懐かしい友
ひまわり畑に出掛けたあの日から数日がたち、私たちの分厚い心の壁はずいぶんと薄くなったように思う。
最近はこうやって朝一緒に紅茶を飲んで仕事に向かうのが日課になっているし、互いに嫌味を言い合うことがぐっと少なくなった。
これまではクライブと話すことといえば、仕事や政治のこと、それと嫌味くらいのものだったけれど、最近はくだらない世間話なんかもするようになった。
たとえばこんな、どうでもいい話も。
「あの、陛下」
テーブルの向かいでダージリンティーを飲むクライブに声をかけると、クライブはティーカップを置きながら「なんだ」と、いつものように短い返事をしてきた。
「花言葉、ってご存じですか?」
内心緊張していたけれど、なんでもないふうを装って尋ねる。
あの小さなひまわりはアンディが押し花にしてしおりに変えてくれたのだけれど、それが挟まっている本棚がいまも気にかかってしかたがない。
「花言葉? ああ、最近流行っているらしいな。花の名の由来か何かだろうか?」
首をかしげながらクライブは答えてきた。
言葉だけではなく表情からも、本当に知らないということが手に取るように伝わってくる。
やっぱり知らなかったのか。だけど、知らないであんなに甘い花言葉の花を贈ってくるなんて、それはそれでなんだか……まずい、また顔が熱くなってきた。
「いえ、ご存じないのならそれで大丈夫です」
にこりと誤魔化し笑いをすると、クライブは静かにティーカップを持ち上げながら呟く。
「今度、侍女にでも聞いておく」
「いえ、聞かなくて大丈夫です、たいしたことのないお話ですから!」
花言葉をクライブに知られてしまって、さらにもらった花を大事にとっておいたことがバレてしまったらと考えると、恥ずかしさとみっともなさのあまり身悶えしてしまいそうだ。
「それならどうして聞いて……」
クライブはそこまで言って口元を押さえ、激しく咳払いをした。
「咳をしてらっしゃいますけど、お風邪でも召されましたか?」
「かもしれないな。ここ何年も風邪なんかひいていないんだが。まぁ放っておけば治るだろう。それより……」
「ひどくならないように、ご無理はなさらないでくださいね。それに、今日は大事なお話があると、ここにいらっしゃった時にお話されていましたよね?」
話題の転換が無理やりすぎたかしら、とも思ったけれど、案外クライブは気にしていなかったようで、「ああ、そうだ」とうなずいてきた。
「すまないが、今日から三日間はなるべく部屋を出ずに過ごし、移動の際は衛兵の指示に従ってもらいたい」
クライブはまっすぐに私の目を見つめてきて、真剣な表情で言ってくる。
「構いませんが、なぜですか?」
部屋を出るなと言われたことは未だかつてないし、理由がさっぱりわからない。
「今日来るサウス王国からの使者は異常なほどに貴族の女が嫌いなんだ。だから、極力部屋にこもっていてほしい。ティアも面倒ごとに巻き込まれたくはないだろう」
「貴族の女性が嫌いって、どうしちゃったんでしょう。こっぴどく振られちゃったとかでしょうか」
「さあな。俺にはどうしてアイツがああなったのかわからないし、わかりたくもない」
クライブはまた少しコホコホと咳をして、どこか不愉快そうにティーカップの中の波紋を見つめていたのだった。
お茶を終えてクライブをドアまで見送り、今度はいつものようにマリノがやってきた。
「ねぇ、マリノは三日間部屋を出ちゃいけないって話、聞いた?」
私の問いかけに、マリノはふわりと微笑みを浮かべてくる。
「ええ。なんでも女嫌いの方がいらっしゃると」
やっぱりそうなのね。おかしな話だから本当は冗談なのかと思っちゃった。
でも、それならなおさら気になってしまう。
貴族の女性を見たくないと思うほどに毛嫌いしているということだものね。
「どんな方なのか、ちょっと見に行きたいわね」
同調してくれると思ってくすくす笑うと、なぜかマリノは険しい顔で見つめてきた。
「いいえ、それは絶対にお止めください。必要なものがあれば私やアンディが取りに行きますから」
あら、いつもならこんな冗談、笑って返してくれるのに変なの。
「ただの冗談だし、見に行ったりなんかしないから大丈夫よ」
安心させようと笑顔を見せたけれど、それでもどこか警戒したようなマリノの様子に違和感ばかりが募っていった。
部屋から出ずに時間を忘れて仕事をこなしていると、いつの間にか日が落ちており、外はもう真っ暗になっていた。
「もうこんな時間なのね。でも、部屋にこもっていたおかげで、数日分の書類が片づいたかも」
背伸びをして、くたりと机に突っ伏していくとマリノは穏やかに笑う。
「ええ。部屋にこもるのも悪いことばかりではなかったですね。それでは私は、この書類を運んでいきますので一度失礼させていただきます」
机の上にある大量の書類を台車にのせて、マリノは廊下に出ていった。
深いため息が、静かな部屋に広がっていく。
サウス王国の使者のためとはいえ、こんな軟禁にも似た生活があと二日も続くのかと思うと憂鬱でしかたない。
「女嫌い、か。変な人……って、ん?」
どこからか微かに声が聞こえてくる。
耳を澄ますと声は外から聞こえてきていて、しかも私の名を呼んでいるとわかった。
ちらとカーテンをめくり、おそるおそる窓をのぞきこみ、身体が大きく震えた。木の上に見知らぬ男の人がいて、目が合ってしまったのだ。
「だ、誰!?」
あとずさりすると、なだめるような明るい声が聞こえてくる。
「ティア、大丈夫、大丈夫だって! オレはジョアンだよ! 小さい頃一緒に遊んだろ?」
確認しようともう一度窓に近づいて、カーテンをめくり声の主を見る。
とろんとしたたれ目に、ふわふわの薄茶色の髪、そして金色の瞳、男の人にしては細身の身体……確かに見覚えがあるし、幼い頃の面影もあった。
「本当だわ! ジョアン、久しぶりね、本当に大きくなっていてびっくり!」
勢いよく窓を開けるとジョアンは、嬉しそうに笑った。
「ティアも綺麗になってて、オレ驚いちゃったよ」
にこにこ笑う顔は幼い頃から全く変わっていなくて、懐かしくて嬉しい気持ちが抑えられない。
ジョアンはクライブと同じように私の幼なじみで、歳は三つ上。しかも、彼はユーリア三国の一つであるサウス王国の第一王子なのだ。
「でも、ジョアンはなんでこんなところにいるの? それに服だって……いま着ているの、ノースランドの軍服よね」
サウスの第一王子が他国の軍服を身にまとい、木に登っているなんておかしすぎる。
変な夢でも見ているのだろうかと手の甲をつねってみたけれど、やっぱりこれは夢じゃない。
「なんでって、木に登ったのも、軍服や影武者まで用意したのも全部、ティアに会いたかったからだよ。やっぱりアイツ、オレが来ることを伝えてなかったんだな……」
次第にジョアンの表情は陰っていき、何かを思い出したように慌てた様子で言葉を続けた。
「侍女が帰ってきてばれるとまずいから、そろそろ話もおしまいだ。あのさ、君とクライブのことで伝えたい大切なことがあってね。少しだけ向こうの屋上庭園に出てきて。それじゃ、またあとで」
ジョアンは器用にするすると木から下りていき、闇に溶けて見えなくなった。




