バラ咲く城
国境を越えてロゼッタへと入り、生まれ育った国をマリノと二人、馬車の中から眺める。
ちなみに使用人のルードは、城の留守を守ってもらうために途中で別れた。
真面目な彼ならきっと、私たちが不在の間も自分のできる仕事をきっちりこなしてくれるはずだ。
「ここを出たのがずいぶん昔のことみたい」
ぽつりとこぼすと、向かいのマリノがうなずいた。
ノースランドの生活に慣れたからか、数カ月前までこの国に住んでいたとは思えず、なんだか夢の中にいるような不思議な感覚に陥ってしまう。
城下町で見えたのは、編み物が得意なおばあさんの家、何度も通った本屋、そして手酷く振られたタンポポの丘……
城を抜け出して通い詰めた城下町にはつらい記憶もあるけれど、友だちと遊んだ思い出や、新しいものを発見する楽しみもたくさんあった。
ロゼッタの女王になりたいとは思わないけれど、この風景を愛しているし、ここが私の故郷なのだと実感する。
見慣れていたはずの景色を……もしかしたら、もう二度と見ることができなくなるかもしれない景色を目に焼き付けようと、無言のまま見つめ続けた。
「ノースランドのティア王妃殿下、ですか? 訪問のご予定は」
城門を守る衛兵が、馬車を降りたマリノに問いかける。
「ございません。大切なご相談がありましたので、至急参りました。ヘレナ女王陛下への謁見を希望いたします」
堂々とマリノは答え、私たちはこのまま待機するよう衛兵から伝えられる。
いつまで待たされるのだろうと、しびれを切らしたところで衛兵の声が高らかに響いた。
「開門せよ!」
ぎぃぎぃと音をたてて巨大な柵に似た門が開き、懐かしいロゼッタ城が庭園の向こうに見える。
重厚で伝統的な外観のノースネージュ城と比べると、ロゼッタ城はバラの城と呼ばれる宮殿なだけあって、庭も建物も全てが華やかで洗練されている。
広くて長い道がまっすぐ宮殿まで続いているのも、庭のあちこちでバラが咲き乱れているのも変わらない。
生垣の迷路もベンチもあの頃のまま。変わってしまったのはきっと、私の心だけ。
馬車の扉が開かれてマリノの手をとって降りると、侍女の制服をまとった女性が深く頭を下げていた。
「ティア殿下、お久しゅうございます」
「アナベル! 元気そうで何よりだわ」
アナベルは新入り侍女の教育係をしている女性で、責任感が強いからか怒らせてしまうと怖かったけれど、普段は私にとても優しく接してくれていた。
誕生日に姉様にばれないように、こっそりお祝いの言葉と小さなブーケをくれていたのもアナベルだ。
そんなアナベルは目を輝かせ、ずいっと身体を寄せてきながら興奮気味に口を開いた。
「ヘレナ女王陛下より、うかがいましたわ。ティア王女殿下がロザリア王女殿下に代わり、ロゼッタの王太女になられる、と!」
「はぁ!?」
王族とは思えない、間抜けな声が飛び出してしまう。
まさか、母様はもう手紙の内容を決まったこととして、臣下に広めているということなの?
「城内の侍女や使用人、兵士たちも湧き立っておりますよ。ロザリア王女殿下の手前、あまり大きな声では言えませんが……。ティア王女殿下がお戻りになられる日を皆、心待ちにしているのです! いつお戻りになられるのですか?」
私が混乱を極めているというのにアナベルは嬉しそうに話を続け、しかも全く予定にない帰国の日まで尋ねてくる。
このままでは、ひどいめまいで気を失ってしまいそうだ。
私の状況を察したのか、マリノが小さく息を吐き、アナベルと私の間へ割り込んできた。
「アナベル、ティア王妃殿下は長旅でお疲れです。控えていただけませんか?」
「そうね、私としたことが。つい、浮かれてしまいました」
「それに、ティア王妃殿下は王太女となることを了承されていません。どうかそのお話は、これ以上なさらぬようにお願いいたします」
普段とは違う淡々とした声色のマリノは誰にもつけいる隙を感じさせず、アナベルは口を閉ざして視線を落とした。
「アナベル、そういうことなの。だけど、喜んでくれてありがとう、嬉しかったわ」
アナベルの両手をとって伝えると、アナベルは顔を上げて寂しそうに微笑んでこくりとうなずく。
「ティア王妃殿下、ヘレナ女王陛下より言伝をお預かりしています。『長旅ご苦労であった。本日は自室でゆっくりと休まれるがよい』とのことです」




