振り回される王妃
「陛下!」
バンと大きな音をたてて執務室のドアを開ける。
「どうした」
結構な音と衝撃が走ったと思うのだけれど、クライブにとっては大したことではなかったらしく、何ごともなかったかのように書類に目を通している。
「どうしたもこうしたもないですよ! なんで私に断りなく私の部屋を移動させているのですか!?」
ずかずかと歩いて大声を出し、全身で怒りを表現した。
「伝えていなかったか?」
書類にサインをしたクライブは、ようやく顔を上げてくる。
「聞いてません! 陛下にもマリノにも何も聞いていなくて、たったいま知りましたよッ!」
一際大きな声を出すと、クライブはあまりの大声に顔をしかめて立ち上がり、ゆったりと私のほうに向かって来た。
「ああもう、うるさい……あの部屋よりも上階の方が安全なんだ。二階に住むのは諦めろ」
「ですが、私はあの部屋を気に入っていたのです!」
クライブを見上げて睨みつけるけれど、クライブはひるみもしないし、むしろあきれているようにも見える。
「わかった。確かにティアがいない状態で決めたのは悪かった。それならば三つ、選択肢をやろう」
そうよ! 最初からそうしてくれれば私だって文句なんか言わないわ。
クライブの言葉に鼻息荒くうなずいた。
だって、このままクライブの隣の部屋が自室になるなんて、絶対に無理だもの。
告白だとかファーストキスだとか、いろいろなことがありすぎて混乱しているのに、隣にその相手が住んでいるとか最悪でしかないわ。
これまで以上に会う確率が増えるってことでしょう!?
とにかく、クライブが出した選択肢の中で、一番遠い場所を選ばなければ!
「三つの選択肢、教えてください」
大きく深呼吸をして、真剣な目でクライブを見つめるとクライブは不敵に笑い、指を出して数えながら一つずつ説明をはじめてきた。
「一、俺の隣の部屋に住む。造りはここやティアの部屋と変わらないはずだ」
はい、ダメ。これは却下! 二つ目に期待をしよう。
そう思っていたのに次に出てきた選択肢は、予想だにしないものだった。
「二、俺の部屋で共に住む」
な、ななななんなのよ、それ! 急に難易度が上がったわよ!
「ええと、私が、へ、陛下の部屋に、ですか!?」
クライブはわたわたと動揺する私を楽しそうな表情で見つめてきている。
そんなに私をいじめて楽しいか、この意地悪男!
「ああ。ティアさえよければ歓迎するが……」
そう言って、クライブは私のあごに右手を添えてくいと上げてきて、視線を合わせてきた。
じっと見つめてくる真剣な瞳に、どくんと鼓動が跳ねる。
「俺だって男だ、覚悟はしておけよ」
その言葉に、おかしいくらいに心臓が暴れてしまう。
見ようとしているわけでは決してないのに、唇にばかり目が行ってしまい、朝のあれこれを思い出して懲りずに動揺してしまう自分が情けない。
キスでさえこんなふうになってしまうのに、それ以上の覚悟なんか、私には絶対に無理!
ぷい、と顔を背け、クライブから慌てて距離をとった。
「では、三つ目は……?」
最後の望みにかけることにした私は、おそるおそる尋ねた。
「三つ、あの部屋がいいというティアの要望に合わせるならば、俺もあの部屋に住む」
一緒に住む、だと!
結局二つ目と変わらないじゃないの……。
理想はもろくも崩れ去り、立ちつくすことしかできない。
「さぁ、どうする?」
どうすると聞かれましても、一緒に住むのは私にはレベルが高すぎだし、実際に選択できるのは一つしかないわけで。
「一つめので、お願いします」
口を尖らせ小声で言うと、クライブは楽しそうに笑った。
「そうか、それは残念だ」
抗議しに来たはずなのに心臓に悪い思いをして、振り回されてからかわれて。
完全に返り討ちにあってしまった。
あまりの惨敗ぶりに頭を抱えていると、クライブは机に戻って引き出しを開けて何かを取り出した。
「そうだ。ティア、これやるよ」
手渡されたのは、筒状の平たい缶だった。
「これ、なんです?」
何がが入っているにしては軽いし、振ってみてもサラサラという音しかしない。
「開けてみればわかる」
言われたとおりふたを回して開けると、柑橘の爽やかな香りが広がった。
「わぁ、お茶の葉ですね!」
「一昨日、フィリア島から商人が来て、持って来たんだ」
フィリア島はフレーバードティーで有名な島なのだけれど、海を渡らないとユーリア三国には来れないし、いままでフィリア島のお茶にお目にかかったことはなかったのだ。
「これ、私にくださるんですか!」
はしゃぐ私を見て、クライブは優しく微笑み、うなずいてくれた。
「すごい! ベルガモットのいい香りがするアールグレイ。今度、私からも何かお礼をさせてくださいね」
下を向いて顔を近づけて、匂いをかぐとみずみずしくて爽やかな香りがする。
どんな味がするのだろう、早く飲んでみたいなぁなんて考えながら顔を上げると、ふっと影が迫ってきて。
不思議に思っていると、両頬に手が添えられ、すぐに柔らかなものが一瞬だけ唇に触れてきた。
目の前には深紅の瞳があり、あとずさりをすると端正な顔と漆黒の髪とを視界に捉える。
そこまで見えてようやく、クライブに唇を重ねられたことが分かった。
「な、なななななな……!」
あまりに突然過ぎて、上手く言葉が出てこない。
「礼はいまもらったから、いい」
クライブはそう言って、にやりと笑った。
ねぇ、エミリー。
レモン味がするとかいうファーストキスの味はわからなかったけど、二回目のキスはベルガモットの香りがしたわ。
おそらく真っ赤に染まっているであろう顔を隠すようにうつむいて、もらった紅茶缶をきゅっと握る。
熱く煮える血が全身を駆け巡り、頭のてっぺんからポットのように湯気が出ているんじゃないかなんて、そんなおかしなことを思った。




