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過去の悪夢――フレッド

 悲しくてつらい思いをするだけだし、男の人とは関わらないほうがいい。


 そう思い続けていた私にも、再び転機が訪れた。



――ティア 十四歳 春――


 ロゼッタ城下町のはずれ、タンポポが咲く丘で、鈍い打撃音と男の悲鳴とが響く。


「嫌がってる女の子に何すんだよ、このボケが!」


 ならず者風の男の子が、恰幅(かっぷく)のいい男の襟元をつかみ、再び右のこぶしを振り上げた。


「あの大丈夫です、私は大丈夫ですから!」


 慌てて男の子に駆け寄り、右腕にしがみつく。すると彼は男の襟元から手を離し、チッと舌打ちをした。


「優しいこの子に感謝しろよ。クソジジィが」


「ご、ごごごごごごめんなさい!」

 先ほどまで胸ぐらをつかまれていた男は涙を浮かべて謝りながら、町へと逃げ去った。


 ほっと息をつき、男の子に一礼する。


「ありがとう。どう断ればいいのかわからなかったから、助かったわ」


 散歩をしている途中、さっきの男にしつこく絡まれてしまったのだ。


「ああいう輩はきっぱり断らねーと、つけ上がる一方だから気をつけろよ。アンタ、このへんじゃ見かけねー顔だな。名前は?」


「ティアよ」

 まずい、普通に名前を答えてしまった。


 焦ったけれど、運よく男の子は私が王女だと気がつかなかったようだ。


「ふーん。王女サマと同じ名前なんて変わってるな」

「そ、そうかもしれないわね。あなたは?」


 慌てて誤魔化すと、男の子はにかっと笑顔を見せてくれた。


「俺? 俺は地下街のゴロツキ。フレッドってんだ」


 左の歯が欠けている理由を聞くと、ケンカで折られたらしく。

 だけど、反対に自分は腕を折ってやったんだと自慢げに語っていた。


 歳も近そうだけれどガラも悪いし、けんかっ早いしきっともう関わることはないだろうな……そう思ったのが、フレッドとの出会いだった。


 二度と会わないつもりでいたのに、フレッドの行動範囲は私と近かったようで、よく彼の姿を見かけるようになり……いつしか一緒に散歩をしたり、お店めぐりをしたりするような仲になっていた。


 フレッドとの待ち合わせ場所はいつも、はじめて出会ったたんぽぽの丘。

 その日も城を抜け出して丘に向かうと、大きな木の下でうずくまるフレッドを見つけた。


「いてててててて」

 彼の姿を見て、ぎょっとした。

 別人のように顔の半分が腫れて赤くなり、血がにじんでいたのだ。


「フレッド、どうしたの!?」

 慌てて駆け寄って座り込むと、フレッドはいつものように笑顔を見せてきた。


「ちょっと、ドジって一発くらった。でもその倍は返したぜ」


「バカなこと言わないで、もう……」

 深くため息をついて、ハンカチを取り出し傷口を押さえると、痛かったのかフレッドは体をピクリと動かした。


「あ、ごめんね痛かった?」

 その言葉に、フレッドは私の顔を覗き込むように見つめてきて照れたように笑う。


「やっぱティアってさ……可愛いよな」


「――っ! こんな時に何言ってるのよ」

 慌てて顔を背け、照れ隠しのために口を尖らせて文句を言った。


「オトコがいなかったのが信じらんねーよ。なぁどうして?」

 私が第二王女で、姉様が第一王女だと知らないフレッドなら、伝えても大丈夫だよね。


 そう考えて、私はマリノ以外の人に初めて『仲良くなった男性が全員、姉に心変わりをした』事実を伝えた。


 フレッドは半分興味なさそうに聞いていたけれど、私が話し終えたとたん、自信に満ちた表情で笑う。


「ふーん、でも俺はティアの姉さんに誘惑されても、なびかない自信あるぜ。そんな簡単な気持ちじゃねぇからな」


「どういうこと……?」

 首をかしげて尋ねると、フレッドは腫れて赤くなった顔をさらに赤く染め上げた。


「なんでもねぇよ! それじゃ次はまた明日な!」

 フレッドはガシガシと頭をかきながら立ち上がり、地下街のほうに走り去っていった。



 そ《・》れ《・》が起こったのは……暗雲垂れこめて宵のように暗い朝だった。


 雨が降らないうちにフレッドに会って、今日は早めに解散かな、なんて考えながら待ち合わせ場所に走って行くと、フレッドはもういつもの木の下にいた。


「お待たせ!」

 乱れた息を整えながら笑うけれど、フレッドはいつものように微笑み返してくれない。


「どうしたの? 表情が暗いよ」

 私を見ようともしないフレッドが心配で顔を覗き込むと、フレッドはうつむいたまま呟くように言葉を放った。


「お前、ずっと俺を騙していたんだな」


「騙した? なんのこと?」


「お前、王女なんだろ」

 フレッドの指摘に、一気に顔が強張った。


 でも……


「確かに王女だけど、遊んでいるだけじゃないよ。ちゃんと、城に戻ったら勉強も仕事もしてる。怠けてなんかないわ」


 戦争中に城下町で遊ぶ王女なんて印象が悪いとは思うけれど、やらなきゃいけないことは全部やっている。

 やった上でこうやって息抜きをしに来ているということを、フレッドにはわかってもらいたかった。


「ああ、そうだろうな。ティアは仕事に対しては真面目だし」


 理解を得られたようで、ほっと胸をなでおろしたとたん、フレッドは顔を上げて、憎らしげに睨みつけてきた。


 こんな目で見られたことなんか一度もなくて言葉を失い、身体もすくんだ。


「仕事に真面目で、しかも冷徹じゃなきゃあんなことできねぇよ! 地下街を封鎖するなんて……あそこは貧困層のやつらの住処なんだぞ、俺らは今日からどこで生きていきゃいいんだよ」


 王女様の入る場所じゃない、とフレッドは入口までしか連れて行ってくれなかったけれど、地下街に住む人々には会ったことがある。


 皆、けんかっ早いけど気は優しく、素敵な人ばかりだった。


 そんな人たちの住む地下街が封鎖された? いったい誰に?


 それに地下街の入口は巧妙に隠されていて、簡単には見つからないはずなのに。


「ひどい……」

 呟くように言うと、フレッドはひたいに血管を浮かせ、怒りで顔を真っ赤に染めていた。


「何言ってやがる! 景観が悪くなるからって、テメェがやったんだろうが」


 私が地下街を、封鎖した? そんなことあるはずがない。

 地下街の場所だって、誰かに話したことも神に誓ってない。


「そんなの何かの間違いよ! 封鎖のことだって、いま初めて聞いたくらいなのに」


「しらばっくれるなよ。だったらどうしていままで正体を隠していた? 兵士を一発殴ったら白状したぜ。ティア王女が自ら偵察してゴロツキの住処を探し出し、貧困層たちを追い出せと命令したんだ、と。本当に仕事熱心な王女様だぜ」


「――ッ」

 私の知っているフレッドと目の前にいる彼は、もう別人だった。


 明るい笑顔も楽しげな声も、柔らかな瞳もどこかへ消え去り、私との距離が、見つめてくる鋭い瞳が、刺々しい声が、私を殺したいほどに憎んでいると嫌がおうにも突きつけてくる。


「今朝、ロザリア王女の侍女が謝りに来てくれて金をくれた。できた王女様だよ。アンタと違ってなァ!」


 どうして姉様の侍女が!? ロゼッタ城内で地下街封鎖の話なんて一度も出ていなかったのに?


「違う、誤解よ! お願いフレッド! 私を信じて……」

 姉様の件はよくわからなかったけれど、このままフレッドから疑われるのだけはつらいし苦しい。


 涙を浮かべながらフレッドにすがりつくと、虫を払うように突き飛ばされてしまった。


「失せろよ。それとも、ここで一発殴ってやろうか。第二王女なんか、この国にはいらねーんだから」


 汚いものでも見るような瞳と言葉とに、心臓を握りつぶされたように胸が痛んだ。

 とめどなく涙があふれ出し、振り返ることなく逃げるように駆けだした。


 ぽたりぽたりと空から雫が落ちてきて、いつしか強い雨へと変わっていく。

 誰もいない帰り道、わんわんと大声を出して泣き、全身びしょ濡れになりながら帰路に着いた。


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