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トラウマ

 クライブと別れ、私も仕事をしに王妃の執務室に向かう。

 扉を開けるとすでにマリノがいて、書類の整理をしてくれていた。


「お帰りなさいませ」

 優しい笑顔のマリノに、ほっとして微笑み返す。


「昨日はほとんどここにいなかったけれど、大丈夫だったかしら……?」


 書類の仕分け作業をしているマリノに声をかけると、穏やかな顔でうなずいてくれた。


「幸い書類の数も多くありませんし、問題ありませんよ。陛下もお元気になられたようで、本当によかったです」


「それならよかった。ねぇマリノ、あのね。私、お父様が亡くなったあの日について、グレイ様と陛下からお話を聞かせていただけたの」


「え……? あ、あああすみません!」


 マリノは取ろうとしていた書類を滑らせて落とし、ばらりと紙が床に広がった。

 きっと、あの日について明るく話す私に驚いたのだろう。それほどにずっと、私はあの日について話すことを避けてきたのだ。


「いきなり、驚かせちゃったわね。でも、マリノにも聞いて欲しいの。お父様を実の父親のように慕ってくれていたでしょう?」


 未だ呆然としたままのマリノに拾った書類を手渡す。

 マリノは混乱したような顔でお礼を言いながら、うなずいていた。


 それから、ずいぶんと長い時間をかけて、昨日と今日で知ったことをマリノにも伝えた。私とクライブの政略結婚についての推測も。


「陛下は、お父様を助けられなかったことを悔いてらっしゃるみたい。それでね、お父様は私に恋愛結婚をしてほしいっていう願いがあったようで。陛下にもそれを話していたみたいなの」


「ティア様はまだお小さかった頃から、恋愛結婚に憧れてらっしゃいましたものね」


 マリノの言葉に、こくりとうなずく。

 たまたま街で幸せそうな結婚式を挙げているのを見かけてから、私はずっと結婚に憧れを持っていた。


 花婿の照れたような笑顔と、花嫁の喜びに満ちた微笑み、参列者たちの嬉しそうな笑い声。

 いまでも全部鮮やかに思い出せるくらい、愛し合う者同士の結婚は幸せに満ちていて……


 政略結婚を義務付けられた私は、遠くから羨望の眼差しで見つめていたんだ。


「そこでね、マリノ。ここからは私の推測なんだけど、陛下はジョアンが私を(めと)ろうとしているのを知って、それを防ぐためしかたなくサリア様の形見を差し出して、自分と結婚させたんじゃないかしら」


「なるほど。陛下なら、そうお考えになられても不思議じゃありません」


「それに、ひまわり畑に連れていってくれたのは、私がお父様とした約束を叶えるため。恋い慕う人がいるのかを聞いてきたのは、その人と私を結婚させるためじゃないか、と考えているの。助けられなかった自責の念で、陛下がお父様の願いを代わりに叶えようとしているって考えると、全部つじつまが合うのよ」


 書類を見つめながら推理を披露すると、マリノはなぜかにこにこと笑っていた。


「ティア様、まるで女探偵のようですね。ですが、それならそれでよろしいじゃありませんか」


「どうして?」

 マリノがそれでいいと思える理由がさっぱりわからない。


「ティア様は陛下を苦手でいらっしゃいましたし、好意をいただいても困りますでしょう? それに何より、ティア様が長い間望んでらした恋愛結婚ができるかもしれないのですよ」


 はっと息を飲んだ。


 言われて初めて、自分に有利にことが動いているとわかった。

 もし私の推理が当たっていれば、いつかどこかで見知らぬ誰かと恋に落ちて、普通の結婚をすることも夢ではないのだ。


 だって、クライブは私をジョアンと結婚させないためにしかたなく結婚を申し込んできたわけだし、私が誰かと恋をすれば身をひくつもりなのだろうから。


 だけど……


「それじゃクライブが憐れだわ」


 好きでもない私と結婚したクライブは恋もできずに縛られ続け、私がほかの誰かと恋に落ちたとたん、また独りに戻ってしまう。


「そうでしょうか? ティア様が想う方と恋をして結ばれれば、陛下の御心もきっと救われますよ。そうすれば、全てが丸く収まると思いませんか? ティア様も幸せですし、陛下の罪の意識も薄れることでしょう。もしも、ティア様の推測が全て当たってらっしゃるとすれば、の話ですが」


「でも、そんなの……」

 情けない声で呟くように言う。


 確かに私もクライブも幸せになれるかもしれない。


 非現実的な夢だった恋愛結婚も可能かもしれないし、役目を果たせず国外追放という形になるかもしれないけれど、ずっと私をしばりつけてきた第二王女という地位からも解放されるかもしれない。


 それなのに……どうしてなんだろう。

 何度も何度も夢に描いた『恋愛結婚』が手に届く位置までやって来たのに、そんな未来をいまは何一つとして想像できないのだ。


 何回未来を想像しようとしてみても、思い浮かぶのはあの仏頂面だけ。


 無言のままうつむいていると、マリノは柔らかな声で言葉を続けた。


「おそれながら申し上げますが、ほかの誰かと結婚するなんて考えられないと思ってらっしゃるのではないですか? ティア様が想うお方はクライブ陛下なのですから」


「――ッ、違う!」

 うつむいたまま、マリノの言葉を振り払うように大きく首を横に振った。


「いいえ、違いませんよ。ティア様はいつも異性に想いを寄せれば寄せるほど、その方に嫌われるような行動をとり、嫌いという言葉を無意識に発しておられます。今回だってそうです」


「そんなことないわ!」

 ムッとして顔を上げ、マリノを睨みつける。


 だけど、マリノは表情を変えないまま、そっと口を開いた。


「では、ティア様。カルロス、ギルバート、フレッド、この三人を覚えていますか」


「ええ、(ふる)い友人よ」


「この三人はかつてティア様と親しくなられ、ティア様はまだ恋心とは呼べるほどではないものの好意をお持ちのようでした。その三人からされた仕打ちを覚えていらっしゃいますか」


 身体を震わせて、下を向いた。

 カルロスの笑顔、ギルバートの言葉、フレッドの瞳を思い出していく。


 ぎゅっと目をつぶって、苦しさに耐えながら呟いた。


「あれは、ただ私に魅力がなかったからよ……」


「本当にそうですか? 毎回同じような……」


「マリノやめて! もう聞きたくない」

 耳を塞いで大声で怒鳴ると、マリノは寂しそうに深々と頭を下げてきた。


「出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません。ですが、過去のそれがティア様のトラウマになってしまったのではないかと私は思っているのです」



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