一緒にサウスへ行こう
完全に日が沈んだのを確認して部屋を出て、衛兵にに散歩へ行くと告げる。
やはり外へ出るのは嫌がられたけれど、強い口調で王妃命令だと告げると、渋々通してくれた。
二階にある屋上庭園に出て空を見る。
昨日よりももっと空気が澄んでいて、新月だからか星も綺麗に見える。
大きな決断をするには、いい日かもしれない。
城の灯りに淡く照らされる花々を見ながらゆっくり歩むと、月に似た金色の瞳と目が合った。
ジョアンは相変わらず柔らかい雰囲気でにこりと優しく微笑んでくれて、無愛想なクライブとは大違いだ。
「ティア、やっぱり来てくれたんだね。信じていたよ」
「クライブはジョアンの言うように、私のことをなんとも思っていないみたい。ここにいては、幸せな未来なんて望めないかもしれないわ」
「そうだね。きっと愛される喜びもわからないままだったろう。それじゃあ誰かに見つかる前に早く行こうか」
ジョアンは優しく右手をさらってくるけれど、私はその手を振り払った。
「ねぇ、聞いて。話はまだ終わってない」
「どうしたんだい…?」
不安げなジョアンを見つめながらぎゅっとこぶしをにぎり、息を吐きだす。
「ジョアンとは一緒に行けない。私はここで生きていく」
「オレが信じられない? それとも、この地位を捨てるのが惜しくなった?」
ジョアンはわけがわからないといった様子で目を丸くしている。
確かにそうだろう。
自分でもなぜこんなに魅力的な提案を蹴ろうと思ったのか、よくわからない。
「王妃の地位も第二王女の地位もどっちもいらない。捨てられるものなら捨ててしまいたいと思っているわ」
母親からは愛されず、周りからは駒のように扱われ、大好きな国を放り出され……ずっと、この第二王女という地位に振り回されてきたのだ。
未練なんか一つもない。
「だったらなぜ?」
そう問うてくるジョアンに、口をとがらせて答える。
「クライブが一人になるから」
「え?」
「クライブはこの二年間、ずっとノースランドを守ってきた。身内からは王の地位を狙われ続け、誰が味方で、誰が敵かもわからない。そんなアイツの毎日を考えると、苦しかったし……悲しかった」
「ただの同情で自分の幸せを捨てるの?」
眉を寄せてジョアンは私を見つめてくる。
同情……そう聞かれると、なぜかここに残るという決断は、同情とは違う気持ちから来ているような、そんな気がした。
「確かに私は金で買われた哀れな女で、クライブは私のことなんか都合のいい道具としか思っていないかもしれない。だけど、クライブは悪い人じゃない。わかりづらいけど優しいし、ノースランドの毎日も言うほど悪くない、そう思ったの」
にこりと笑うと、ジョアンは静かにため息をついてうなだれている。
ジョアンには申し訳ないけれど、返答もないままに私は言葉を続けた。
「だから私はここに残ると決めた。クライブをまた一人になんかさせられないから。ねぇジョアン……私を好きと言ってくれてありがとう。はじめてそんな言葉をもらえて嬉しかった」
ジョアンの手を優しく握ると、彼はまた深いため息をついてきた。
「はぁ……そうか」
「本当に、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて顔を上げ、すぐに私はぞっと身をすくませた。
ジョアンの優しい微笑みはどこかへ消え去り、口元は三日月のように深く弧を描き、その瞳は獲物を狙う獣のように妖しく光っていたのだ。
「ああ、そう。でもティアやクライブの都合なんか知らないよ。君はいまからオレのものになるんだ」
ぐんと勢いよく腕を引っ張られて、ジョアンが後ろに回ってくる。あまりにも突然すぎる行動に思考が止まった。
「え、ちょ、っと何するの!?」
わけもわからず立ちつくしていたけれど、少したってようやく、後ろから抱きしめられていることがわかった。
強すぎて乱暴な力も、伝わってくる体温も、首元に這うように当てられた唇も、全てが気持ち悪くて、固まった身体が動かない。
「長く美しい金の髪に、澄んだ海のようなブルーの瞳。柔らかくて白い滑らかな肌。みずみずしい唇に、豊かな胸、そして細い腰……たまらないよ、ティア」
耳元で囁いてくる甘ったるい声が不気味で恐ろしく、力を込めて思い切り付き飛ばした。
「やめて!」
だけど、思ったほどジョアンにダメージはなく、すぐに私の右手を強く掴んできた。
「ねぇティア。君の成長はオレの予想を遥かに上回っていたよ。こんなに美しくなっているなんて嬉しい限りだ。ああ、これから君との毎日が楽しみだなぁ」
「ねぇ、私のことが好きならこんなのやめて!」
にやにやと不気味な笑みを浮かべるジョアンに涙声で反論するけれど、ジョアンはくすりと笑ってきた。
「わかってないなぁ。好きだからこそ手に入れたくなるんでしょう? オレはサウスの第一王子、手に入れられないものなんかないし、欲しいものは全部手に入れる。どんな手を使っても、ね」
この言葉でようやく、ジョアンは本当に私を愛していたわけじゃないと理解した。
ジョアンにとって、私はただ見た目が好みだっただけ。
私を人形のように、道具のように思っていたのは、むしろジョアンのほうじゃないの。
「ティア、オレもう我慢できないよ。いますぐ君が欲しい」
茫然と立ちつくしていると、急に視界が崩れて空が見えた。
「ああ、君は本当に綺麗だよ。そんな顔も、理性が飛ぶほどたまらない。ティア、君を世界で一番愛している。だからこそ、オレはこんなにも君を求めてしまうんだよ」
ジョアンは私を押し倒し、ドレスをめくり上げるように手が足元から侵入してくる。
「嫌、お願いだからやめて!」
さっきと同じように押しても叩いても、ピクリともしない。
足をばたつかせて、ようやく手は振り払えたけれど、男の人の強さと恐ろしさを知った。
「そんなに心配しなくても大丈夫、父さんに頼めば、ティアの失踪も全部もみ消してくれるからね。そうそう、君の檻を作ってあげなきゃな。君は元王女だから、大きな大きな部屋に、鍵と柵がついたやつにしよう」
檻!? ジョアンはいったい何を言っているの?
物騒すぎる言葉に、一気に血の気が引いていくのがわかった。
「あ、ティアが心配していたのはそっちじゃないかな。ここはアイツの管轄下だし、ゆっくりしている暇はないよ、と暴れていたんだよね。わかってあげられなくてごめんよ。でも、サウスに帰ったらお望みどおり、たくさん愛してあげるからね」
そう言ってジョアンは私の上からどいて、私を立ち上がらせてきた。
どうしたらいいの。話が全く通じない……。
このジョアンは、私が知っていた頃のジョアンじゃない。
この人の思考は、最大級に危険だわ。




