白銀の剣
このまま連れ去られたらどんな目に遭うか……想像することさえおぞましい。
「誰か、助けて!」と力の限り声をふりしぼった。
どうか、衛兵たちに届いて。
「ッ、ふざけんな!」
逆上したジョアンは舌打ちをし、怒りにまかせて私の羽織の襟元を乱暴につかんできた。
「くそッ、どうしてだよ! オレはこんなにもティアを愛しているのに」
私を屈服させようとしているのか、うるさいぐらいに怒鳴って睨みつけてくるけれど、負けじと私も声を張る。
「こんなのが愛情だっていうのなら、私はそんなものいらない!」
襟元をつかんでくる手を必死に引き剥がそうとすると、大きく振り上げたこぶしが見えた。
「どうしてお前は落ちない! オレに落ちなかった女は一人もいないのに。お前がいなければオレは、王になれないだろうが!」
殴られる……!
恐怖のあまり顔を背け、強く目をつぶった。
「やめろ」
すぐに痛みがやってくると思いきやそんなことはなく、代わりに威圧感に溢れた低い声が辺りに響き渡った。
聞き覚えのある声におそるおそる顔を上げていくと入口にクライブがおり、屋上庭園奥側の物陰からは近衛兵のオーウェンとハロルドが飛び出してきていた。
明るい表情のハロルドと目が合うと、彼はにかっといたずらっぽく微笑みかけてきた。
「陛下、結局来ちゃったんですか。ぜーんぶ俺たちにお任せになって、お部屋でお休みになっててよかったのに。いてもたってもいられなかったなんて、愛ですねぇ」
ハロルドに続き、今度は真面目な雰囲気を漂わせるオーウェンが口を開いて、深々と礼をしてきた。
「王妃殿下、救出が遅れて申し訳ございません。ですが、ジョアン殿下の言質はしっかりととらせていただきましたので、ご安心くださいませ。ああ、それとジョアン殿下。かくれんぼをされていた付き人さんにはお眠りいただいたので、お呼びになっても無駄なことですからね」
えっ、もしかしてハロルドとオーウェンは、ずっとこの庭に潜んでいたの? ちっとも気づかなかった……
けれど、なぜ陛下が屋上庭園にきていて、物陰には近衛兵二人が潜んでいたのだろう。
混乱して立ちつくしていると、クライブは氷のように冷たい瞳で私たちのほうへ歩み寄ってきて、ジョアンの前で足を止めた。
「おい、ジョアン。サウスの王子が俺の妻に何をしていた」
「さぁねぇ、君には関係ないよ。久々にティアに会えたから少しお話ししていただけさ」
ジョアンはけらけらと笑い、はぐらかす。
ジョアンより少し背の高いクライブは見下ろすように見つめて、白銀の剣を抜剣し口を開いた。
「お前はこうやって聞いてやらないと、ろくに話もできないのか」
光る剣先にジョアンは冷や汗を垂らしはじめ、強がるようににやりと笑った。
「ふん、金で女を買ったくせに何粋がってるんだい」
「何も知らないおぼっちゃんが、他人の事情に首を突っ込むな」
「あっ、もしかしてオレを斬る気? ここでオレを斬ったら、サウスとノースランドは戦争になるだろうね。一人で戦争でもしてみるかい?」
堂々とした声でジョアンは言うけれど、膝は正直にがくがくと小刻みに震えていた。
「ここでお前を斬り捨てたところで、戦争にはならない。本当は自分でもわかっているんじゃないか?」
幼なじみの前で抜剣しているというのに、クライブは至って冷静で、その手も剣も全くぶれずにいる。
温度が感じられない深紅の瞳でジョアンを見下ろすクライブのことが少し怖くて、小さく震えた。
クライブの問いかけにジョアンはふん、と鼻で笑う。
「確かに父さんは負ける戦など初めからしない。だが、お前の頼みの綱の騎士団なんか金でどうにでもなるさ。そうなったら、ノースランドなんかひとひねりだろうな」
「あいつらは金でつられるような奴らじゃない」
「や、雇った兵で」
「金のために命をやすやすと投げ出す男がいると思うか。金じゃ人の心は買えない。戦にも出ず、政治も行わずに遊んでばかりいるから、心を金で買うなんて考えが生まれてくるんじゃないのか。なぁ、ジョアン?」
「くッ……」
蔑むような目で見つめられたジョアンは、悔しそうに奥歯を噛みしめていく。
その様子にクライブは剣を鞘へとしまって、あきれたようにため息を吐き出した。
「サウスの国王は第二王子のゲイルに王位を継がせる予定のようだな」
「ぐぅぅ」
ジョアンはクライブを睨みつけるばかりで、何も言おうとしない。
プライドの高いジョアンが否定をしないのが答えで、王位継承権についての話が事実なのだとすぐに察することができた。
「ロゼッタ女王にティアとの婚約を頼みこんでいたのも、王になりたかったからか? のちほど事件の詳細とお前の言動を全て記録し、サウス王へ書面にして送っておくから、覚悟しておけ」
羞恥と怒りからか顔を真っ赤にするジョアンに、クライブは最後の追いうちをかけていった。
「くそぉぉぉ!」
ジョアンは唸るように声を上げ、崩れ落ちて膝をついていく。
「処刑なり拷問なりしてやりたいところだが、今回は昔のよしみで見逃してやる。マリノ、そこにいるな?」
クライブが生垣の向こうに声をかけていくと、ゆったりと柔らかな笑みを浮かべるマリノが現れた。
「はい、陛下。さすが、鮮やかなお手並みでした」
「マリノ……?」
呟く私に、心配そうな顔でマリノは笑う。
「ティア王妃殿下、心配いたしました。ご無事でよかったです」
申し訳なさでいっぱいになって「ごめんなさい」とかすれた声で言うと、マリノは困ったような安心したような、不思議な顔で微笑みかけてきた。
「マリノ、ハロルド、お前たちにサウス使者一行の城外への護送を頼みたい」
クライブが淡々と告げると、ハロルドは大きくうなずいて口を開く。
「了解でぇす! 早急にお帰りいただきましょう。ジョアン殿下、最後のノースランド観光になると思うので、景色を楽しみつつちゃちゃっと帰ってくださいねぇ」
どこか冷たい笑顔を浮かべるハロルドの隣で、マリノも深く礼をして口を開いた。
「陛下、承知いたしました。では」
マリノはスカートをひらりとたくし上げて、太ももからナイフを素早く取り出し、ジョアンの頬へと突き付けた。
表情は柔らかいのに、こめかみには青すじがたっていて全身から殺気のようなものを放っている。
いつも穏やかなマリノが本気で怒っているのを初めて見たような気がした。
「ジョアン王子殿下、お初にお目にかかります。貴方様が陛下やティア様の幼なじみでなかったら、きっと瞬殺されていましたよ。戦争時の陛下の戦いぶり、ご存知ですか?」
マリノがジョアンの耳元で囁くように何かを告げると、ジョアンは青い顔をして、幽霊でも見たかのようにがくがくと震えはじめた。
「では、ハロルド様と私はジョアン殿下御一行をお送りして参ります。ジョアン殿下、ニーナ川に浮かぶことにならなくてよかったですね」
ふふっと無邪気な顔でマリノは笑い、ジョアンは表情を無くしたままマリノとハロルドに連れられていったのだった。




