9、逃避行(その5)「休憩4時間ご利用¥4,000-」
数時間後、哲はダブルベッドの端に腰かけてテレビを眺めていた。
どのチャンネルを回してニュースを見ても、倉庫街で遺体が見つかったなどというニュースはやっていなかった。
哲は安堵の溜め息をつき、ペットボトルのお茶を飲み干した。緊張のせいか、やけに喉が渇く。シャワールームから聞こえてくる音は極力意識しないように努めていた。
現在の居場所は神奈川県内の中心都市にある、いわゆるラブホテルと呼ばれる施設であった。
行くあてを失った彼らが逃げ込んだ束の間の安息の地だ。
状況から考えて、田中が哲たちを始末しようとしていたのは間違いなかった。その行動に何処まで和光捷子の意向が働いていたかはわからないが、少なくとも彼女が無関係とは思えず、そうであるならば今後、和光捷子に連なる人物に救いを求める事はできなかった。
これからは独力で逃避行を続ける他になかった。
やがて、シャワーの音が止まり、背後で朝莉が出てくる音がした。
「や、やぁ!少しは気分転換になったかい」
「はい。サッパリしました。昨日からお風呂入れてませんでしたから」
濡れた髪の朝莉が微笑みながら答えてきた。相変わらずその顔には憔悴の色が濃く出ていたが、それでも笑えるようになったのは一歩前進かもしれないと哲は思った。
「先輩もどうですか?」
「そ、そうだね。そうだよね。うん、入ってくるよアハハハハ。君は何か面白いテレビでも観てるといいよ」
適当にチャンネルを変えた途端、成人向けの映像が大写しになり、哲は絶叫をあげてチャンネルを戻し、朝莉の手に押しつけた。
逃げるようにしてシャワールームに飛び込む。
「……はぁ~~。落ち着かね~!」
哲は頭を抱えて悶絶した。
「ヤバい、いい匂いした。今野のくせに。クソ」
二人がこのホテルに入ったのは、本来の意味での休憩の為だった。
倉庫でのショッキングな出来事があった上に、殆んど飲まず食わず睡眠もとらずに過ごしてきて、心身ともに疲労の限界だったからだ。
とりわけ、朝莉の憔悴具合は見るに耐えないものだった。その責任の半分以上は自分にある哲としては、彼女を少しでも休ませてやりたかった。
他意はない。そう、他意はないのだ。
「……でも一応、シャワー浴びて洗っといた方がいいよね。念の為だし」
念入りに体を清め、歯まで磨いた後で、哲はギコチない動きで部屋に戻った。
「あ、おかえりなさい。今日は晴れみたいですね~」
朝莉が微笑みかけてくる。
「あぁ、うん。よかったよかった。晴れはいいよね~……って、おいちょっと。今野おまえ、お酒飲んでるの?」
「あははは。バレました?」
悪戯っぽい笑いを浮かべて朝莉が缶を振ってみせた。どうやら冷蔵庫に備えられていた酒に手をつけたらしい。
「おいおい、いいのかよ~」
「……実はちょっと怖くて不安で頭がおかしくなっちゃいそうで。酔っ払ったらなんとかなるかって思って酒に溺れてみました~」
少し酔ったのか、頬を赤らめながら朝莉は微笑む。
なるほど、気分が回復したのは酒の力だったようだ。あまり褒められたものではないが、今の彼女の心境を考えれば咎めたてる気にはならなかった。
「オッサンかよ!……いいけど、あまり飲み過ぎるなよ」
「大丈夫ですよ~ジュースみたいなものですよ。甘くて美味しいですよ?先輩もどうですか?」
「え?え?え?あ、うん」
思わず受け取りながら、哲はマジマジとそのアルミ缶を見つめてしまった。
「……先輩、ひょっとして間接キスだとか思ってます?」
「おおおお思ってないし!全然余裕だし」
哲は慌てて呷った。甘い味の後に仄かなアルコールが口の中に広がった。
「……ふぅ」
「美味しいですよね」
笑いかけてくる朝莉の隣に腰を下ろし、哲は尋ねた。
「おまえ、酒とか飲むんだ」
「お父さんが晩酌してる時に、たまにふざけて一口二口貰うくらいですよ?先輩はしないんですか?」
「オヤジにビール飲ましてもらったことあるけど、チョーマズかった」
「あ~、わかる~。苦くてマズいですよね?なんで大人ってあんなモノ美味しそうに飲むんだろ」
他愛無い会話を交わしながらも、哲は緊張で心臓がバクバクしていた。
朝莉から石鹸の匂いが漂ってきてひどく落ち着かない。
「……先輩、どうしたんですか?キョドりすぎですけど……ひょっとして、変な事考えてませんよね?」
「考えてない考えてない!まっさかー!」
声が裏返った。
身の危険を感じたのか、朝莉が少し距離をとりながら睨みつけてきたその後で、情けない哲の顔に堪えきれずに噴き出した。
「あはは、先輩ヤバいですよ~チョーキモいです」
「う、うるさいな!仕方ないだろ!ちょっと緊張してんだから!」
「哲先輩、ラブホ初めてですか?」
「当たり前だろ!………てか、今野は来たことあるの??ひょっとして??」
哲は驚いたように聞き返した。
「え~?気になっちゃいます?そういうの?」
不敵な笑みに何故だか無性に不安に突き落とされた。
そういえば、こう見えてこの後輩は生徒たちからの人気は高かった。
哲自身は、普段は殆んど異性として意識をしてこなかったが、客観的に見てルックスは悪くないし、明るく人懐こいキャラの彼女がモテない筈がなかった。
彼女が誰かと付き合ってるという話は聞いた事がなかったが、それだって特別彼女の事を意識してた訳じゃなかったから、当然情報漏れという事だってある。
「え?え?あるの?誰と?」
「フフッ」
含み笑いが妙に色っぽく感じられた。




