わかりづらい優しさ
貴族たちを納得させられる方法、か……
無理に意見を押しとおしたら、それこそ独裁政治だなんだと騒ぐ者が現れかねない。
何か、いい方法は……
「……ア様、ティア様!」
突然の声に勢いよく顔を上げると、私を見つめるマリノの心配そうな顔があった。
謁見のあとクライブに見送られ、自室隣にある執務室でマリノが帰ってくるのを待っていたのだけれど、いつの間にか考えにふけっていたようだ。
「お返事もないままお部屋に入ってしまい申し訳ありません。何度お声がけしても心ここにあらずといったご様子でしたが、もしやおつらいところでもおありですか?」
不安げなマリノの問いかけに、ため息をこぼしながら苦々しく笑う。
「ごめんなさい、考えごとをしていて」
「考えごと……先ほどの貴族二人のことですか?」
誰かに聞かれてはまずいと思ったのか、マリノは声を落として尋ねてきたけれど、私は首を横に振った。
「いいえ。王位を狙われてるのは陛下もご存じだったみたい。いま、私が考えていたのは、陛下のことでね」
関所の税の減額はいいアイデアだと思うけれど、貴族という敵がやっかいすぎる。
どうにかならないものか、と唇を曲げながら顔を上げていくと、なぜか瞳を輝かせているマリノと目があった。
「あの、つまりティア様は陛下のことを……」
マリノは幸せそうに目元口元を緩めて私を見つめてきていて……
あら、マリノの反応がおかしい。まるで、他人の恋愛話を聞くのが大好きなエミリーのような……って、ん?
ま、まさか、マリノってば『いま考えていたのは陛下のこと』という言葉を勘違いしているんじゃないだろうか。
陛下のことを考えていた、って、そういう意味じゃない!
「ちがう! 好きとかじゃないわ、断じてない! 勘違いはよして!」
ほてる顔の熱を冷ますように頭をぶんぶんと振り、大声をあげた。
私が嫌味で無口なクライブを好きなんて、そんな笑えない冗談みたいなことあるわけないでしょう!?
何より向こうだって、私なんかに好かれても困るに決まっている。
否定する私にマリノはきょとんとした顔をして、これまた意味不明な言葉を発してくる。
「そうなのですか。ですが、お二人はとてもお似合いだと思いますよ」
悪びれもなく放たれた言葉に、顔から一切の感情が消えたのが自分でもわかった。
このあいだからマリノは私たちの何を見てそんなことを言うのだろう。こんなにも仲が悪くて、触れ合いも甘い会話もなく、互いに無関心なのに。
まだ一度も頼んでいないけれど、ちまたで流行っている占いなんかしてみたら、相性が最悪とでるに違いない。
「マリノは陛下をやたら推すけれど、私からしてみれば幼なじみの中で結婚するのならまだジョアンやゲイルのほうがいいわ」
「ふふ、ティア様はサウス王国の王子様のほうがお好みでしたか。ですが、第二王子のゲイル殿下はレイ王国の姫君に首ったけとの噂がありますし、第一王子のジョアン殿下は……うーん、どうなんでしょう」
あら、意外。マリノからしたらジョアンはだめなのね。
もう十年近く会っていないけれど、ジョアンは小さい頃私を妹みたいに可愛がってくれていたし、結構好きだったんだけどなぁ。
恋愛的な意味ではないけれど。
「マリノからしたら、あの無口で嫌味な陛下はそんなにいい男なのね」
アイツは表情に乏しいし、嫌味だし、口数少なすぎるし、何考えているか読めないし、私はマリノのように好意的には思えない。
「うーん、まぁそうですね。私がいまのところこの国で心から信頼できると思うのは三人だけです。ティア様、夫であるアンディ、そしてクライブ陛下です。あの方は本当にティア様を大切にしてくださっていますから」
マリノはいつものように優しい笑顔を向けてくるけれど、私は眉を寄せて不快感をあらわにした。
「このあいだも言っていたけれど、毎朝訪ねて来るから大切にしているって、マリノは思うの? 私は、そういうふうには思えないのだけど」
すると、なぜかマリノの視線が落ちていき、表情もだんだんと困ったようなものになっていく。
「恋というものがわからない。初恋もまだだ、とお話しされていたティア様にこのようなお話をするのは酷かもしれませんが……」
その表情と声のトーンに、きっと言いづらい話で私にとって耳の痛い話なのだろうとすぐにわかった。
けれど、そこから逃げてはいけない気がして、自身の両手を強く握る。
「どんな話でも最後まで聞くわ。ちゃんと聞かせて」
伏し目がちなマリノをまっすぐ見つめて言うと、マリノは静かにうなずいて、険しい表情のまま口を開いた。
「一般的に他国から嫁いで王妃となった場合、王女だった頃に比べ、非常に多くの複雑な仕事を任されます。ティア様は飲み込みも早く、日々こなされていますが……実は一つだけ、できていない大切なお仕事があるのです」
マリノはまた視線を落として口ごもる。なかなか言葉を続けられないマリノに対し、私は苦々しく笑った。
「……夜のお相手、ってやつでしょ。母様や家庭教師からも聞いたし、わかってる」
まだロゼッタにいた頃、突然母様から『一カ月後ノースランドに嫁げ』と聞かされた私は自室に一人で閉じこもり、干からびて死ぬんじゃないかというくらいに泣いた。
隣国とはいえ、ノースランドは文化や歴史も違う国。
ロゼッタを出ることももちろん怖かったけれど、恋も愛もよくわからないまま、顔も声も知らない男に抱かれるであろうことが一番恐ろしかった。
相手がどのような男だとしても一生を捧げる覚悟をしなければと、何度も自分に言い聞かせた。
幼なじみとはいえ子どもの頃以来一度も会っていなかったし、クライブがどんな人になっていたのかもわからなくて。
ノースランドでのはじめての夜を想像すると、怖くて怖くてしかたがなかった。
だけど……幸いなことにクライブは私自身には全くと言っていいほど興味がなかったのだ。
大人になったクライブに初めて会ったのは、国境を越えてすぐ、花嫁引き渡しの儀の時で。
ロゼッタ式のドレスやアクセサリーを全て脱いでノースランド式のものを身につけたあとのこと。
馬車の中、隣どうしで腰掛けている時、アイツは私が決死の覚悟で嫁いできたなんてつゆ知らず「なんて色のないやつ」だとか「五階に部屋をやるつもりはない」だとか、そんなひどいことを言ってきたのだ。
ロゼッタのような女王国ならまだしも、基本的に王権の国では女性にさほど力はないし、男性に守られて生きていくしかない。
なのに、二人きりの最初の言葉がそれだなんてひどいにもほどがある。
どうでもいいのなら放置しておけばいいのに、クライブはなぜか毎朝私の部屋に来て嫌味を言ったら帰っていく。
甘い雰囲気になったことは一度だってないし、アイツとはキスどころか手を繋いだことすらない。
友だち以上恋人未満、どころではなく、顔見知り以上友だち未満といった感じなのだ。
本当にわけがわからない。
「王妃としてこんなことを思うのは失格なのでしょうけど、陛下が私に興味がなくてよかったと、つくづく思うわ。ノースランドでは愛妾の子でも王位継承権が与えられることもあるようだし、クライブもいずれ愛妾をつくってその子どもが王位を継ぐでしょう」
他人事のように話す私に、マリノは困ったように笑った。
「ティア様はそれで、どうされるのです?」
「私? 私は仕事を覚えて完璧にこなして、民や大臣から必要とされる王妃になるの。そうすれば、国のお荷物にはならないし追い出されることもないでしょう?」
困惑していたマリノは、今度は半ば怒ったような顔を見せてきた。
「ティア様は自己評価が低くていらっしゃいます。ティア様は女の私から見ても、お美しく、とても魅力的な女性です。男性からしてみればなおのこと。男性は愛などなくとも欲だけで女性に触れることだってありえます。それなのに、陛下がティア様にずっと触れないままでいらっしゃるのは優しさからかもしれませんよ?」
「そういうものなのかしら」
「そういうものです。とにかく、無理強いしないなんて、大切に思っていなければできることではありません」
マリノの言葉にたどたどしくうなずく。
思い返してみれば、クライブは城内をうろつく貴族たちに『ノースランド復興に集中するため、王妃とは部屋を別に分け、遠くにしたい』と話してまわっていたようで。
もしかして、あれは私への心象が悪くならないように根回しをしてくれていた?
でも、そんなふうに優しくしてくれるのならなぜ私を突っぱねてきたり、ひどいことを言ってきたりするのだろう。
ただの気まぐれ? それとも何か理由があるの?
「陛下は、ティア様のおっしゃるようにお言葉こそ少ないですが、お優しい方ですよ。とってもわかりづらいですけれど」
穏やかに話すマリノは、私の目を見て柔らかく微笑んできた。
――このあとなら時間がとれる
――ありがとう、うまかった
日常の中のアイツの何気ない言葉や仕草が浮かんでまた消えていく。
なんとなくこの気持ちと向き合いたくなくて、視線を落として深いため息をついた。
「そんなの……私もわかってる。でも嫌いなものは嫌いだし、ムカつくことに変わりはないわ」
つっけんどんな態度の私にマリノはまた困ったように微笑んで、ぽつりと呟く。
「トラウ…………消えないのですね」
「マリノ、いま何か言った?」
何かが消えない、って聞こえたような気がしたけれど。
「いいえ。ただの一人言ですよ」




