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剥がれた仮面

 視察を兼ねたおもてなしも無事終わり、グレイ様とのお別れの時間が近づいてきた。


「この二年で、ノースネージュもずいぶんと豊かになったもんだよな」


 栗毛の馬をひくグレイ様は、跳ね橋の向こうの新市街を見つめて嬉しそうに笑う。


「ええ。(みな)、大変だったでしょうが、よくこらえてくれました」


 グレイ様は静かにうなずくクライブの肩を強く叩いて、にかっと笑った。


「お前も、な。そいじゃそろそろ行くわ。ティアちゃんもありがとよ」


「こちらこそ、ありがとうございました。ぜひまた遊びにいらしてください」


 こんなにも気兼ねなく話せる人はなかなかいないし、もし私に兄がいたとしたらこんな感じなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、去りゆく背中を見て微笑んだ。


「グレイ殿、今日はおっしゃっていかれないのですか?」

 このままお別れかと思いきや、なぜかクライブはグレイ様を呼びとめる。


 振り返ってきたグレイ様は何かを思いだそうとする仕草を見せたあと、柔らかく目を細めた。


「ああ、あれか。あれはもういい」

 あれ……? いったいなんなのだろう。


 首をかしげているとグレイ様は、にかっと楽しげに笑った。


「帰り際、いつもコイツに言っていたんだ。『もしも馬鹿なことをしたら、俺が殺してやるからな』ってさ。でもいまのお前にゃ必要ねーよ。守りたいもの、あるんだろ」


 クライブは言葉の代わりに優しく微笑み、グレイ様は私に向き直ってきた。


「しばらくぶりに鉄仮面が剥がれた顔を見られてよかった。ティアちゃん、ありがとな。これからもコイツを頼むよ」


 え、私!? なんで私にありがとう……?


「じゃあな! 二人とも元気で」

 混乱している私を気にもとめず、グレイ様は馬をひきながら大きく手を振って跳ね橋の向こうへ渡ってしまった。


「なんだか風のような人でしたね」


 にぎやかな新市街へ消えていく背中を見ながら呟くと、クライブはこくりとうなずいてくる。


「あの人はいつもそうだ。かき回すだけかき回して、自分はさっさと帰っていく」


 どこか不機嫌そうな口調に疑問を抱き、クライブの横顔を見上げて尋ねる。


「グレイ様と何かありましたか?」

 すると、クライブは私の目をじっと見つめてきて、呟くように声を発した。


「少し話さないか。四年前のことを……」



 私の部屋にクライブを招き入れ、紅茶を淹れてゆっくりとイスに腰かける。


「四年前って……」

 無言のクライブに尋ねると、クライブは視線を落としながらぽつりぽつりと話しはじめた。


「グレイ殿から、あの日のことをティアに全て話したと聞いた」


「はい」

 緘口令(かんこうれい)が敷かれるような話を勝手に聞いてしまった罪悪感から顔を上げられない。


 クライブも私も口を閉ざし、あたりがしんとした静寂に包まれる。


 鉛のように空気が重く、押し潰されてしまいそうだ。

 どれほど長くそうしていただろうか。

 クライブが深く息を吸う音が聞こえ、苦しげな低い声が静かに響いた。


「ジュド閣下を救えず、申し訳ない」


 顔を上げると、深々と頭を下げているクライブの姿が目に飛び込んできて、私は慌てて立ち上がった。


「陛下、なりません!」

 一国の王が、そう簡単に頭を下げるなんてあってはならない。

 それがたとえ、妻が相手だとしても、だ。


「陛下、どうか頭をお上げください。私は陛下を批難するつもりなどないのです。むしろ、お礼をお伝えできればと思っていました」


「礼……?」


「はい。四年前の夜、私は父の亡骸に会いました。体の傷は痛々しかったけれど、不思議とどこか安らかな表情で眠っていたんです。昨日、ようやく理由がわかりました」


 あの日のことを思い返すと、いまでも胸が苦しくなって泣いてしまったり、ダリルを恨んだりしていたけれど、昨日の話を聞いて少しだけ救われたような気がして。


 たったいま初めて、あの日のことを話しながらでも、心から笑うことができた。


「仲間に裏切られ、絶望の淵にいた自分を陛下が御身をていしてまで救援に来てくださった。そのことを父はきっと喜んでいたのだと思います」


 クライブは机にのせた手を祈るように組んで、どこか寂しそうな顔で微笑みながら口を開いた。


「ジュド閣下はお優しくて人望に厚く、俺も周りの騎士たちも皆、尊敬していた。あの方はいつもティアのことを話していたよ。素直すぎるのがいいところでもあり、悪いところでもある、と」


「ほかには何か話していましたか?」


 しばらくぶりにマリノ以外の人とお父様の話ができたことが嬉しくて、前のめりになって尋ねる。


 お母様は貴族の男と不倫を続けていてお父様のことをすぐに忘れてしまったし、姉様はお父様が誰とでもわけ隔てなく接することを『王族の威厳が地に落ちる』と言って嫌っていたから。


 クライブは必死に思いだそうとしているのか、口元に手をそえ上のほうを見つめていく。


「そうだな、姉より気が強そうに見えてじつは優しく思いやりがある、とか。『ひまわり畑を見たい』とまとわりついて仕事にならなかった、とか。あとは、兵の目を盗んで、城下町で友だちを作って遊んでいたけれど、楽しそうにしているから叱れなかった、ということも話していたな」


 思わず笑みがこぼれた。どれもこれも、お父様が言いそうな言葉ばかりだわ。


「そして……」

 クライブは何かを言いかけて、ふと口をつぐむ。


 じっと見つめていくと、クライブはゆっくり顔を上げて静かに口を開いた。 


「戦争が終わったら、ティアには政略結婚ではなく好きな男と結婚してほしい、というのがあの方の願いだった」


「え?」

 突然思いもよらない言葉が飛んできて、ぽかんと口が開いたまま固まってしまった。


「ティアには、恋い慕う男はいるのか」


 クライブはティーカップをぼんやり見つめながら尋ねてくるけれど、反対に私は顔を熱くさせてあわあわと慌てた。


「こっ、恋い慕う人ですか!? そ、そそそんな人、いるわけありませんから! ロゼッタにいた頃でさえずっといなかったですし、そもそも初恋というものもよくわからないままこの歳を迎えてしまって……って、私いったい何を言っているのかしら。ええとそれに、ほら、私ってば王妃ですし、もうそんなの関係ないというかなんというか」


 ああ……意外な人からとんでもない質問が飛んできたせいで、余計なことまで口走ってしまった気がする。


 もう乙女だなんて言える歳でもないし、恋愛話にここまで慌ててしまうのは間抜け以外の何者でもないわ。


 苦笑いをして視線を落とし、頭の中で反省会を開いていると、ぽつりとクライブの声が聞こえてきた。


「そうか……決意が鈍るな」


「どうされました?」

 顔を上げて尋ねると、クライブはぐっと堪えるような顔を見せてきたあと、困ったような顔で微笑んだ。


「いや、なんでもない」

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