贈られた花
「ああ、見えてきた」
クライブが指し示してきた先を向いたとたん、すぐに言葉を失ってしまった。
そこにあったのは、無数に咲き乱れる大輪のひまわりの花。
小高い丘は上から下まで一面黄色に彩られていて、巨大な絨毯のようにも見える。
ノースランドには、こんなにも美しい景色があったのね……
あまりにも壮大な光景は、いままで見てきたどんな宝石よりも装飾品よりももっとずっと綺麗で、こんなにも心を震わせてくれる。
馬を木につないで、ひまわり畑のすぐ近くまで行くとさらに迫力があり、言葉が見つからないまま立ちつくした。
みずみずしい緑の葉と、背すじを伸ばして咲き誇るひまわりの花、どこまでも広く澄みわたる青空……その全てが、私の心を鮮やかに彩ってくれる。
これが、お父様が一度は見たほうがいいと話していたノースネージュのひまわり畑……
「私も見てみたい」と幼い頃から何度も何度もせがみ、お父様はそのたびに、くるんと曲がったひげを触って、優しく笑いながらこう返してくれていた。
『戦争が終わったら一緒に見に行こう』
結局、その約束は果たされないままになってしまったけれど……
ねぇお父様。私、ちゃんとここに来れたよ。
貴方はもう隣にいないけれど、貴方が過去に見て感動した景色を、私もいまここで見ているよ。
どうやったって声を聞くことはもうできないけれど、せめて天にいるお父様に想いが届くようにと、空を見上げる。
ふと、大好きだったお父様の優しい笑顔が思い出され、涙が一すじこぼれ落ちて乾いた地面を静かに濡らしていった。
ぽろぽろ流れていく涙をぬぐって、静かに微笑む。
ここに来れて、よかった。
時間も忘れてひまわり畑を眺めていると、隣から私を呼ぶ声が聞こえてきた。
なんだろう、と顔を向けるとクライブの手が私の頬に迫ってきており、思わずきゅっと身をすくめる。
クライブはなぜかそのまま私の髪に優しく触れてきた。
らしくない行動に驚いて目をつぶり、おそるおそるまぶたを開けると、優しく微笑むクライブと視線が交わる。
「それ、やるよ」
自分の髪に何かがついている気がして、そっとつまんで手に取った。
「これは……?」
髪に挿されていたのは、手のひらにのるほど小ぶりな、可愛らしいひまわりの花だった。
「なかなか似合っていた。なんだか、子どもの頃に戻ったみたいだな」
嬉しそうに笑うクライブに不思議と目がとらわれ離せなくなってしまう。
ああ、クライブはこんな顔をして笑うんだ。
普段は決して見せてくれることのない無邪気な笑顔に、とくん、と胸の奥が動いた。
「確かに、ここに姉様とジョアンがいれば完璧ですね」
クライブを見上げて微笑むけれど、頭の中は先ほどの笑顔とひまわりのことでいっぱいになっていた。
手の中の可憐なひまわりを見るたび、クライブから花を贈られたことを変に意識してしまって、胸の高鳴りが止まらなくなる。
どうやらノースランド貴族の間では、想いを寄せている異性に自分の気持ちに合った花ことばをもつ花を贈るのが流行っているようなのだ。
クライブは流行り物に興味がなさそうだからきっと知らずに渡してきたんだろうし、じつは私も花ことばなんて一つもわからないから、ひまわりにどんな意味がこめられているのかなんてわからない。
意味はないのだと頭の中ではわかっていてもなぜか意識してしまう自分がいて、そわそわと落ち着けなかった。
「畑の主が何本か持って帰ってもいいと話していたが、どうする?」
クライブの問いかけに、大小様々なひまわりを見つめる。
ひまわりの花は好きだし、部屋に飾ってみたい気持ちもあったけれど、なぜかほかのひまわりを持ち帰るのは違うような気がした。
「私にはこの一輪があれば、十分です」
ほんの少し照れながら笑った。
そのあとは、石段に腰掛けながら、料理長が持たせてくれた軽食を食べて、昔話を少しだけしたあと、同じルートを通ってまた自室に戻り、クライブを見送った。
一人になって、小ぶりな花瓶に可愛らしいひまわりを活けて、つんとつつく。
「そうだ、せっかくだから」
ぽつりと呟き、本棚へと向かう。
手に取ったのは、ミラー夫人が先日押しつけるように貸してくれた花ことばの本だ。
花ことばに興味なんてなかったし、借りた時は絶対に開くことはないと確信していたけれど、まさかこんな形で役に立つなんて思いもしなかった。
イスに腰掛けて花の絵と花言葉が書かれたページを一枚一枚眺めながらめくる。
そういえば、ミラー夫人のお茶会で、いいなと思っていた男性から『あなたには失望した』という意味の花を贈られて『反対に私が失望したわ!』と憤慨していた女の子がいたわね。
知らずに贈ってきたとしてもセンスがなさすぎるとミラー夫人からも笑われていたっけ。
ひまわりの花ことば……か。
クライブが私にくれるようなものだ。アイツが花ことばを知っていようがいまいが、どうせ、『嫌悪』とか『偽りの愛』とか『後悔』とかだろう。
なにせ、私たちは国をつなぎとめるために結婚したわけで、恋とか愛とかそういったものとは無縁なのだから。
頭でそう思っていても好奇心には勝てず、目的のページを探していく。
「あ。あった」
ひまわりの絵が描かれたページを見つけ、花言葉の欄に視線を送ったとたん、すぐさま音をたてて勢いよく本を閉じた。
尋常じゃないほどに心臓が強く跳ねて、鼓動の音がうるさいくらいに聞こえてくる。
顔が熱く、息までも苦しくなって、指先がぴりぴりと痛い。
え、いまの何? 嘘、でしょ……?
机に吸い込まれるように顔を伏せて、身体のあちこちに発生した異常をおさめようと、深呼吸を繰り返していく。
ようやくおさまってきたかと思うと、さっきの文字を鮮明に思い出してしまい、また胸が苦しくなってしまって。
こんなの絶対に間違っていると思う一方で、懲りずにまたひまわりの花に視線を送った。
本に書かれていたのは、『嫌悪』でも『偽りの愛』でもなかった。それどころか『友情』や『感謝』、そしてもちろん『あなたには失望した』でもない。
ひまわりの花言葉、それは──
「あなただけを見つめている……」
小さなひまわりを見つめながら花言葉を読みあげると、クライブが私を壁に押しやって強い目で見つめてきた日のことを思い出してしまう。
余裕のない声と、熱をはらんだ深紅の瞳……
また胸がきゅうと締め付けられて、思わず身をすくめる。
初めて男の人から手渡された花は、自分が想像していた以上に甘く、情熱的な愛の言葉を含んでいたのだった。




