事件
「え……?」
信じられないセリフに言葉を失い、呆然と立ちつくした。
護衛代わりについてきてくれた衛兵に視線を送るけれど、表情一つ変わっていない。
ああ、そう。この兵もダリルの協力者ってわけね。
こんなことになるのなら、もっと信頼できる者に声をかけておくべきだったわ……
偽物の笑顔を貼りつけながら、ぎりと歯噛みした。
「ティア様を一目見た時から、私は女神のような貴女の虜になったのです。それなのに貴女はクライブのものになった。運命はなんと残酷なのでしょう」
ダリルは下手な演者のように、大仰な身振りで愛を語ってくる。
星空の下で愛の告白なんてロマンティックなはずなのに、嫌悪感ばかりが募る。
しかも、ダリルの話はあまりに唐突で、理解が追いつかない。
私の混乱をよそにダリルは、ふっと自嘲気味に息を吐き出し、再び口を開いた。
「ああ、忌々しい……なぜ、アイツだけが地位も権力も美しいティア様も手に入れているのだ!」
怒りで顔を染めたダリルは、こぶしを強く握りしめ、舞踏会の会場を睨みつけた。
頭に血が昇っているようだし、このままでは私の身が危ない。もしも拒絶などしようものなら、ダリルは何がなんでも私を手に入れようとしてくるだろう。
逃げる隙をうかがうけれど、ドレスでは追いつかれるし、声をあげたところできっと、舞踏会の音楽にかき消されてしまう。
じりじり後ろに下がることしかできずにいると、ダリルは私を見つめてきて柔らかく目を細めた。
「クライブも毒殺しようと思っていたのですが、さすがに若い王が急死したら疑惑の目は王の第一候補である私に向くでしょう? どうするかと悩んでいたところ、思わぬ話が舞い込んできましてね。ロザリア王女がクライブを気に入っているそうなのですよ」
ダリルは手を広げて、大げさな動作で高らかに笑い、言葉を続ける。
「ロザリア殿下がクライブを籠絡し国を併合したのちは、私と国土を分配する手はずになっています。ロザリア王女の使いから書面を受け取っているので、冗談などではありませんよ。ティア様は新しい国で私の妻となり王妃となることができるのです。素晴らしい計画だと思いませんかね?」
長々と話を聞いて、ようやくダリルの狙いを理解し、ぞっと身をすくませた。
狙いはわかっても、国を巻き込むほどのふざけた企みを実行しようとするなんて、全く理解できない。
姉様の『国を併合する』という話は、さすがに冗談だと思っていたのに……
欲しいもの全てを手に入れようとする姉様の強欲さと恐ろしさを初めて知った気がした。
「ダリル様、お戯れを」
何かの間違いではないかと苦笑いをしてみたけれど、ダリルは熱っぽい瞳で私に視線を送ってきた。
「ティア様、愛しております。新たなノースランドで共に生きましょう」
舐め回すようないやらしい視線に悪寒が走る。この男は……本気だ。
「ダリル様。隣国といえど、文化も歴史も違う二つの国。王族の都合で併合など許されませんし、もってのほかでございます。それに先ほど、クライブ陛下も毒殺……と、とおっしゃいましたよね……?」
嘘でもうなずいて、この場を切り抜けるべきだとわかっていた。
だけど、私だって腐ってもノースランド王妃なのだ。
こんな求愛にうなずくなど、できるはずもない。
突如笑顔を失くしたダリルに恐怖心が募り、あとずさりをする。
王位につきたいがために前王キール様を毒殺するなんて、この男はプライドに狂っている。
これ以上、ここにいてはいけない。
逃げようと決めたとたん、背後から何者かが迫ってきて、突然私の手を後ろに拘束してきた。
「ダリル殿下、約束どおり交渉はここまでです」
どこかで聞いたことのある声に振り向こうとすると、私の身体は抱きかかえられ宙へと浮いた。
「ああ……妻に迎えられないのは悔しいが、しかたない」
ダリルが残念そうに言うと、私の身体を抱えた男は一歩、また一歩と歩みを進める。
「王妃殿下、申し訳ありませんが貴女には死んでいただきます」
「死……!? ちょっと、あなた誰? 何するの!」
影になって見えない顔が不気味で、身体が震える。
命の危険を感じて胸ぐらをつかみ、足をばたつかせて暴れるけれど男の力は強く、抵抗はほとんど無意味に終わった。
「さようなら」
冷たい声とともに、手が離されて私の身体は落下する。
どこまでも落ちる感覚に、たった一秒が永遠のように感じた。
「誰か助けて!」
大声で叫ぶと同時にドボンという音がして身体が一気に冷たくなった。
ここは、井戸の中……?
「今日は舞踏会。衛兵たちは、会場の警備に集中しています。誰の目も届きませんし、声だって聞こえないでしょう。運命を受け入れたほうがよろしいかと」
穏やかで冷ややかな声にぞっとして、必死に助けを求める。
「なんでこんなことをするの? ねぇ、お願い、助けて!」
けれど、必死の懇願も二人の心に届かずに終わった。
「ここの井戸は大きくて、水も冷たい。あがけばあがくだけつらい思いをしますよ。ティア王妃殿下、もういいではないですか。第二王女という地位はおつらかったでしょう。どうぞ安らかにお休みください」
お疲れさまでございました、と井戸のふたを閉められて、中は真っ暗な闇に包まれた。




