騎士団長の後押し
「腐った鎖……そうかもしれません。ですが、あの日のお話を聞くことができてよかったです。なんだか少し救われた気がしました」
立ち上がって微笑むと、グレイ様はきょとんとした顔で見上げてくる。
「救われた? いまの話のどこに」
「父は、失意と絶望のなかだけで亡くなったわけではないのだ、と」
「ああ……そうかもな」
グレイ様はほっとしたように頬を緩ませたあと、大きく伸びをした。
「ま、そんなこんなでユーリア三国は仲良しこよしってわけじゃなかったが、ティアちゃんとクライブくらいは仲睦まじいようで、安心したよ」
思いもよらない言葉にまばたきを繰り返し、苦々しく笑う。
「私と陛下が、ですか? 全然そんなことありませんよ。陛下は私のことなど同居人くらいにしか思ってらっしゃいませんから」
なぜだろう。事実を話しているだけなのに、胸が締めつけられるみたいに苦しい。
「どうしてそう思うんだい?」
「どうしてと言われましても……」
視線を落とすと、先日のジョアンの言葉がよみがえってくる。
『寝室だってあんなに離れていたってつらいと思わない。男は、いつだって好きな女に触れていたいものなのにさ』
『アイツが君に触れてこないのは……ティアの地位さえあれば十分で、君自身はいらない存在だから』
ジョアンの推測は、きっと正しい。
お茶会で令嬢たちの恋愛話が耳に入ってきた時も、手を繋いでくれただとか、抱きしめられただとか皆幸せそうで。
だけど私はそんなことをされた経験なんて、一度だってないから。
クライブが抱きしめてきたのも怖がっていた私を安心させるため。ただそれだけだしね。
小さくため息をつくと、グレイ様は自身のあごに手をあてて口を開いた。
「ティアちゃんが自分をクライブの妻じゃなく同居人だと思ってしまうのは、アイツが何もしてこないから……かねェ?」
いたずらっぽい笑みで披露された推理にぎくりと身体が固まり、グレイ様はからからと楽しそうに笑ってきた。
「はは、こりゃ図星か。表情も読めないし、何考えているかわからんアイツ相手じゃ、まぁ焦れるよな」
一気に顔が熱くなってうつむく。
これじゃあ私が『クライブからもっと特別に想われたい』と愚痴っているみたいじゃないか。
「違います! べつに私はそんな」
「けどまぁ、気持ちのない政略結婚から始まってりゃ、そうなるわな。アイツはくそ真面目なヤツだからなおさら」
気持ちのない結婚という言葉につきりと胸が痛む。
もしも私からロゼッタの第二王女の地位をとったら、いったいなにが残るんだろう。
自分自身にはなんの価値もないのではないか。
自嘲気味に笑う私にグレイ様は慌てた様子で「そうじゃない」と手を振り、唸りながら言葉を探すように話し始めた。
「ああ、言葉が足りなかったかな。ティアちゃんさ、ノースランドに嫁いで来た日、クライブを怖がっていただろ? だからアイツは無理に踏み込むのをやめて、騎士らしく自分を律しようと決めたのさ」
考えもしなかった話に目を見開く。
「陛下がそのようにお話しになっていたのですか?」
「いいや。アイツなら、そう考えててもおかしくねーなと思って」
なんだ。聞いてきたように話していたのに、全部グレイ様の勝手な想像だったんじゃないか。
あきれてつっこみたくなったけれど、楽しそうに笑うグレイ様につられて、うら寂しい気持ちもどこかに吹き飛んでしまった。
「それじゃ視察も終わったし、そろそろ休ませてもらっていいかい?」
オレンジ色の柔らかな光が射し込んできた頃、グレイ様は階段の踊り場で聞いてきた。
「はい、お疲れさまでございました。夕のお食事はいつ頃がいいですか」
微笑みながら尋ねると、グレイ様は無言のまま腕を組んで、窓の外を眺めている。
精悍な横顔が夕日に照らされて、どこか神秘的に見えた。
「そうだなぁ、晩飯はいらねーわ。ノースネージュにウマい飯屋があるからそっちで食いたい」
「でも……」
クライブの侍従が言うには、グレイ様は以前の訪問で、城の食事を大絶賛していたみたいだったのに。
社交辞令だったのかしら。本当はあまり口に合わなかった?
あごに手をあてて考えていると、グレイ様は噴き出すように笑った。
「いや、ここの食事は最高だし、正直楽しみにしてた」
「え?」
心の中を読まれてしまったことに驚いて顔を上げると、グレイ様は優しい顔で私を見つめていた。
「ティアちゃんってさ仕事モードじゃない時は、本当に素直だよな。身内や仲間に対しても、裏を読まなきゃいけねぇ時もあるんだぜ?」
「裏を、読む……?」
グレイ様はクライブや私に仇なすような人じゃないし、蹴落とそうとしたり利用しようとしてきたりする人でもない。
どういう意味なのかわからず首を捻って考えていると、グレイ様はけらけら声を出して笑ってきた。
「心配だろうし、このあとはクライブのそばにいてやりなよ、って言いたいの、俺は。全部説明しちゃったら台無しだ」
「あっ、申し訳ありません。気を使ってくださったのですね。ありがとうございます」
「礼はいいんだが、ティアちゃんもこれを機に少しアイツとの距離を縮めてみなよ。なにかが変わるかもしれないぜ?」
うーん、距離を縮める、ねぇ。
「私なんかが近寄ったところで、迷惑に思われて邪険に扱われるだけだと思いますけど」
苦々しく笑う私に、なぜかグレイ様はがっくりと肩を落とし、大きなため息をついてきた。
「はぁ……私なんかって、まじかよ。その外見と器量で、どうしてそんなにも自分を卑下して弱気になれるんだ?」
グレイ様は唸り続け、突然顔を上げてくる。
「なら、一つ試してみてくれ。アイツの手を握ってみたあと、無言のまま目を見つめ続ける。それだけでいい。ティアちゃんの考えがどれほど歪んでいたのか、すぐにわかる」
「振り払われて、怒られたりはしませんか? それにいまグレイ様から直接教えていただけたほうが早いような……」
食い下がるとグレイ様は慌てて階段を駆け下りて苦笑いをしてきた。
「はい! この話はこれで終わり。それじゃ、また明日の朝七時に飯食いに来るからよ!」
逃げるように去っていくグレイ様を追いかけようと思ったけれど、ドレスのままじゃ追いつけるはずなんてない。
窓の側に寄り、右手を見つめてため息をついた。
「手を握って、目を見る……そんなことをして何になるの? 嫌がられて面倒がられるだけじゃない? グレイ様の言っていることがさっぱりわからないわ」
ふと庭を見るとグレイ様がいて、こちらに向かって何かを言っているようだけれど、なんと言っているのかわからない。
グレイ様の口元をよく見つめ、唇の動きから言葉を予想してみる。
「が・ん・ば・れ……もしかして頑張れって言っているのかしら?」
混乱する私のことなど露知らず、グレイ様は満面の笑みを浮かべながら大きく手を振って、中庭の向こうに消えていった。




