過去の悪夢――ロザリア
全身雨に濡れたまま、城内の柱の陰で一人うずくまって泣き続ける。
「あら、ティアどうしたの? びしょ濡れじゃない」
頭上から声がして顔を上げると、一番会いたくなかった人がそこにいた。
姉であり、次期女王のロザリア姉様だ。
赤みがかったクセのない真っ直ぐな金髪や、つぶらなこげ茶色の瞳と長いまつげ、そして透明感のある白い肌と華奢な身体を持つ姉様は美しく、どんな男性も例外なく虜にしてきた。
「下手な化粧がさらにドロドロになっているわよ、みっともないわ。それに、地面に座るなんて……はしたない。早くお部屋に帰りなさいな」
姉様は立ったまま私を見おろしてきて、真っ白な扇子を口元に当てて眉をひそめてきた。
慌てて立ち上がり、そのまま疑問を口にする。
「申し訳ありません……あの、姉様はなぜ地下街の者たちに謝罪して、お金を渡されたのですか?」
「なぁに、それ。知らないわ」
「どうして、本当のことをおっしゃってくださらないのです? 姉様が訂正してくだされば、こんなことには……っ」
必死に涙をこらえながら尋ねた。
もし、姉様が私の指示でないことを話してくれれば、フレッドとあんなふうに別れることもなかっただろう。
すると廊下に、ぱしんと勢いよく扇子を閉じる音が響き渡った。
「知らないと言っているでしょう! もしかして、あなた私が何かをしたと疑っているの?」
姉様の目つきはだんだんと鋭くなっていき、さっきのフレッドの瞳を思い出してしまって、慌てて首を横に振った。
もう誰からも嫌われたくなんか、ない。
「疑ってなどいません! ただ……私、もうつらいんです……皆、私から離れていくんです」
恋が始まろうとすると、全てダメになる。
皆、姉様を愛して、誰も私のことなんか見てくれない。
また涙があふれてきて、ハンカチに顔をうずめると、深いため息が聞こえてきた。
「第二王女が分不相応に恋なんかしようとするから、つらいのではなくて?」
姉様の言葉に、鼻をすすりながら顔を上げる。
「第二王女は、恋をしてはならないのですか?」
すると、姉様は目を大きく見開いて、信じられないといった様子で声を荒らげてきた。
「まさかあなた、そんなこともわかっていなかったの?」
「はい……申し訳ありません」
姉様の豹変ぶりに身体を震わせて下を向いた。どうやら私は、いけないことを言ってしまったみたいだ。
「ティア、教えてちょうだい。第二王女の役割とは何?」
姉様の問いかけに、涙声で答える。
「ロゼッタのために誠心誠意尽くすこと、です」
「ええそうよ。でもあなたは、その本当の意味をわかっていないわ。第二王女なんて王位も継げない、戦に出て戦うこともできない。存在価値なんてないも同然」
胸がえぐられたかのように、ひどく痛んで息ができない。
何もできない、なんの役にも立てない……そんなこと、自分でもわかっていた。
何かの役に立てればと思って必死に勉強を頑張ってきたけれど、政治を行うのは姉様で、私じゃない。
姉様は賢い人だから私のアドバイスなんていらないだろう。
身体を鍛えてお父様と一緒に戦場に立つことも考えたけれど男の人の力には敵わないし、戦場に出たっていたずらに味方を混乱させるだけというのも理解していた。
だからせめて誰にも迷惑をかけないように、民の血税を使わないようにと身支度もスケジュール管理もなるべく自分でして、侍女も護衛もマリノ一人だけにしていたのだ。
第二王女に存在価値はないとわかってはいても、人から言われるとつらく、苦しい。
「私は生まれてこなければよかったのでしょうか……」
呟くように尋ねると、姉様は再び扇子を開いてあきれたように笑った。
「本当にバカな子。そんなわけないでしょう。第二王女も年頃になれば一つだけ、存在価値が出てくるの。それをわかっていないのね」
「どういうことですか……?」
姉様は眉を寄せて、じっと私を見下すように見つめてくる。
「ああ、理解が遅くて嫌になるわ。そのままの意味よ」
年頃になれば、という言葉を思い返しながら必死に考えて、一つの結論にたどり着いた。
「私は恋や愛など望まず、政略結婚の道具としてロゼッタのために生きろと……そういうことですか?」
否定してほしい気持ちをこめて尋ねたけれど、無情にも姉様は満足そうに目を細めて肯定してきた。
「そうよ、ティアはいい子ね。姉妹二人でロゼッタをよりよい国にしましょう。それじゃあ、また明日」
豪華なドレスをまとい優雅に歩く姉様の姿が見えなくなり、また涙が溢れだして止まらなくなる。
私は愛しくもない誰かに嫁ぐためだけに生まれた存在で、ロゼッタをより豊かにするための政略結婚の道具でしかない。
道具は、恋を知ろうとしてはならない。
決して誰かを好きになってはいけない。
愛しい、楽しい、そんな想いが生まれてきたら、すぐに離れるんだ。
寂しいけれどこうするのがロゼッタのためだし、何より自分のためになる。
こんなふうにつらくて苦しい思いは、もう二度としたくないから。




