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過去の悪夢――ギルバート

 結局、姉様とカルロスは長続きしなかったようで、知らぬまに破局を迎えていた。


 カルロスは挽回しようと思ったのか、何度か私を散歩に誘ってきて……。気持ちが悪いとしか思えなくなっていた私は、ひたすら彼を避け続けた。


 十三歳の夏頃は、カルロスのことも忘れ去り、傷ついた心もようやく癒えた頃だったような気がする。



――ティア十三歳 夏――


「うーっ、取れないぃーー!」

 最上段の本を睨みつけ、必死につま先立ちをして手を伸ばす。


 どうして、よりによって面白そうなあの本が、こんなにも取りにくいところにあるのだろう。


 一人で奮闘していると、背後から手が伸びてきて本が取られ、ゆっくりと目の前に下りて来た。


「欲しかった本はこれですか、お嬢さん?」

 振り向くと、そこには眼鏡をかけた背の高い青年が立っていて。


 必死に本を取ろうとする私を見かねて、取ってくれたのだとわかった。


「ありがとうございます」

 本を受け取って抱き締め、顔を見上げながら笑うと、青年はしげしげと私の顔を見つめてきた。


「あれ。君、どこかで……って、まさかもしかして」


「しー! 黙って!」

 叫び出しそうな青年の口を、慌てて両手でふさいだ。


 町娘の変装は完璧だと思っていたのに、こんなところで、しかも一般市民にバレるなんて。


「王女殿下……ですよね? なんで……」

 お忍びで来ていることをわかってくれたのか、青年は目を丸くしながら小声で話しかけてくれる。


「だって、ここの本屋さん、品ぞろえがいいから。内緒で抜け出してきてるの」


 やましい気持ちから顔を見られずに視線をそらすと、青年はからからと楽しそうに笑った。


「な、侮辱罪で突き出すわよ!」


「そうしたら、おれは貴女様がお忍びで城下町に下りていたことを言いましょうかね」


 言い負かされた悔しさから強く睨みつけたけれど、青年はものともしない。


「それを引き合いに出すのはずるいわ」

 ぷくりと頬を膨らませると、青年は優しく微笑んで深々と一礼してきた。


「おれはギルバートといいます。バカなことを言ってすねさせてしまいましたし、城下町でもご案内しますよ。可愛らしい王女様」


 ギルバートは私より歳が二つ上の、靴屋の一人息子だった。

 ひょうひょうとしているギルバートは物知りで、服屋やパン屋、城下町の裏道など、たくさんのところに連れて行ってくれて。

 時間があっという間に過ぎるほど一緒にいるのが楽しかった。


 そして、いつしか私は遊びにいくのではなく、彼に会うために城を抜け出すようになっていた。


 だけど……


「王女殿下、今日は仕事があって案内は無理なんです」

 ある日突然、ギルバートは私を名前で呼んでくれなくなり、次第に距離を置かれるようになって……


 必死に考えてみたけれど、私を避けようとする理由が何一つとして思いつかない。

 そこで、いけないとは思いつつも、彼のあとを内緒でつけていくことにしたんだ。


 いけないことをした天罰が下ったのだろうか。

 お気に入りだった広場で見た光景は――


「ロザリア殿下、ここの階段は急だから転ばないようになさってくださいね」


「ありがとう。ギルバートは優しいわね」

 ――ギルバートの頬に口づけする姉様の姿だった。


 姉様が一瞬こっちを見てきた気がして、慌てて生垣に隠れ、二人を背に座り込む。


「ギルバートはなぜ、私と付き合おうと思ってくれたの?」


「うちの靴屋の援助をしてくださいましたよね。おれはそれが嬉しくて嬉しくて」


 甘みを含んだ声で話す姉様に、ギルバートは明るく返す。


「私のこと、好き?」

 姉様の問いかけに、びくりと身体が震える。


 答えを聞きたくない、そう思う一方で、どこかで違う言葉を期待してしまう自分もいて。


 口をぎゅっと結んで葛藤していると、すぐにギルバートの言葉が耳に飛び込んできた。


「ええ、もちろんです。世界で一番愛していますよ」

 聞きたくなかった言葉に、強く目をつぶり、ぎゅっと膝を抱えた。


 悲しくて苦しくて、涙さえ出てこない。 


「本当に? 先週、金髪の女性と歩いているのを見た人がいたようだけど」


 姉様の問いに、はっと顔を上げていく。


 金髪の女というのは、きっと私だ。

 もしかしたら、好きな人は姉様だとしても、ギルバートは私を妹や友だちみたいに思ってくれているかもしれない。

 また一緒に城下町を探検して、いろんな話を聞かせてくれるかもしれない。


「あ、ええと、あれは……」

 口ごもるギルバートの言葉を聞き逃さないよう、必死に耳をそばだてる。


 ギルバートも私といるのは楽しいと言ってくれていたし、きっと大丈夫。

 あの子は友だちだよ、とか、妹みたいな子だよ、と言ってくれるはず。


 そう考えていたのに……


「最近、面倒な女に付きまとわれているんです。勝手に勘違いされて……あ、はは。困ったものですよ」


 ギルバートの返答は想像していた以上に残酷なもので、ふさがりかけていた私の心の傷を鋭く激しくえぐってきた。


 目を見開いて、情けなく顔を歪めていく。

 ぼろぼろととめどなく涙がこぼれ落ちて、何度も何度もしゃくりあげる。

 声をあげて泣き出しそうになるのを必死でこらえて、ぐっと唇を噛み締めた。


「ふふっ」

 広場から含み笑いが聞こえてくる。姉様の声だ。


「つきまとわれるなんて、かわいそうなギルバート。その方はきっと、他人の優しさに漬け込む哀れな女性なのね」


 その言葉に一つ、また一つと大粒の雫がこぼれて、スカートに消えない染みを作っていた。



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