月の夜に届いた手紙
カモミールを蒸らしているあいだ、窓際でぼんやりと月を見る。
朝食の時と同じように無言の時間が続いていたけれど、なぜだかいまはそれが嫌ではなかった。
砂時計の砂が落ち切ったことを確認して、ティーポットとカップをトレーに載せて運ぶ。
今日もクライブは、私の淹れたお茶を美味しいと思ってくれるのだろうかと、どこかそわそわしながらクライブの真横に立ち、あきれ笑いをして静かにトレーを置いた。
「なんだ、心配してやって損した」
クライブは机に突っ伏して居眠りをしていたのだ。
どうやら眠れないということはなさそうだけど、ちょっとした時間に眠ってしまうほど疲れているのだろう。
お茶は冷めてしまうかもしれないけれど、いまは眠らせてあげよう。
好き嫌い以前に、疲れている人を無理矢理起こすことなんか私にはできないから。
とはいえ、このままだと風邪をひいてしまうかもしれないと衣装棚から少し厚手の羽織りを取り出す。
妻として優しくしてあげるわけでは、もちろんない。
あくまで人として当然のことをするのよと、自分に言い聞かせてゆっくり近づき肩に羽織をかけていく。
いつもは堂々としたものだけど、居眠りのしかたはなんだか子どもみたい。
吊り上がり気味の眉もいまは下がっているのね、なんて思いながら顔を覗き込むと、突然クライブの手が動いた。
「え、なに……?」
私よりも一回り大きく骨ばった手が、私の手首をしっかりと掴んできて、驚きのあまり二の句が告げなくなってしまう。
突っ伏しているためクライブの表情は見えず、真意がわからずに動揺が止まらない。
「陛下……?」
クライブの不思議な行動におそるおそる尋ねてみるけれど、返事は得られず寝息だけが聞こえてきた。
なんだ、寝ぼけていただけね。困ったやつ。
あきれてため息をつくと、クライブは一際大きく息を吸い込んで吐き出しながら呟くように言う。
「ティア……」
最後にぽつりと発せられた言葉に、息が止まった。甘く切ない声で私の名を呼んできて力強く手首を握ってくる。
クライブの異様な態度に驚き、私はびくりと体を震わせ慌てて手を振りほどいた。
「ん、んん……」
もごもごとクライブが動いて顔を上げようとしているのがわかり、急ぎ廊下へ逃げてドアを閉め、背をつける。見つからないように息を潜めたいのに動悸が止まらず、浅い呼吸しかできないままだ。
「……すまない、眠ってしまったようだ」
ドア越しに、クライブの声が微かに聞こえてきた。
「ティア、おい。ティア」
部屋のあちこちから何度も私の名を呼ぶ低い声に、不思議とまたぎゅっと胸が締めつけられる。
「出掛けたのか……」
今度は小さくため息をついて、イスを引く音が聞こえてきた。きっと私を探すのを諦めて腰掛けたのだろう。
どうしてなのかしら。
さっきのことを思い出すたびに、大した距離も走っていないのに、息が苦しい。
掴まれた手首がじんと熱くて、胸が痛い。
へなへなと座り込んで、熱くほてった顔をドレスの膨らみにうずめた。
そのあとは、なんだか気恥ずかしくて部屋に戻ることができなくて。
見回りの衛兵から心配されるほどの時間、廊下からぼんやりと月を眺めていた。
不安げな衛兵に説得されて部屋に戻るとそこにはもうクライブの姿はなくなっており、代わりに小さな紙が机に一枚置いてあった。
手にとってみると、クセはあるけれど綺麗な字で『ありがとう。うまかった』とだけ書かれていて。
手紙ですらアイツは言葉が少ないのかと笑い、四つ折りにしたそれを引き出しの奥へとしまったのだった。