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ノースネージュ旧市街

 貴族の町である新市街を抜けて、ようやく旧市街にたどり着いた。


 旧市街は市民や職人の町なだけあって、にぎやかで活気ある町だ。石や土壁でできた店や工房が所狭しと立ち並び、あちこちでマーケットが開かれている。


 馴染みのない風景をきょろきょろ見回しながら歩いていると、遠くから女性の声が聞こえてきた。


「あんた、エリックじゃないか!」


「久しぶりだな、レオナ」


 クライブは穏やかに微笑んで、レオナと呼ばれた恰幅(かっぷく)のいい女性のほうへと向かった。


 ああ、そうか。クライブはここではエリックなんだっけ。


「隣にいる美人は? もしや、嫁さん見つけたのかい?」


 レオナの出店の前に着くと、レオナは楽しそうに尋ねてきた。


「ああ。こいつは妻のロザリンデ。ロザリーと呼んでやってくれ」


 突然紹介され、いつものようにスカートをつまんで礼をしそうになるのをこらえながら、ぺこりと頭を下げた。


「はじめまして、ロザリンデです。どうぞよろしくお願いします」


 顔を上げるとレオナは私に近づいてきて、穴があいてしまいそうなほどにじぃっと見つめてくる。


「えぇと。どうしました?」

 うう……そんなに見られるとなんだか落ち着かないからやめて欲しい。


 思わずあとずさりをすると、レオナは「ごめんごめん」と笑う。


「すごく綺麗なお人だなぁと思ってさ」

 思いもよらないレオナの褒め言葉に、じんわりと頬が熱くなるのがわかった。


 城内でなら社交辞令で褒めているのだとわかるしそつなく返せるけれど、まさか外で自分の容姿を褒められるとは思っておらず、動揺してしまう。


「こんなに美人で優しそうな人を嫁にもらえるなんて、アンタ幸せ者だよ」


「ああ、俺もそう思う」

 レオナは明るく穏やかに笑い、クライブも照れる私に追い討ちをかけるように返事をしていて。


 ただの演技とわかっていても、燃えているかのように顔が火照ってしまい、恥ずかしさのあまりうつむいた。


「ロザリー、せっかくだしこれ食べていきなよ、口に合うかわかんないけどさ」


「ありがとうございます」

 レオナからライ麦パンのようなものが差しだされており、それを手にとり隣を見ると、いつの間にやらクライブがいなくなっていた。


「……あれ、エリックは?」


「そこの人だかりの真ん中。久々に会えて皆、嬉しいんだろ。んで、そのパンさ、そのままガブリといくと旨いよ」


 立ちながら食べるなんて下品かな、と少し躊躇(ちゅうちょ)したけれど、ここは城内じゃないし(とが)める人は誰もいない。


 心までも町娘になりきり、思いきってかぶりついた。


「おいしい! これ、なんという食べ物なの?」

 ただのパンかと思っていたのに、中から野菜のサラダとスパイスの効いたクリーミーなソースがあふれ出てきたのだ。


 フォークとナイフを使わずパンとサラダを同時に食べるという初めての感覚に、わくわくと心が躍る。


 感動のあまり無言のまま食べ進めている私に、レオナは満面の笑みを見せてきた。


「あたしらはパンドって呼んでるよ。ライ麦パンを切り開いて具材をはさんで、このソースをかけたんだ。城ン中じゃこういうの手づかみで食べないだろ?」


「確かにそうね。って、え!?」

 レオナいま、城って言った?


 からからと楽しそうにレオナは笑い、市民に囲まれるクライブへと視線を送った。


「旧市街の何人かは、エリックが陛下だって知ってるのさ。あんな綺麗な顔立ちで赤い瞳してりゃ、もろわかりだからね。陛下も気づかれているのは承知の上だろうけど、互いにそこには触れないんだ」


 レオナは柔らかく目を細めて、再び口を開く。


「こういう形じゃなきゃ、平民(あたしたち)が陛下とお話をする機会なんて訪れないからね。陛下はもちろん、ティア王妃殿下にもお会いできるなんて、あたしは嬉しいよ」


 あんなに時間をかけて変装したのに、正体がばれていることがわかり、目を丸くしてうなずくことしかできない。


「偽名のロザリンデは『リム湖のほとり』から? 確かにロザリンデと王妃殿下は似てるかもね。二人とも優しいし、とびきり美人。それに何より第二王女じゃ、姉さんと扱いがずいぶん違ってくるだろ? ロザリンデみたいにさ」


「……そう、かもしれないわね」

 ロゼッタにいた頃の私の扱いを思い出してしまい、ぎこちなく笑った。


「王妃殿下、そんな顔しなくても大丈夫だよ。陛下はモンド伯爵よりいい男だし、それに何より男前! 政略結婚はつらかっただろうけど、そうやってロザリンデに憧れたりなんかせずとも、アンタは絶対に幸せになれる」


 自信満々にレオナが勇気づけてくれたおかげで、こわばった心がふわりと和らいだ。


「ありがとう、レオナ」


「陛下はさ、見れば見るほど前王妃サリア様に似ているね。あたしらみたいな位の低い者のところまで降りて、気にかけてくれてさ。サリア様もああやってよく、幼い陛下を連れて遊びに来てくれていた」


 優しい顔をして、遠い日を思い出すかのようにレオナは空を見上げていく。


「皆、陛下とサリア様を慕っているのね」


「そりゃそうさ。陛下は感情も顔に出ないし、言葉も少ないから冷たいお人だと思われがちだけど、そんなことはない。どうか、わかってあげておくれね」


「ええ」

 にこりと微笑むとレオナは安心したような表情を見せてくれた。


「あれでも、陛下の表情はずいぶんと柔らかくなったんだ。きっと、ティア王妃殿下のおかげだね。それにさ、殿下が来てから、貴族たちが殿下を真似てあたしら商売人を前みたいに見下さなくなったんだ。アンタがノースランドに来てくれて、ここの皆は喜んでるんだよ」


「本当に! すごく嬉しい、ありがとう」

 レオナの言葉に飛び上がって喜んだ。


 第二王女として過ごしていた頃は、こうやって誰かに必要とされたことなんてなかったし、とにかく嬉しくて仕方がなくて。

 生まれて初めて、この地位にいることができてよかったと思えたような気がする。


「ありがとうはこっちのセリフ。エリックとロザリンデとしてここにいる時は、あたしも含めて皆敬語もないし無礼を働くけど、許してくれるかい?」


「ええ、そっちのほうが私も嬉しいわ。あ、あっちにもお店が出てる。よく見たらあちこちに出店があるのね」


 面白そうだとは思いつつ、勝手にうろついていたら怒られてしまうかも。行きたい気持ちと不安とでうずうずしていると、レオナは楽しそうに笑ってきた。


「こことあのへんの通りは治安もいいし、一人で行っても大丈夫さ」


 レオナは両手を口元に添え、人だかりに向かって声を張り上げる。


「エリック! 嫁さんそのへんの店見てるってよ。……え、何!? 聞こえないよ」


「わかった、三番通りには行くな、ハロルド? に頼むって!」


 通訳のように町の男が大声で返してくる。ハロルドとオーウェンも来ているのね、それなら安心だわ。


「よかったね、見ておいで。ただ、三番通り……あっちの通りは混むからやめときなよ」


 レオナは特に人が多い通りを指さして、にこりと笑った。


「ありがとう」

 知らない世界に心を躍らせた私は、三番通りを避けて、足取り軽く店が立ち並ぶほうへと向かった。


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