟く。ジアは「ほう?」と眉を上げる。
「なぜ?」
「まぁ、体が白かったのと……あと、方向性はあれだけど純粋だなぁって思って」
また少し恥ずかしくなって、言ってからそっぽを向く。ジアはそのしぐさに満足げに頷いて、
「どうやら、いい分岐になりそうだ」
そう呟いた。?なんか言った?
「いえ、いい名だと思っただけです。それと、意外と素敵な笑顔ができるじゃないですか。先生にもやってくださいよ」
「はいはいせんせー、にぱー」
「適当!?しかも目はすごい冷めてるし……」
肩を落とすジアを見て、アスカは見えないようにこっそり笑う。その顔に、入学式でジアが見た黒は見えなかった。
遅くなってすみません!こちらはまとめて書いていますので、ほかよりも少し投稿が遅れるかもしれません。
次の投稿は7/5を予定しています。




