恋とはどんなもの?
「オリビア、いまのは気にしないで。ほかの方は、どのような時に恋を自覚されるのかしらと、ふと思って尋ねただけだから」
興味のないふりをしながら言うと、オリビアはそうでしたかと優しい笑みを浮かべた。
「確かに、よく考えると不思議かもしれません。感情は目に見えるものではないですし、移り変わるものですから」
よかった。どうにかこの場はしのげたわ、なんてほっと安心する一方で、少し残念な気持ちになる。
クライブのことを考えれば考えるほど、好きなのか嫌いなのか、はたまた普通と思っているのか、自分でもよくわからなくなってしまって。
その上、過去のトラウマのせいで、恋愛と向き合う勇気が出せないままになっていた。
だから、オリビアの恋の話を聞けたら、何かがわかるかもしれないと思ったのに。
膝の上にのせたこぶしをわずかに握ると、オリビアは「ご参考にならないかもしれませんが……」と呟くように話し出した。
「私の場合は、先日ロジェ様とお話しする機会があったのですが、たまたま好きなものが同じで話が弾み、何度かお会いするうちに異様なほどに気になってしまうようになりまして」
うつむく私に気をつかってくれたのだろうか。
オリビアはもじもじと指先をいじりながら、恥ずかしそうに話を続けてくれる。
「ロジェ様の隣にいる時も離れていても、この方はいま何を考えてらっしゃるのかしら、とか、私のことをどう思ってらっしゃるのかしら、とか考えてしまうのです。それで、ああ、私はあのお方に恋をしてしまったのだ、と」
「それが恋に気づいたきっかけなのね、とても素敵だわ」
赤い顔のオリビアに言うと、オリビアは「ありがとうございます」と、静かにうなずいた。
「恋は、花に似ているような気がします。知らないうちに種がまかれて、水や肥料を与えるように些細なことを積み重ねているうちに、気がついたら小さな芽が出ているのです」
「とても、ロマンチックね」
そう言って微笑むと、オリビアも同じように微笑んでくれる。
「そして、芽の存在に気づいたらもう、想いは止まることなく成長し続けていきます。私など、朝も夜もロジェ様のことしか考えられなくなってしまいました。なんだか、みっともないですね。王妃殿下の恋の種はいかがですか?」
みっともないと、照れたようにオリビアは笑うけれど、その姿が羨ましかった。
私には恋という感覚がどういうものか未だによくわからないし、恋することを怖いと思ってしまうから。
「あのねオリビア。貴女の誠実さを見込んで、幼い頃のことについて相談しようと思うのだけれど……この話は誰にも内緒にしてくれる?」
さすがにいまの話と限定するとまずいかと思って嘘をつくと、オリビアはもちろんでございますとうなずいてくれた。
「決して他言はいたしません。ミラー夫人のお茶会で仲間外れにされかけた時、お声をかけてくださったことのご恩返しをさせてください」
私は大きく深呼吸をして、重ねた手を握りしめ、ゆっくりと口を開いた。
「幼い頃、苦手な男性がいたの。その方といると自分が自分でいられなくなるし、不安になるから。でもね、彼から見捨てられたくなかったし、彼が誰かに恋をする姿も見たくなかった。矛盾しているし、おかしいわよね。この感情は、いったいなんなのかしら」
マリノにも話したことのない胸の内を明かすとつかえのようなものが取れて、少しだけ楽になったような気がした。
「王妃殿下。私が思うに、それは恋だったのだと思いますよ?」
オリビアは優しい声色で言ってくれるけれど、私にしてみればそれがそうとは思えない。
「恋ならば、好きだと伝えられたら嬉しいものでしょう。でも私は、気持ちを受け取るのが怖いと思った。好きだとか嫌いだとかそんな感情のせいで、いまの関係が崩れてしまうのが怖くて。また離れてしまうのではないかと、不安で……」
オリビアは、こくこくとうなずきながら聞いてくれて、最後に柔らかな微笑みを浮かべて空を仰いだ。
「そうだったのですね。おそらくですが、ティア王妃殿下の場合、お考えとお心がちぐはぐになっていらっしゃるのだと思います」
「ちぐはぐに?」
どういうことなのだろう、とオリビアを見つめると、オリビアは私を見つめ返して柔らかく目を細めてくれた。
「怖いと思われるのは、悪い未来を想像してお心を抑えてしまっているからなのかもしれません。ティア殿下はロゼッタの王女様で、自由な恋愛も難しいお立場でしたし……恋を悪とみなし、恋心を認めることに怖れや不安を感じていらっしゃるのではないでしょうか?」
オリビアの言葉に強い衝撃を受けて、固まった。
言われてみれば、私は人一倍恋愛に憧れを抱きながら、恋に怖れを抱いていたように思う。
さらには年頃になり、いずれ政略結婚の相手に嫁ぐ身として、誰かを好きにならないように自分で自分を律してきたことも、自覚がある。
けれど……
「嫌いではないにしても、ただの執着や所有欲のようなものではないのかしら」
呟くように言うと、オリビアはふわりと微笑んだ。
「ただの執着や欲ならば、そのようにお悩みになられないのではないかと。もし、恋慕うお気持ちはあれど、お心の準備が整ってらっしゃらないのであれば、それをそのまま陛下にお伝えしてみてはいかがですか?」
「そうね……って、なんで陛下のことって……!?」
過去のことだと前置きしたはずだし、名前だって一度も出していないのに!
動揺のあまり口をパクパクさせているとオリビアはふふっと柔らかく目元を細めてきた。
「わかりますよ。ティア王妃殿下はいつも陛下をよく見てらっしゃいますし、陛下もまた、ティア殿下をお優しい瞳で見てらっしゃいますから」
私がクライブをよく見ていて、クライブは私を優しい瞳で見つめている……?
ぼっと顔が熱くなり、鼓動が跳ねる。
「ティア様! お待たせいたしました」
引っ越し作業が終わったのか、向こうからマリノが走って来るけれど、どうしようもなく間が悪い。
あのマリノに、クライブのことを考えてドキドキしてしまっただなんて、言えるわけがない。
慌てて顔を背けるけれど、マリノは私の顔をのぞきこんでくる。
「どうされました? あら、お顔がお赤いような……」
「なんでもないわ!」
慌てて言い放つと、オリビアは立ちあがって深々と礼をして微笑みかけてくれた。
「ティア王妃殿下、お話のお相手をさせていただけて光栄でした。殿下の花が開くその日を心より願わせていただきます」
「あっ、ええと、ありがとう……」
動揺しながら返事をし、オリビアが去っていくのを見つめていると、マリノは不思議そうに尋ねてくる。
「花とは、なんのことです?」
「なんでもないわ! でも、オリビアは優しくていい子だから、きっと綺麗な花を咲かせると思う」
凛と背すじを伸ばして歩くオリビアの背中を見つめて微笑むと、マリノはわけがわからないといった様子で首をかしげていた。
未だ恋の芽さえ見つけられずにいるけれど、いつの日か見つけてあげられるかしら。
そうすれば私も、幸せと照れが混じったあの笑顔の意味が、わかるようになるのかもしれないわね。
なんて、そんなことを思いながら踵を返す。
「マリノ、引っ越し作業をありがとう。新しいお部屋、見せてくれる?」




