8、集束する戦火(その8)「真名津雪」
「貴女も本が好きなのね」
そう言いながら廣山捷子は書棚を興味深そうに眺めては幾つかの本を抜き取って読み始めた。
雪が読んでいる物よりも遥かに難しそうなものばかりだった。こっそり覗き見ていると、捷子と目が合ってしまい、彼女はニッコリ微笑んで近づいてきた。
「貴女はどんな本を読んでいるの?」
雪は慌てて自分の本を隠した。雪が読んでいたのは捷子の選んだ本よりもずっと幼稚で少女趣味で、文字も大きい本ばかりだった。気恥ずかしさを覚えた雪だったが、捷子は馬鹿にしたりなんかしなかった。
「私もこのシリーズの作者の本は読んだ事あるわ。ヒロインがとても魅力的よね」
それから雪と捷子は度々、図書室で顔を合わせる度に話すようになっていった。捷子はとても物知りで話も上手で、いつの間にか雪は捷子とのお喋りを心待ちにするようになっていた。
捷子は雪と同じ中学校に通うようになったが、彼女はそこでも人気者だった。
成績も常にトップクラスで、転校してきてすぐに彼女はクラスの中心に収まっていた。
けれども捷子が一番仲良くしてくれたのは雪だった。何かと彼女の事を気にかけて声をかけてくれる捷子のおかげで、ずっとクラスで孤立していた雪は少しずつクラスの女子たちの輪の中に溶け込み始めていた。
そして捷子はある日、自分の秘密を打ち明けてきた。
「これは皆には内緒にしてほしいんだけど」
そう切り出されたのは、雪にとっても衝撃的な内容だった。
「私ね、本名は由季恵じゃないの。色々と訳があって違う名前を借りているんだけど、本名は廣山捷子っていうの」
「廣山…捷子?」
「うん。でもこれは誰にも知られる訳にはいかないの。だから雪も絶対に秘密にしてほしいの」
「わかったわ。絶対に誰にも言わない」
雪は迷わずそう答えた。
施設の子供たちにとって、互いの身の上を話す事は暗黙のタブーだった。借金や親の暴力などの色んな理由で本名を変えて暮らしているケースもあると聞いたこともあったから余計な詮索をするつもりはなかった。
なにより、捷子がとっておきの秘密を共有してくれた事が雪には嬉しかった。
いつしか捷子の存在は雪にとって何者にも変えがたいものになっていた。
彼女がいれば孤独に苛まれることもなかったし、捷子は雪の事を本人以上にわかってくれていた。
捷子は他にも幾つか、雪にすら言えない秘密を隠しているようだったが、それがますます捷子にミステリアスな魅力を与えていた。
もっと捷子と仲良くなればその秘密も教えてくれるに違いない。雪はそう思っていた。
だから捷子の言う事は何でも聞いた。
捷子が人を探していて、その人と連絡をこっそり取りたいと告げられた時には施設をこっそり抜け出して彼女の代わりに会いに行った事もある。
待ち合わせの場所で待っていたのは、雪と同年代の少女だった。
同性としての悔しさを忘れるくらいに美人の彼女は、確かに雪などよりずっと捷子の知り合いに相応しく思えて、その日はひどく落ち込んだ。
彼女に捷子から預かった贈り物を渡して、その代わりに捷子への手紙を預かった。
帰り道、雪はその少女に強い嫉妬を覚えた。
腹立たしいのは、彼女が雪などよりもずっと捷子との付き合いが長く、そして親密さでも雪が足許にも及ばないくらいに親しい間柄だとわかってしまったからだ。
いっそのこと、預かった手紙も捨てて会えなかった事にしてしまおうかと思い、そして雪は捷子の悲しそうな顔を想像して思い留まった。
手紙を渡した捷子は心底嬉しそうな顔をして、雪に告げてきた。
「ありがとう。信じていたわ」
また一つ、捷子の信頼を得たとわかって雪は狂喜した。
無断で施設を抜け出した事で先生たちからはひどく叱られたけれども、そんな事は全然苦にはならなかった。
捷子が怒られて罰を受けるくらいならば、自分が代わって受けるのは当然だと思っていた。
やがて、捷子は雪に不思議な力を与えてくれた。
「雪、貴女は凄い力を持ってるみたいね」
「凄い力?まさか、そんな筈ないよ。私なんか、なんの取り得もないし」
「ううん、本当よ。じゃあ私がおまじないをかけてあげる」
その時は冗談だと思っていたが、消灯時間が過ぎた後で雪は捷子に図書室に呼び出された。
窓から差し込む月明かりに照らされて、捷子がまるで本物の魔法使いみたいに見えた。
「目を閉じて。少しビックリするかもしれないけど、大丈夫だから」
言われるままに目を閉じた雪の頬に捷子が触れた。
「思ったとおり…罹患してたのね」
「リカン?」
「第一症例かしら、それと第八も…?すごいわ雪、想像以上よ。凄い素質よ」
捷子の言葉の意味はわからなかったが、彼女が喜んでくれているのは雪も嬉しかった。
「それじゃあ、始めるわね」
捷子の手が下に降りてきて、雪は思わず身を硬くした。胸元を捷子が触れている。
「んっ…!?捷子!?」
「大丈夫、声を出さないで」
囁く捷子の声がまるで麻薬のように雪の思考を麻痺させた。
直後、何か奔流が外から彼女の体内に押し寄せてきた。
「っぁあああっ!?」
悲鳴をあげかけた雪の口を捷子の手が塞いだ。体が熱い。悶え苦しみながら見上げた虚空に、一瞬こちらを見て微笑む見知らぬ女の姿が見えた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
気づけば雪は図書室の床に膝をつき、へたり込んでいた。
捷子が顔を近づけ、乱れた前髪を掻き分けて雪の目を覗き込んでくる。
「頑張ったわね。偉いわ」
「捷子…今のはいったい」
荒い息で尋ねた雪の体を捷子は祝福を与えるように抱擁した。
「貴女は彼女に選ばれたのよ。これで貴女は私の仲間よ」
「仲間…?選ばれた…?」
雪にはまったく理解できなかったけれども、捷子に認められた事が嬉しくて雪は破顔した。
「じゃあ、これで私も捷子の友達になれたのね」
「えぇそうよ。貴女は私の大切な友達よ」
嫣然と微笑む捷子に、雪は身を委ねた。
彼女の甘い匂いに包まれながら、雪は初めて生きる喜びを味わった。




