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マリノ

 なんだか朝から疲れちゃったわ。


 再び一人になった部屋で鏡台の前に腰掛けてルージュを取り出し、すっと唇になじませた。


 本来なら王族や貴族が自分で支度(したく)をしたり、化粧を直したりはしないようだけれど、私はロゼッタ女王国にいた頃から自分でできるものは極力自分で済ませるようにしていた。


 だって、第二王女の私は王子たちのように戦争に出られないし、姉様のように女王の仕事を引き継ぐこともできない、国のお荷物だから。

 贅沢をして、血税を使うわけにはいかないものね。


 とはいえ私も器用なほうとはいえないし、姉様からは品がないとか化粧が変だとよく笑われていたのだけれど。


 懐かしいロゼッタの日々を思い出していると、またドアをノックする音が聞こえてきた。

 さすがにもう来ないとは思うけれど、ドアを睨みつけて警戒する。


「どなた?」

「マリノ・フォレスターでございます」

 穏やかな声が聞こえてくるのと同時に、心がほぐれていくのがわかった。


「鍵は開いているわ、どうぞ」


「失礼いたします」

 白のブラウスとエプロン、深緑色のスカートが似合う女性が一人、ドアを開けて入ってくる。

 栗色のショートヘアを揺らして一礼し、ふわりと微笑みかけてきたのは私より少し年上の侍女、マリノだった。


 マリノは穏やかな見た目とはうらはらに、王国兵にも負けない戦闘スキルを持っているとても頼りになる侍女だ。

 幼い頃からずっとそばにいてくれて忌憚のない意見をくれるマリノを私は誰よりも信頼していたし、姉のようにも思っていた。


「ティア王妃殿下、おはようございます」


「だから、王妃はやめてって何度も言ってるでしょ。マリノといる時までクライブの妻でいることを思い返すなんて、冗談じゃないわ」

 鏡台に頬杖をついて、口の端をゆがませた。


「ふふ。そのご様子だと、今日も陛下はいらっしゃったみたいですね」

 鏡に映るマリノは面白そうに笑っているけれど、私にとっては面白いことでもなんでもない。


「もう、笑いごとじゃないわ。あんな辛気(しんき)くさい男の妻になった私の身にもなってちょうだい。あーあ、マリノはいいわよね。アンディみたいな優しくて頼れる素敵な人のお嫁さんになれて」


 鏡越しに話しかけると、鏡の中のマリノは「アンディをお褒めくださり、ありがとうございます」と、薬指の指輪を撫でてはにかんだ。


 マリノは庭師のアンディと昨年結婚したばかりの新婚夫婦なのだ。

 二カ月ほど前、私がノースランドに嫁ぐと母様から聞かされた時、マリノはロゼッタに残していくつもりだったのだけれど、本人とアンディたっての希望で一緒について来てくれた。


 幸い、優しくてきぱきと仕事をこなすマリノも、人柄もよく庭師としての腕も確かなアンディも、私以上にノースランドになじんでいるようだった。


 フォレスター夫婦を見ていると、幸せな結婚というのはきっと、こういうことなんだろうと思う。

 アンディがマリノに話しかける時の声は穏やかで優しく、マリノがアンディを見つめる瞳も柔らかい。


 うらやましいという気持ちはもちろんあったけれど、悲しいという気持ちのほうが大きかった。


 政略結婚の私には、マリノのように愛しいと思う男性から優しい瞳で見られることも、温かい愛情を受けることも、これまでどころかこれから死ぬまでずっと起こりえないのだから。


 泣き出しそうな心を無理やり押し込めて、大きく息を吐きだした。いつものように、弱い心を隠すため強い女を気取り、気丈にふるまう。


「アンディに引き換え、クライブのやつは最悪よ。この一カ月間、毎朝毎朝私の部屋に来て、何か用でもあるのかと思えば嫌味ばっかり。何がしたいのかしら、あの人」


 ぼんやりドアを見つめて口を尖らせると、マリノは柔らかく目元を緩ませた。


「陛下はきっと、ティア様を大切に思ってらっしゃるんですよ」


 は? クライブが私を大切に思っているですって?

 信じられないセリフに言葉をなくし、目を見開くことしかできない。


 ……ああ、そうか。優しいマリノは私を元気づけようと、そんなことを言ってきたのだ。


「大丈夫よ、気休めはいらないわ。たとえそう思われていたって、こっちから願い下げよ」


「気休めなんかじゃないですよ」

 マリノは微笑みながら、右手を右上に、左手を左下に動かして言葉を続けた。


「陛下のお部屋は五階の端。ティア様のお部屋は二階の反対側の端。ノースネージュ城は規模の大きな城ですし、早朝に、しかも毎日端から端まで歩くなんて、面倒だとは思いませんか?」


 面倒……言われてみれば確かに面倒かもしれない。


「じゃあマリノは、クライブが愛しい妻の顔を見に、毎朝長い長い散歩をしてここまで来ているって言いたいの?」


 そんなはずはない。だって、クライブは私の部屋をクライブが住む五階にしようとはせずに二階にある貴賓室の一つをあてがってきた。

 それって、私を王妃として認めるつもりはない、ということじゃないの?


 それに顔を合わせれば嫌味ばかりで、一度だってアイツは私に優しくしてくれたこともないし、手を繋いだことすらないんだから。


 この結婚はロゼッタ女王国とノースランド王国の友好関係を保つための政略結婚でしかないし、愛なんて欠片もないんだから。


 じゃあ、なんでアイツは毎朝私の部屋に来るの? わけがわからない。


 頭を抱える私を見て、マリノは頬を緩ませてくすくすと笑った。


「ですが、陛下の御心は陛下にしかわかりません。今朝のお食事の時にお尋ねしてみてはいかがですか? 無言の朝食はつまらないとティア様は以前おっしゃっていましたし、いいきっかけではないですか」

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