「私のパパになってくれませんか?」
俺の名前は大宮 圭介。
今日で30になる。
いや、なっちまった。
おめでとう、俺!
アンハッピーバースディ!
……俺には何もなかった。
誕生日を祝ってくれる家族も居ないし、
ましてや恋人も居ない。
友人? ……居るには居るよ。
みんなして30歳に怯えている。
大人になった自信なんてないのに、
年齢ばかり積み重なるのが辛いんだ。
――俺と一緒でな。
職もない。
この不況で会社が潰れちまったからだ。
一年間貯金と雇用保険でつないだが、
それももうそろそろ限界だ。
手に職って言葉が、
こんなに重いとは思わなかった。
しょうがないよな。
なんの才能もないんだもん、俺。
あーあ。
どうしてこうなっちまったんだろう。
もうあと10年、
いや、高校生か中学生に戻れたら。
無駄に時間を浪費せずに、
なにかにチャレンジしたり。
なにかを磨き上げたり。
もっと有意義に、
後悔しない人生を歩んでみせるのに。
そんな意味のない妄想を纏いながら、
俺は夜の繁華街をあてなく
うろついていた。
少しは寂しさが紛れると思ったんだ。
だけど知らない人間ばかりの雑踏で、
俺の寂しさは募っていくばかりだった。
気がついたら、
建設中のビルの屋上に居た。
どうやってそこまでやってきたのかは
もう忘れちまった。
ただ、
何をしようとしているのかはわかる。
俺みたいな空っぽの役立たずが、この世から消えたところで、誰も困らないさ。
さっきまで歩いていた雑居ビル街が、
酷く小さく見える。
怖くはなかった。
怖いという気持ちすら空っぽだった。
真下の地面に敷かれた建築用の鉄板が、
吸い込むように俺を魅了する。
これは即死だな。
ま、助かる余地なんてないだろうけど。
生まれ変わったら、今度こそちゃんと人生を歩もう。……そういうのって、予約とかできないのかねぇ。
そんな馬鹿な事を考えてふっと笑い、
じゃあ、あばよ。
「……寒いですね、ここ」
女の子の声だった。
今にも踏み出そうとした直前だ。
こんなところで人に出くわすとは思わなかったから、酷くびっくりした。
髪型はポニーテール。
着ているのはセーラー服。
女子高生……いや、中学生か?
どっちにしろ場違い過ぎる。
なんでこんな時間にこんな所に?
「お散歩ですか?」
女の子は朗らかに笑い、
こちらに歩んでくる。
「いや……その」
無垢なその笑顔にたじろぎ、
言葉に詰まる。
……が、どうせ捨てる命だ。
そう気を取り直して、俺は、
「みてわからないか?」
言外に
〝制止は無意味だ〟と含ませながら
強気の口調で言った。
だが女の子はまったく怯まず、
何を考えているのかにっこり笑い、
「夜景を見にきたんですよね♪」
がくり。
「違う! 飛び降り!
俺は今から飛び降りるのっ!」
はっきり言わないとわかってくれなさそうなんで俺はストレートに宣言した。
するとやっとわかってくれたのか
ハッとなった少女は口元に手をやり、
「え、でも。
飛び降りたら痛いですよ?」
……あんまりわかってくれなかった。
「いや痛いとか痛くないとかそういう次元じゃなくて、……あーっ、もーっ!」
完全に毒気抜かれた俺は、
その場に座り込んだ。
「飛び降りやめちゃうんですか?」
「やめた。日を改める」
「改めるぐらいなら今やっても変わらないとおもうんですけど」
えー。
なんなのよこいつ。
「自殺を止めにきたんじゃないの?」
「えっ!?
自殺するつもりだったんですかっ!?」
がくり。
「ほかになんで飛び降りると思う!?」
「……なんで飛び降りちゃうんですか?」
「……う」
今の一言、けっこうぐさっときた。
そういや、
……なんで俺、自殺なんて考えたんだ?
「何か、辛いことがあったんですか?」
「……いや」
俺はちょっと考えて、こう答えた。
「辛いことがあったわけじゃない。
生きていくことが苦しいからだ。
……プラスでも、マイナスでもない。
俺の人生は空っぽなんだよ」
きっとせめて、マイナスなら。
それを経験とバネにして生きていく術を磨くことができたのかもしれない。
俺にはそれすらない。
ただただ平凡に、
少しづつ、少しづつ右肩下がり。
気がついたら地の上を這う人生だった。
「もう、飽きちまったんだよ」
すると女の子は
不思議そうな顔で俺を覗き込んで、
「〝空っぽ〟って、なんですか?」
そうだよな。
わかるわけないよな。
こんな若い子に、何話してんだ、俺。
いっそう情けなくなってくる。
「……キミにはわからないよ」
俺が説明を諦めて言う。
と、女の子は首を左右に振り、
俺の手に触れた。
こんなに歳の差があるのに、
女子への免疫が無いから
妙にどきりとした。
「空っぽなんて人は居ないですよ」
女の子はそう言った。
「だから、キミの若さじゃ、
まだわからないんだ」
「いいえ。ほら」
彼女は俺の手を取り、
「わたしもあなたも、
からっぽなんかじゃ無いです」
驚いた。
女の子がこんなおじさんの手を自分の胸に押し当て、にっこり笑ったのだ。
女の子には嫌悪感のある臭いや汗がこびりついているだろう、おじさんの手だ。
それなのに彼女はそれを、
まるで赤子をあやす様に優しく撫で、
そして子守唄のように語る。
「だってほら。二人とも
どくんどくんって脈打ってる」
異性の肌に触れることに、性的な行為以外の意味があるなんて、初めて知った。
胸のうちに、なにか、
懐かしいものがこみ上げてくる。
「本当にからっぽなら、
あなたは悩んだりしないよ。
――ただ、気がつかないだけ」
そして俺の手を頬に当てて。
「こんなに満たされているのに、
あなたは忘れちゃってるだけなの」
止してくれ。
やめろ、やめてくれ。
……それ以上優しくされると、俺。
――……人前で泣くのは、
何年ぶりだっただろうか。
こんなに情けない俺の姿を、
彼女は側で静かに見守ってくれていた。
落ち着くまでずっと側にいてくれた。
……こうして俺は、生まれ変わった。
自分に何ができるのかわからないけど、
もう一度探してみよう。
そう思うことができた。
彼女に伝え、礼を言う。
すると、彼女はこう言った。
「ねえ、
もし行く所がないのなら……」
「私の〝パパ〟になってくれませんか?」
この不思議な提案を、俺は深く考えずに受けてしまった。
なんというか、気分もあったんだ。
この子と一緒に居たいって、
そういう感じの。
――それが、人生を大きく動かすことまでは、さすがに気づくことができなかった。
彼女の名前は瀬川 香苗。
承諾した俺に、
かなえはさらにこう言った。
「パパっ!
ハッピーバースディ☆」
……あれ。
なんで今日誕生日って知ってるの?
「えへへ。
――それはまだ秘密っ!」
「いいけど。オジサンとデートしても、
あんまりお小遣い出せないよ?」
「そういう意味のパパじゃありません」
ぺしっ。
普通につっこみいれられた。




