王と王妃
★☆2023年6月20日アマゾナイトノベルズ様より電子書籍化しました。全3巻予定です☆★
電子書籍化はこちらの作品をもとに改稿を行い、より甘くて説得力のあるものになっています。
第3巻には、書き下ろしの番外編も3つありますので、どうぞよろしくお願いします。
2.3巻の配信日は今後決定します。
春の空を駆けるように、礼拝堂の鐘が鳴り響く。
王の婚姻と、王妃の即位を告げる音に歓声が湧き起こり、大気が震えた。
参列した貴族たちの視線は祝福、懐疑、期待や尊敬、嫉妬など、あらゆる感情を含み、身体にまとわりついてくるようで。
王妃として怯むわけにはいかないと、柔らかな笑みを顔に貼りつけながら足を進めた。
「ああ、ティア王妃殿下。なんてお幸せそうなのかしら」
お気楽な声が聞こえてきたけれど、本当にそう思う?
突然決められた結婚に、嫁ぎ先は文化や歴史も違うよその国。その上、結婚相手は大して記憶に残っていない幼なじみの男……
ノースランドが隣国で相手の歳が近いだけマシとはいえ、こんな結婚を幸せだと思うほうがどうかしている。
愛なんて欠片もない私の結婚。これからの日々を思うと、心はどこまでも深く沈んだ。
そんな結婚式から、早いもので一カ月の時が過ぎた。
ただ広いだけの自室も重厚な造りをした城も、知らない人ばかりの環境も、未だ何一つ慣れやしないし好きになんかなれない。
うねる金髪をくしでとかしてため息をこぼし、窓へと向かった。レースカーテンを少し開けると輝く朝日が山の上に浮かんでいて、中庭の木には可愛らしい小鳥が二羽とまっている。
つがいなのかしら。近づいては離れてを繰り返し、まるで踊っているみたい。
可愛らしいダンスに笑みがこぼれるけれど、すぐに視線を落として窓の下枠を握りしめた。
……いまの私とは大違い。あの夫と仲睦まじくするなんて、想像することさえ難しいから。
あぁそうか。きっと私はいまの環境が嫌いなわけじゃない。アイツが嫌いなんだわ。
理由がわかったところで乾いた笑いをこぼすと、いつものようにドアのノック音が響いた。
……今日も来た。
しかたなしに「どうぞ」と告げると、入ってきた人は予想どおり。大嫌いなアイツ。
「クライブ陛下。おはようございます」
ドレスを軽くつまみ、腰を落として礼をする。もちろん形式ばかりで、気持ちなんか一切こもっていない。
「ああ。おはようティア」
朝っぱらから辛気くさい無表情で話しかけてくるコイツは、ノースランド王国の国王クライブ・イグニットだ。
一カ月前、私はこの男の妻としてノースランド王国に迎えられた。
花嫁引き渡しの儀のあとすぐ、クライブの嫌味ったらしい本性を知ってしまった私は、どうやってもコイツを夫として見ることができなくて。
いまではもう、闇夜に似た漆黒の髪も、炎のような深紅の瞳も、表情に乏しい顔も、私を見下すような視線も声も、コイツの全てがカンにさわって腹立たしいと思うほどになっていた。
侍女や貴族の娘たちは王であるクライブをかっこいいだとか、美しくて優しいだとか、まだ二十歳と若いのに聡明だとか、さらには愛妾にしてほしいだとか裏でいろいろ言っているようだけど、とんでもない。
どう考えたって、コイツがそんな素敵な殿方なわけないじゃない!
彼女たちが話す内容で合っているのは『美しい』ということだけ。すっと通った鼻すじに滑らかな肌、整いすぎた顔、そしてめずらしい真紅の瞳。どれも美しい以外に形容する言葉が見当たらない。
陛下は聡明でお優しい方ですよ、なんて声も聞こえてきそうだけど、クライブが優しくするのはきっと、自分に利があるやつに対してだけ。
愛妾になりたいくらい素敵な殿方です、って? 何考えているのかちっともわからない、無愛想で嫌味ったらしい男と結婚させられたこっちの身にもなってみろというのよ!
大荒れな心を無理やり抑えて平常心を装い、笑みを浮かべる。
「陛下、本日はなんのご用でしょうか?」
私の問いかけに、クライブは怪訝な顔をして口を開いた。
「お前、昨晩はいったいどうした」
「……昨晩? あぁ、レイ王国の王子殿下をもてなす晩餐会のことでしょうか? 妻の役割を担う者として陛下をうやまうのは当然でございます」
私の返答になるほどとクライブはわずかに口角を上げて笑う。
「それならいつもそうしていれば、可愛げがあるものを」
……ああ、そう。つまりは、いつもの私は可愛げがない、ってことね。でも、べつに可愛いと思ってもらわなくて結構。好かれたいなんて微塵も思っていないし。
むっと口を曲げて、睨みつける。
ノースランド王国の新王妃として認めてもらえるように死にものぐるいで頑張らなければと思っていたのに、そんな想いは初日にして崩れ去った。
クライブは傲慢でそっけなくて、私の想いなんて知らんぷり。私を妻どころか女扱いする気もさらさらないようで。
『この人とは一生分かり合えない』なんて思ったあの日、私は密かにコイツを敵として認定したのだ。
歩み寄る気のない私の態度にクライブは、ふんと鼻を鳴らした。
「本当に可愛げがない」
独り言のようなクライブの言葉に、怒りが噴き出してくるのが自分でもわかった。
ドレスの膨らみで見えないのをいいことに、大股開きで立ってクライブに指を突きつけ口を開く。
「私たちは幼なじみでしたから、私も陛下にならって本音をお伝えしますけど、私が望んでノースランド王国に来たとお思いですか!? そんなの見当違いもはなはだしいですよ」
「まったく……口が悪い、態度も悪い。フローレス女王家の娘は皆、そんなに品がないものなのか」
やれやれといった態度に、怒りは膨れるように増していく。
「私がこんなふうになったのは誰のせいなんでしょうかね? 嫌味ったらしくて弱虫な王子様の見解を聞かせていただきたいですね」
なんて食ってかかるけれど、クライブはため息をついてばかりで一向に私のケンカを買おうとしてこない。
それどころか、歯牙にもかけない様子で淡々と返してきた。
「残念ながら二年前から俺は王子じゃない。子どもの頃の話を持ち出してまでケンカをふっかけるなど品がない上に、器量まで小さい。あのロゼッタ女王国の第二王女だったとはとても思えん」
――っ、なんだとコイツ!
どんなに睨みつけてもクライブは表情一つ変えやしない。コイツのそんなところがまた、面白くない。
さらに追加で嫌味を放とうとしたところで、ふと我に返った。
このままじゃだめだ。亡くなったお父様にも、ずっと言われていたじゃないか。
『素直すぎるのがティアのいいところでもあるけれど、悪いところでもある』って。
『王族としての誇りを持って、気高く美しいふるまいができれば、ティアはもっと素敵な女性になれるはずだから』って。
そう、私は誇り高きロゼッタ女王国の第二王女。こんなやつに振り回され続けるなんてみっともないし、国の恥だわ。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、開いた足を静かに閉じて両手を重ねる。幼い頃、しつこいくらいに叩きこまれた美しい立ち姿というやつを完璧なまでに披露した。
ただ一つ減点があるとするならば、私の顔だけ。ふんわりとした笑みからはほど遠く、このアクアマリン色の瞳も射殺すような視線を向けているだろうから。
「陛下。確かに私はノースランドの王妃です。ですがそれは役職であり、仕事のようなもの。業務はきっちりとこなしますが、プライベートまで妻でいる気なんか毛頭ありませんし、この心まで貴方様にお渡しするつもりもありません」
「ほう」
クライブは鼻で笑い不敵な笑みを浮かべてくる。
くそう、何を言っても無駄か。それにしてもコイツ、いつまでここにいるつもりなのよ。
眉根を寄せる私にクライブは、ふんと笑う。
「これ以上、品のない女を相手にしている暇などなし。俺は帰るとするよ」
なんですって!? 暇がないなら毎朝毎朝こんなところまで来なきゃいいじゃない!
飛びだしそうな恨み言をぐっと飲み込んで、去りゆくクライブの背中にお辞儀をする。
「よい一日をお過ごしくださいませ」
ロゼッタ女王国の第二王女として、『嫌だ』という個人的な理由で王妃の職を拒絶することも、さらには国に出戻ることも絶対に許されない。
幸せな結婚も、第二王女には望めないとわかっている。
それならせめて言葉と態度だけは立派な王妃を演じきって、仕事だって完璧にこなし、ノースランドの民の心を掴んでみせるわ。
演じるのは勤務時間の間だけだけど、ね!
ドアの向こうに消えていくクライブを睨みつけながら、強く心に誓った。