森の中の出会い2
「ふうん。ま、別にいいわよ。心の中に踏み込んでくる悪魔なんて、聞いたこともないしね」
確かに聞いたこともない。でもまあ、自分が今、人の心の中に踏み込んでいる悪魔、ということになるけどね。
「心の中というのは、人や悪魔、その他全ての生物にとって、何よりも大事なものよ。簡単に踏み込ませちゃもらえない。そんな大事な大事な心の中に土足で踏み込もうってやつは、文字通り強大な力を持って、なおかつ心の存在をなんとも思っていない、最低の野郎だけだからね」
心の存在をなんとも思っていない、か。
その言葉を聞いて、ダフトは少し憂鬱な気分になる。そう、僕は今まで、醜いという理由だけで、すべての悪魔から忌み嫌われてきた。それは多分、僕の心の存在をなんとも思っていなかったからだろう。
彼女の心の世界は真っ白な空間だ。しかし、それは僕も同じだ。僕も何度かこれと同じ景色を見てきた。だからこそ、心の中の世界にいた初対面の僕に対しきつい言葉を使わなかったんだろう。
そして、何よりも嬉しかったのは、僕のこの醜い顔を見ても、嫌がったりしなかったことだ。それだけで僕は少し救われた気がした。
だからこそ、僕は彼女を信用してここまでの話をした。異常なまでに雪が積もった日の朝、自分の父親が誰かに殺されたこと、自分がその濡れ衣を着せられたこと、実の兄に殺されかけたこと、その後豊穣の森まで必死に歩いてきたこと、最後に神木の目の前で意識を失い、気づいたらここにいたこと、全てを話した。
目の前の女性は僕の話を真剣に聞いてくれた。僕の瞳を見て、真剣に。
その瞳は、心の中を全て見透かされそうな、そんな怪しい雰囲気を秘めていた。
「そう、いろいろあったのね」
話をすべて聞いた女性は、ただ一言そう言って、僕から視線を外した。その瞬間、僕の中に無意識に作られていた緊張の糸がほどける。
少し、恐怖を感じた。彼女の瞳に。嘘はついていないが、それでも少し緊張していた。
話を終えて少し落ち着いた僕は、ふと考える。そういえば、自己紹介がまだだったと。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。僕はダフトといいます。よろしく」
軽く手を伸ばす。その手を見て彼女はニッコリと笑い、握手をしてくれた。
「ご丁寧にどうも。ダフトちゃん」
「それで、あなたの名前は?」
「私の名前?んーそうねぇ」
彼女は少し間を空けてから、こう答えた。
「私には名前なんてないわ。強いて言うなら、あなたたちが神木と呼んでいる大きな木の、心が生み出した存在、かしらね」
それは、冗談としか思えないような言葉。だが言っている本人は凄く真剣な表情で喋っていた。
この世界に生きとし生ける物には、全て心があるといっていいだろう。
人間はもとより、悪魔も動物も、空を羽ばたく鳥や海に泳ぐ魚にも、また目に見えない小さな生物も、全て心があるから生きているのだ。
ならば、目の前の彼女はどうなのだろう。
広い意味で受け止めれば、植物もまた生きていると言える。大地から養分を吸い取り、大気の中で呼吸をし、木という存在を成長させている。
また、寿命が来れば、自然と朽ち果て、倒れて「死」を迎える。
だが、心があるかとなれば話は別だ。
木は自分で動くことができない。それは心あるものからすれば、耐え難いものだ。自分がなにかしたいと願っても、自分の本体は何もできないのだから。
ましてや千年も生きている神木となれば、その時の長さ故に、仮に心があったとしても崩壊しているだろう。なのに目の前の心を名乗る彼女からは、そのような雰囲気など感じられない。
「信じがたい話ですね」
「まあ、そういうと思ったわ」
彼女は案外すんなりと引き下がった。そこは認めていいのだろうか?
だが彼女は続けて言葉を発する。ゆっくりと、ダフトの周りを歩き回りながら、自分という存在を主張するように、強く言葉を投げかける。
「確かに木に心があるなんて言っても、誰もそんな話は信じない。そんなことはお姉さんもわかってるわ」
「でも、あなたは私の心の中の世界にいる」
「この、真っ白で何もない空間に」
「ねえダフト、この真っ白で、何もないこの空間は、私の心をどうあらわしてる?」
そこで彼女は僕に答えを求めてきた。僕の瞳を、再び見つめながら。
僕も同じ世界を見てきた。だから彼女がどんな答えを望んでいるか、僕にはわかる。
この真っ白な空間は、孤独の表れなのだ。僕には心をかよわす相手がいなかった。だから自分の心にはどんな色も入ってこなかった。人それぞれの心の色が、僕の心に交わることはなく、いつも真っ白で、だからほかの色を求めて、
渇いていたのだ、真っ白な心は。自分が持たない色を求めて。自分だけの色を作りたくて。
「あなたは千年の間、ずっとほかの心と交わることがなかった。この真っ白な空間は、ほかの誰かと交わりたいと願い、その心の色を分け与えて欲しいと願う、そんな渇いた願望のあらわれだ」
彼女は驚いた顔をした。まさか本当に自分の中の心の渇きを言い当てられるとは思っていなかったのだろう。
そして彼女の表情は変わる。それは品定めを終えた獣のように鋭く、目の前のものを全て自分のものにしたがる強欲な目をしていた。