女王ヘレナ
階段を二人で駆け上がり、ようやく最上階へとたどり着いた。
この階は、ロゼッタ女王の執務室と寝室のほかには何も存在せず、限られた者しか訪れることを許されていない。
娘の私でさえここに来たことは、数えるほどしかなかったように思う。
「お前、何者だ」
聞き覚えのない声が、薄暗い廊下に響きわたる。
女王の執務室を守る兵士の顔が、月明かりと淡いランプの光とでうっすら浮かんだ。
あの兵士は確か……ロゼッタ王国兵の剣術大会で準優勝だった人だ。
「近衛兵なら、同盟国の王の顔ぐらい覚えておけ」
クライブは剣を右手に、鞘を左手に持ちかえる。
「陛下、お気をつけください! あの男、ロゼッタ兵の中ではトップクラスに強いですよ」
冷や汗を垂らしながら慌てて声をかけると、クライブは地面を強く蹴って駆けだした。
「そちらはまさか、ティア殿下!?」
私の姿に兵士は動揺するけれど、さすが近衛兵なだけある。すぐに冷静さを取り戻して剣を構え、振り落とされるクライブの剣をとめた。
「くっ、確かに速いが、見きれぬ速さではない」
剣を受け止めながら兵士がにやりと笑うと、クライブもまた、ふっと微かに笑った。
「それは、見きれぬやつが言うセリフではないな」
「なんだと? ぐウッ……」
左手に持つ鞘で、首元を勢いよく叩かれた兵士は一瞬にして気を失い、ぐったりと廊下に横たわる。
最初の剣での攻撃はただの目くらましで、クライブの狙いは鞘での打撃だったのだろう。
瞬殺と言っていいほどあっさり勝負が決まってしまい、あれだけ心配したのにと拍子抜けしてしまう。
「まったく、ロゼッタの兵もずいぶんとレベルが落ちたものだな。北方騎士団の中堅程度の実力で、女王を守るつもりでいたのか?」
クライブは眉間にしわをよせて兵士を見つめ、白銀の剣を鞘へとしまった。
どうやらロゼッタの兵力を本気で心配してくれているようだけど、誰だって最強とうたわれる北方騎士団仕込みの剣術と比べられたら、その強さも霞んでしまう。
きっと、貴方たちが化け物じみて強いだけなのよ。
門を守る兵は本当にこの兵士だけなのかと悩み続けるクライブを、私はあきれた顔で見つめていた。
「この向こうに、お母様がいます」
執務室のドアの前で私は呟き、立ちつくす。
ずっと、私の『絶対』で、逆らうことも許されなかったお母様……
手元を見ると、不安から微かに震えている。
「行けるか?」
静かに尋ねてくるクライブに、こくりとうなずき、ノックもせずにドアを開けた。
最奥には、目を丸く見開いてイスから立ち上がろうとしているお母様がいて、そばで近衛兵が二人控えており剣を抜いていた。
「ティア、クライブ王……どうして?」
暗殺者でないことに安堵したのだろうか。
お母様は強張った身体から力を抜いて、近衛兵二人に納剣させた。
「お母様が私とお話しする時間を一向に作ろうとして下さらないので、こちらから参ることにいたしました」
「話す? わたくしと何を話すというのですか? ようやく国を継ぐ気になったの?」
お母様は、深いため息をつきながら話すけれど、もちろん私は王太女になる気なんてこれっぽっちもない。
「いいえ。何度も申し上げているように、王太女にはなりません」
拒否の態度を示すとお母様の目は怒りで吊りあがり、次第に顔も赤く染まりあがった。
「ティア、いつから貴女はそんなに頑固な娘になったのです? わたくしの命令をお聞きなさい!」
「頑固なのはお母様のほ……んぐ!」
頭ごなしなお母様に怒りが頂点に達し、感情のまま言い返そうとすると、クライブの手で口をふさがれた。
「ヘレナ女王、なぜティアを次の女王にしたいのでしょう。我々はまずそれをうかがいたいのです。立て前抜きで、本音で話していただけませんか?」
冷静にクライブが問うとお母様も頭が冷えたのか、大きく息を吐いてわずかに微笑んだ。
「クライブ王、貴方は若い頃のキールによく似ていますね」
「父に、ですか」
「そう。漆黒の髪に真っ直ぐな目、整った顔立ち、そして理知的な性格。深紅の瞳だけは、滅亡した国の元王女サリアに似ているけれど、貴方は本当にキールに似ている。かつて私はね、ノースランドの前王、キールに恋をしていたのよ」




