クライブの政策
「クライブ陛下、ティア王妃殿下。謁見お疲れさまでございます」
謁見の間から出ると、マリノが深々と頭を下げていた。
「マリノ、長かったし待つのは疲れたでしょう。ありがとう」
申し訳ないという気持ちを込めて微笑むと、マリノは柔らかい笑顔で首を横に振ってきた。
「ありがたきお言葉です。私はティア王妃殿下にお仕えするのが仕事、お気になさらないでくださいませ」
マリノは話しながら、私の隣に立つクライブに視線を送る。
もしかしたら、いつも別々に出てくるのに一緒に出てきたものだから不思議に思ったのかもしれない。
「ええと、部屋まで送ってくださるそうで。あ、でも陛下、マリノがいるから大丈夫ですよ。陛下もお仕事がありますし、このままお部屋にお戻りいただいたほうが……」
クライブと一緒に帰るよりはマリノとのほうが気兼ねしなくていいし、疲れないでいられる。
このままここで別れたい……なんて思っていたら、マリノが「あぁっ!」と何かを思い出したような声をあげた。
「マリノ、突然どうしたの?」
「王妃殿下、申し訳ございません。私、必要な書状を取り寄せておくのを忘れてしまいました」
マリノは慌てた様子で、ぺこぺこと何度も謝ってくる。
「そんな大丈夫よ。いまからでも間に合うし、急ぎでもないし。でも、マリノが忘れ物をするなんて、めずらしいこともあるものね」
十年以上マリノと一緒にいるけれど、彼女が忘れ物をしたり失敗をしたりしたところなんて、ここ数年数えるほどしか見ていない。
「本当に申し訳ございません。あ、あの、陛下……」
困った顔でマリノはクライブの顔を見上げていく。
「ああ、ティアは俺が部屋まで送ろう」
静かにうなずくクライブにマリノは嬉しそうに微笑んで礼を言い、すぐに書類を取りに駆けて行ってしまった。
「マリノったら、いったいどうしちゃったのかしら」
何か困りごとがあるだとか、体調が優れないだとかじゃなければいいけど……
必死に考えていると、クライブの声が上から降ってくる。
「いやにおせっかいな侍女だな」
ん? いま、なんて言った。優しくて明るくて、仕事ができるマリノがおせっかいだと!
「……マリノを馬鹿にしているんですか?」
いくらノースランドの王でも、私の大切なマリノを見下すのは絶対に許せない!
いったいどんな顔でこんな失礼なことを言うんだ、コイツは。
不機嫌さ全開でクライブの顔を見上げると、めずらしく楽しそうに笑っていた。
「いや、褒めているんだ。ずいぶんと気がきく侍女だ、と」
静かな廊下に固い靴の音がこだましていく。
わざわざ自分が送らなくても、少し離れたところをついて歩く近衛兵二人のどちらかに私を送らせればいいのに。
急に部屋まで送ると言ってくるなんて、コイツはいったいどうしたのだろう。
なんだかクライブに近い右肩がどうにも落ち着かず、右隣を歩くコイツのことが気になってしかたがない。
見ていることがバレたくなくて、ちらちらと小分けにして視線を送るけれど、コイツの横顔はいつもと同じで何を考えているのかさっぱりわからなかった。
変に疲れちゃうし、こんなことならマリノと帰りたかったわ。
こぼれそうなため息を飲み込んで視線を落とすと、クライブの声が上から聞こえてくる。
「どうした、何か言いたいことでもあるのか」
「え?」
「しかめっつらをしたり、こちらを何度も見たり、言いたいことがあるなら正直に言え。らしくもない」
数歩歩いて振り返るとクライブは足を止めており、私をじとっと見つめてきていた。
え、えええ! 嘘でしょ、見てたのバレてたの!? コイツ鋭すぎる。絶対人じゃない!
混乱する頭を無理矢理落ち着かせ、正直に言おうかなんて考えたけれど『なんとなく気になるから、ちらちら見ていた』だなんて、口が裂けても言えない。
私がコイツに言いたいこと、聞きたいこと……
慌てて考えを巡らせて、ようやく一つだけ見つけた。
私がクライブに聞いてみたいこと。
ふぅと息を吐いて心を落ちつかせ、クライブの目を見つめ返した。
「モンド卿とコナー卿が陛下の政策に賛同しかねているようなのですが、陛下はいったい何をなさろうとしているのですか」
あの二人から反感を買うような政策とはいったいなんなのか、それをずっと疑問に思っていたのだ。
ちょうどいい機会だし本当のこともごまかせるし、私はここぞとばかりに尋ねた。
クライブはまた歩き出し、淡々と言葉を発する。
「関所の税の減額だ」
クライブの言葉に自身の口角がにいっと上がっていくのを感じた。
確かにこれまでずっと、ノースランドに入国するための税はやたらと高かったのだ。
少なく見積もっても、ロゼッタやサウスに入国する時の倍はかかる。
そのせいか、ノースランドでは他国の品が非常に手に入りにくくなっているし、せっかくこの国には温泉や火山、ひまわり畑などの観光地や、火炎石、ノース水晶といった特産品だってあるのに、入国してくる人が少なくて。
紅茶や本を持ってきてくれる交易商人たちも高すぎる税がネックなのかめったにノースランドに来てくれないし、私も困り果てていたのだ。
「関所の税の減額、賛成! すごくいい!」
クライブの提案に飛び上がって手をたたいて笑う。
私の様子に目を丸くしてきたクライブはすぐにくすりと笑った。
「王妃、廊下なのにいいのか? 口調が乱れているぞ」
クライブが楽しそうに微笑む姿を見て、自分の顔が熱くなっていくのを感じる。
子どもだと思われているようでなんだか少し悔しくて、口を尖らせた。
そんな私の姿を見てくることもなく視線を前に移したクライブは、まるで歴史を教える先生のように堂々と語り始める。
「ティアも知ってのとおり、隣接するユーリア三国はそれぞれ特色が異なっている。サウスは薬と香辛料、商人たちの国。ロゼッタは香水と絹、薔薇の国。ノースランドは騎士と火山の国……戦争が終わったいま、ノースランドの価値は急激に落ちてきている」
「だから、税を緩和して温泉に人を集めようとしているのですか?」
手こそ挙げなかったものの、私はクライブの講義を聞く生徒のように質問をした。
国境近くにあるプロプト火山のおかげで、ノースランドでは温泉があちこちに沸き出ており、火炎石のもととなる石や鉱物が豊富に採掘できるのだ。
「それもあるが、交易を活性化させたいと思っている。騎士団の連中によると、ノースランドは火炎石の生成だけではなく、酒作りや装飾品の技術も他国に比べ秀でているようだから。もし、それが他国に売れれば国も豊かになるだろうしな。ただ、そうするためには、あの無駄に高い税をどうにかしなければならないのだが……」
クライブの煮えきらない様子に無言のまま首をかしげる。
「他国の者がノースランドに入って来るのが、貴族らは反対のようで話がなかなか進まない。よそ者など信用ならず恐ろしい、王の身が危ないなどと言っている。だが、本心ではただ、身分の低い交易商人や新しい考えかたを持った者たちがノースランドに入ってくるのが嫌なだけなのだろう」
「……愚かだわ」
いつもクライブがしているように、私もふんと鼻で笑う。
「まあな。今日の午後の会議もその話題で終わるかもしれない。どうにかして納得させられるといいのだが」
それからずっと、いつもと違う少し弱気なクライブのことが気になってしかたなかった。




