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9、逃避行(その4)「アンラッキーヒット」

 幸い、田中の放った銃弾は二人を逸れたが、倉庫内に反響した銃声の大きさと、跳弾した弾丸の音に驚き、哲たちは大きくバランスを崩した。

 哲は尻餅をついてしまい、朝莉は窓の桟から転げ落ちて悲鳴をあげた。

 田中が口の端を捻じ曲げながら近づいてきた。

「ったく、手間取らせやがってこの野郎」

 恐怖に固まる哲に、朝莉が金切り声をあげる。

「先輩、逃げて!」

「うるせぇこのアマ!」

 田中が手加減のない蹴りを朝莉の腹に叩き込み、朝莉は蹲ったまま動けなくなった。

「お嬢ちゃんの相手は後でたっぷりしてやるよ。こっちの坊主をまずった後でな」

 哲は悲鳴をあげた。

 尻餅をついたまま後ずさる。

 進んだ向きが悪かったのか、コンテナにぶつかりすぐに動けなくなった。

 目の前では冷酷な笑みを浮かべた田中が拳銃をこちらに向けていた。絶望に震える哲に向けて声をかける。

「悪く思うなよ?こっちも仕事なんでな」

 その田中の後ろに朝莉の姿が見えた。

 近くに置いてあった溶剤らしき一斗缶を掴んだ朝莉が、目を瞑ったまま闇雲に「えいっ!」とこちらに向けて投げつけてきた。

 恐らく威嚇か、或いは一瞬でも自分の方に意識を向けさせるつもりで投げられた朝莉の一投は、その当人も思いもつかない結果を生んだ。

 力任せに投げつけられた缶が田中のこめかみ辺りに命中したのだ。

 バランスを崩した田中がよろめき、近くのコンテナの角にぶつかって昏倒すると動かなくなる。

 朝莉は、思いもかけぬ僥倖に自分でも驚きながら、ズキズキと痛む腹を押さえて立ち上がる。

「せ、先輩……!」

「わ、わぁぁっ」

 ほうほうの態で哲が這いつくばりながらこちらに逃げてくるのを抱きとめた。田中は倒れたまま、まだ動かない。

「は、早く今のうちに!……ぐっ!?」

「こ、今野!?」

 蹴られた腹の痛みで思うように動けない。慌てて哲が体を支えてくれた。

 肩を貸し合いながら二人が逃げようとしたその時、背後から二人の背筋を凍りつかせる声が響いた。

「待てやこのクソガキ!」

 振り返ったその先には、こめかみから血を流した田中が立ち上がり、憤怒の形相を浮かべていた。

「もう許さねぇぞガキども!ぶっ殺してやる」

 恐怖に固まる二人に田中は容赦なく銃を向けかけ――そしてその途中で白目を剥いて地面に倒れた。

 哲と朝莉は抱き合ったまま、呆然とへたり込んでいた。

 静寂の中、時だけが流れる。

 田中が再び動き出すことはなかった。

 恐る恐る近づいた哲が、倒れた田中を覗き込み、

「ひっ……!?」

 息を呑んだ。

「せ…先輩……!?あの……どうしたんですか?」

 振り返った哲の顔からは感情が抜け落ちていた。

「……死んでる」

「…………え?」

 哲がもう一度告げてくる。

「この人、死んでる……」

 頭が真っ白になりながら朝莉も近づき、田中を見やる。

 虚空を睨むように目を見開いたまま、田中は事切れていた。こめかみから流れる血が彼の顔の半分を汚し、反対の辺りは青黒く腫れ上がっていた。

「……ウソ」

 全身の力が抜け、朝莉は床にへたりこんだ。

 二人の命を奪おうとした男の突然の死。思いあたる理由は一つしかなかった。

「……私の、せい?私が缶を投げたから……?」

 内側から湧き起こってくる感情の奔流を堪えられず、朝莉は悲鳴をあげた。倉庫中に絶叫が響き渡る。

「今野!落ち着いて!」

「だって!だって!私が!嘘…いやぁぁあ!?死んでるの!?本当に死んでるの!?」

「今野!落ち着け」

「私……人を殺しちゃった……先輩、どうしよう…!?いやぁ……私、なんてことを」

「今野!」

 取り乱す彼女を哲が押さえつけるように抱き締めてきた。

「今野のせいじゃない!こいつは僕たちを殺そうとしたんだ!今野は僕を助けようとしただけで、それがたまたま偶然当たり所が悪かっただけだ!正当防衛だよ!」

「でも!でもぉ……」

「今野、君は悪くない!悪いのはこいつなんだ!ほら、早く逃げよう!さっきこいつ、仲間を呼んでいた!もうじきそいつらが来ちゃったらアウトだ!それに、警察も来るかもしれない」

 朝莉は泣き崩れたまま、首を振った。

「無理です……私、もうイヤぁ……動けない」

「今野!」

 哲は朝莉を抱き締めた。震える彼女の体を感じながら、哲は怒鳴った。

「大丈夫だ!君は僕を守ってくれた!だから今度は何かあっても君を僕が守るから!だから立って!歩いて!お願いだ!」

「哲先輩……」

 哲は田中の遺体の胸ポケットを探り、財布を抜き出した。中身を確認すると万札が数枚入っている。それを自分のポケットに捻じ込んだ後で、力を失った朝莉の体を支えながら、哲は倉庫を出た。

 広大な闇の向こうに、煌々と照らされる街の明かりが見えた。

 朝莉を引きずりながら歩いていると、幸運にも空車のタクシーが通りがかってきた。

 こんな時間にこんな場所でタクシーを止める二人連れの少年少女の姿をいぶかしむ運転手に、哲は財布から万札を一枚取り出して押しつけ、行けるところまで走るようにお願いした。


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