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期待と混乱

 ん? いまなんで突然、動悸がしたの? ひょっとして疲れているのかしら……。


 ロゼッタの城下町にいたレース編みが得意なおばあさんは、疲れると心臓に負担がかかって苦しくなると話していたように思う。


 この一カ月間気を張ってばかりだったから、そろそろ身体も限界なのだろう。

 いったん部屋に帰って休んだほうがいいのかもしれない。


「お話ししたかったのはこれだけです。お仕事中に失礼いたしました。私はこれで」

 立ち上がって、足早にドアへと向かう。


「ありがとう。遠くまですまなかった」


 廊下まで見送ろうとでも思っているのか、クライブが私の後ろをついてくる。


 部屋を出る前に挨拶をしようと振り返ると、クライブは何かを思い出したような声をあげた。


「そういえばティア。先ほどの北都契約第一条なのだが、最後の一文が抜けていた」

 思わずびくりと身体が震え、息が止まった。


 本当は知っていた。知っていたけれど、言えなかっただけなのだ。


 そんな私の想いも知らず、クライブはいつもと変わらない淡々とした口調で話し出した。


「王がノースランド王国を衰退させる、もしくはノースランドの誇りを汚す愚王と判断された場合、北方騎士団は該当の王に限り、処分を下すことが可能である……わけのわからん契約が多い中、これはなかなかいい契約だと思う」


 人ごとのようにクライブは話しているけれど、決して無関係な話ではない。


 クライブがもし愚王と判断されたその時は、運が良ければ交渉により王の地位を降ろされるだけで済むけれど、最悪の場合は、最強の集団と謳われる北方騎士団が、ノースランドを壊される前に殺しにやってくるのだ。


 もちろんそれは、嘘でも脅しでもなんでもない。実際にそれが原因でクライブのひいおじい様にあたる方は亡くなっているのだから。


 無言のまま視線を落とし、重ねた自身の両手をきゅっと握る。


「そんな顔をするな。俺は愚王として殺されるつもりもないし、ダリルに王位を譲ってやる気もない。お前をここに一人残したりはしない」


 クライブの言葉に、私はより強く両手を握りしめて身をすくめた。


 違う。ノースランドで一人になってしまうのが嫌だとか、自分の行く末が気になるとかそういうことじゃないの。


「めずらしいな。いつものように噛みついてこないのか? 死んでもらっても結構、とかな」


 クライブはどこか楽しげに言うけれど、私はうつむいて静かに首を横に振った。


「そんな、こと……思うわけがありません。ご冗談でもよしてくださ、い」


 意思に反して涙があふれてきて、声がか細く揺れる。まずい、このままでは泣いてしまう。


「仕事を残しているので失礼します」


 情けない顔を見られる前に早く帰ってしまおうと、慌てて後ろを向いてドアノブを握った。


 私がドアをわずかに開けたのとほぼ同時に、クライブの手が後ろから迫ってきてドアを無理やり閉じさせられる。


 驚いて振り返ると、予想外の光景が広がっており、びくりと身体が震えて固まった。


 見上げた先には、真剣な表情をしたクライブの顔があり、私の顔の左右にはクライブの両腕があったのだ。


 早くここから出たいのに両手で囲われてそれも叶わず、せめて視線が合わないようにうつむいた。


 髪に息がかかりそうなほどの距離と、強く香るクライブの香りとで胸が苦しい。


「ティア、教えてくれ。なぜ、そんな顔をしている」


 問いかけられて視線を上げると、クライブは揺らめく炎のような瞳でまっすぐに私を見おろしてきていた。


 熱にうかされたような瞳に見つめられ、自分の鼓動の音がうるさいくらいに耳につく。


 不安と緊張から、慌てて目をつぶってうつむいた。


「俺は……期待してもいいのだろうか」

 余裕のないような声で尋ねられたけれど、わけのわからない問いかけにどう答えるのが正解なのかわからない。


「き、たい……?」

 暴れる胸を押さえて顔を上げ、うわ言のように言葉を繰り返すと、クライブは困ったように笑いながら離れていった。


「いや。なんでもない。くだらないことを言い、驚かせてすまなかった」


「こちらこそ申し訳ありません、失礼いたします」


 一礼して逃げるようにクライブの部屋から出ると、マリノが気まずそうに立っているのが見えた。


「さっきの、聞こえた? マリノ、耳いいものね」

「はい……断片的に」

 マリノは静かにうなずいてくる。


 階段を無言のまま二人で降りて、衛兵の姿が見えなくなったとたん、私はぴたりと足を止め崩れるように座り込んだ。


「ねえ、マリノ。いつか陛下がダリルに陥れられて、地位を失い絶望するんじゃないかとか、北方騎士団に殺されるんじゃないかとか思うと、私……怖くて怖くてしかたがない」


 我慢していた涙が大粒の雫となり、次から次へとこぼれ落ちてドレスに小さな染みを作っていく。


「ティア様……」

 マリノは私の肩を優しくさすってくれるけれど、心はもう決壊寸前だった。


「わからないの……。どうでもいい相手のはずなのに、なぜこんなにも不安になってしまうの? さっきクライブが言っていた『きたい』の意味だって、もう何もかもがわからない」


 頭の中がぐちゃぐちゃになって、嗚咽が止まらない。


「ティア様、どうか落ち着いてください。貴女様は嫁いで一カ月とはとても思えぬほど、王妃としてご立派にお過ごしになっています。ただ、それが並大抵の努力では決してないことも、相当なご負担になってらっしゃってお心が破裂寸前であることもマリノは存じておりますし、おそらく陛下もそれをおわかりでいらっしゃいます。だから、無理に問い詰めようとなさらなかった」


 両膝をついたマリノは私の手にそっと触れてきて、必死に言葉をくれる。


「マリノは陛下のお考えがわかるの……?」


 涙声で尋ねると、マリノは何も言わずに首を横に振り、柔らかく目を細めてくれた。


「ティア様、焦る必要はありません。大丈夫、いつか必ずご自身でおわかりになる日が来ますし、それまできっと陛下は待ってくださいます。それに、陛下だってそう簡単には王位を譲ったりなんかしませんよ。ティア様がお怒りになった時のお言葉をかわすのがあんなにもお上手なのですから」


 マリノの冗談めいた言葉に、思わずくすりと笑った。


「そう、かもしれないわね」

「そうですよ」


 マリノはレースのハンカチを取り出し、とんとんと優しく涙を拭いてくれた。


 そうね、起こると決まったわけでもないのに泣いてばかりじゃいられない。


 だって私は誇り高きロゼッタ女王国の第二王女なのだ。花のように気高く、凛と生きていくのよ。


「こうやって、めそめそなんかしていられないわ! 午後はミラー夫人の魔のお茶会もあるから気合を入れないとね」


 ゆっくりと立ち上がり、マリノと顔を見合わせて笑った。


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