紅茶とマカロン
「あぁぁもうなんなの、ありえないわよ、あれは……」
一日の仕事を終え、ぐったりと執務室の机に突っ伏して本音をこぼす。
窓の外はもう夜に移り変わっていて、細長い月が昇っていた。
カーテンを閉めに行かなければならないのに、あまりの疲労に立ち上がることすら面倒でしかたがない。
そしてそのまま、日中何時間も続いた豪勢なお茶会を思い返す。
ミラー夫人主催のお茶会には私のほかに数十人の貴族の女性が招待され、思い思いにおしゃべりをしたりお菓子をつまんだり、お茶を飲んだりして過ごしていた。
そんななか、私の周りには人だかりができ、令嬢や婦人たちはよく分からない褒め言葉を次から次へと飛ばしてきて。
それだけならまだしも、よその貴族の悪口を囁いてきたり、夫の武勇伝を陛下に伝えてほしいと言ってきたり……とにかく私にとって混乱を極める状況がずっと続いていたのだ。
なにがお茶会よ。紅茶は冷めきって美味しくないし、茶葉やフレーバーのブレンドだってセンスがないし、あんなの腹を探り合う会でしかなかったじゃない。
マカロンが美味しかったくらいしか、行ってよかったと思えることがなかったわ。
……そういえばロゼッタにいた頃は、あまりパーティーと名のつくものに呼ばれなかったけれど、姉様は母様に連れられてよく行っていたっけ。
姉様も毎日こんな思いをしていたのかな。
ぼんやり考えていると、ノックの音が聞こえてきた。
誰だろう。マリノかしら?
疲れた身体を必死に動かしてドアノブをひねると、目の前にあったのはマリノの栗色のショートカット……ではなく、見覚えのある赤地の軍服で。
視線を上に移すと、朝におなじみのあの顔があった。
「へ、陛下!? こんな時間にどうされました」
あまりの衝撃に思わず声が裏返り、あとずさりまでしてしまった。
みっともない姿をさらしてしまったけれど、敬語を保ち続けた自分の口だけは、褒めてあげたい。
混乱する私とは正反対にクライブは落ち着き払っていて、表情を動かさないまま淡々と語ってくる。
「明日の朝は早くから会議があって、お前のもとに来れそうにない」
何を言っているんだ、コイツは。毎朝会いに来て、なんて誰も頼んでいないのに。
「わざわざそれを言いにいらしたのですか? お優しいですね」
面倒ごとを避けたかった私は本音を隠して社交辞令で誤魔化していくけれど、それもお見通しだったようでコイツはいつものように鼻で笑ってきた。
「心にもないようなことをよく言えるもんだ。来なくて結構、とでも思っていたのではないか?」
くそぅ。相変わらず鋭い。
「その様子じゃ、図星か」
「ええそうですね、おっしゃるとおりです」
「相変わらずだな」
クライブのやれやれといった表情にいらだちが増してくるけれどここは廊下だ。本性を出していい場所では決してない。
「とにかく部屋にお入りください。廊下でする王と王妃の口論ほど噂の種になることはありませんから」
ドアを大きく開けて部屋へと誘導する。
どうにかして追い払いたかったのだけれど、今回ばかりはしかたない。
「ああ」
短い返事をしたクライブが部屋に完全に入ったことを確認して、すぐにドアを閉めて睨めつけた。
「わかってらっしゃらないようですのでもう一度言いますけど、朝と夜とは私の勤務時間外。時間外に王妃の仕事をしてさしあげるほど私は優しくありませんから、頼みごとがあるのでしたら明日の昼以降にしてください。それで……本当は何しに来られたんです? 単に私に会いに来たわけではないのでしょう?」
「いや、単に会いに来ただけだ。そう言ったらお前はどうする?」
どうするか、ですって。心にもないことを話すのはアンタも一緒じゃない。
「……そんな戯れ言に惑わされるもんですか」
口をとがらせて答えると、クライブは微かに笑った。
「今日は、茶を飲みにきたんだ」
「お茶を?」
「ふと、うまい茶が飲みたくなったからきた。ティアの淹れた茶が一番うまかったから」
……なによコイツ、お茶に全く興味がなさそうな顔をして、案外よくわかっているじゃないの。
少し褒められたからって見直すのはちょろすぎない? そんな声が頭の中から聞こえてきたけれど、しかたない。
大好きなことや頑張ってきたことを認めてくれるのは、相手が誰であれ嬉しいから。
思えば、私の淹れるお茶を褒めてくれたのは、これで三人目。亡くなったお父様、侍女件護衛のマリノ、そしてノースランド王であるコイツ。
母様や姉様は私の趣味を『王族らしくない』とよく思っていなかったし、使用人たちも皆『おそれ多い』と言って飲もうとしてくれないから、そもそもお茶を口にしてくれる人が少ないんだ。
「ありがとうございます。紅茶が有名な国の方に聞いた淹れかたなんですよ。使用人たちよりも美味しく淹れる自信もあります。それで、なんのお茶がいいでしょうか?」
ふふんと胸を張って得意げに笑うと、深紅の瞳と視線が重なる。
「ティアが淹れてくれるのなら、なんでも」
はしゃぐ私を見て、クライブは柔らかく微笑んでくる。見たことのないような優しい瞳に、どくんと心臓が跳ねた。
「わ、かりました。お湯を沸かすのに少し時間がかかるので、ゆっくりなさっていてください」
「ああ」
いそいそと逃げるようにクライブに背を向けて、お茶の準備を始める。銀の水差しに、小箱から出した火炎石をとぷんと一つ入れた。
ノースランド名産の火炎石は水に入れるだけで発熱して湯を沸かすことのできる優れもの。
生活の必需品で、先のジュピト帝国との戦争は帝国がこれを狙ってのものだったとも言われている。
危ないからと私にはクズ石しか渡してもらえていないけれど、それでも紅茶を飲むくらいならこれで十分だった。
落ち着かない気持ちのまま、ふつふつと沸騰しはじめた湯を見つめながら、さっきのことを思い返す。
クライブの柔らかい笑顔と優しい瞳……まるで別人みたいだった。普段の表情とは違いすぎるからだろうか、動揺が止まらない。
不思議と熱が出てしまったかのように顔がほてってしかたない。
いったいどうしてしまったのだろう。アイツも、私も。
気持ちを落ちつけようと深呼吸しながらティーセットを温めているとふとマリノの言葉を思い出す。
『毎日端から端まで歩くなんて、面倒だとは思いませんか?』
まぁ、確かに言われてみればそうだ。
貴賓室に私の部屋をもってきた理由も、訪問を続けてくる理由もよく分からないけれど、わざわざこんな端の部屋まで来たのだ。とびきり美味しいお茶をごちそうしてあげよう。
それに、国王としての仕事をこなすのは私が思っている以上に大変であることは間違いないもの。
だって、クライブが王になってまだ二年しかたっていない。
しかも、長く続いた戦争の終わりとほぼ同時にノースランド前王が突然病死したこともあり、クライブは十八歳にしていきなり王へとのしあげられたのだから。
十八と言えば成人の儀も済み、王として民を導くのには十分な年齢だけど、王の仕事は突然『今日からお前が王だ』と言われて、はいそうですかとできるような簡単なものじゃない。
もしかしたらそれまで戦争が続いてばかりで、政治についての勉強も十分にできていなかったかもしれない。
それなのに、国を守り復興するという責任が、国民全員の命の重みが、その両肩にずっしりとかかっているのだ。そんなクライブの二年間を思うと心が痛んだ。
コイツは王としての重圧につぶされていないのだろうか。夜はちゃんと眠れているのだろうか。
「カモミールティーはいかがです? 昨日、手に入れたもので」
カモミールの茶葉が入った可愛らしい缶を取り出して笑う。
カモミールは心を落ち着かせてくれて、眠りやすくしてくれると商人から聞いた。少しでもその効果があればいいのだけど。
「すまないが、頼む」
イスに腰かけたクライブは穏やかに答えてくれる。
茶葉をポットに入れ終えた私は、一つ言い忘れたことを思い出し、くるりと振り返って人差し指をつきつけた。
「あ、そうそう。言っておきますけど時間外にこんなことをしてさしあげるのは今日だけですからね!」
朝だけじゃなく、夜まで謎の訪問が始まってしまったらこっちはたまらない。
「ああ、わかってるよ」
微かに笑う顔を見て、なんだか不思議とほっとしたのだった。