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8、集束する戦火(その1)「和光邸強盗殺人事件」

 

長引く不況により好転の見えない経済情勢や、一向に進まない政治改革、少子高齢化や周辺諸国との未だに解決されない国際関係――この国のマスコミが流し続ける悲観的な論調のニュースを見る限りでは出口の無い閉塞感に陥った斜陽の国に転落したとしか思えない日本共和国にも、未だ世界に誇れるべき事柄は実は少なくない。

 その中の一つに、客観的な事実として新日本の治安は他国に較べれば極めて良いという事実は当の国民たちの大半が意識していない。

 優れた警察力や、いざとなれば強権発動も辞さない在日米軍憲兵隊の存在、またモラルが高くお人良しな国民性など様々な要因が重なり、夜中に夜食を買いに近所のコンビニに一人で歩いていくなどという他国では考えられない行動すら日常の当たり前の光景にしてしまったのである。

 もっとも、最近ではその安全神話でさえも若干揺らぎ始めているのかもしれない。

 政府の推し進めた移民政策の代償で流入した不良外国人たちにより一部の地域は極度に治安の悪化が叫ばれ始めているし、また従来では考えられなかった凶悪事件も続発するようになった――少なくともそのような主張が一定数の賛同を得る程には、新日本も「近頃は物騒になってしまった」のだ。

 東京市世田谷区の高級住宅地の一角でこの夜に起きていた惨劇はその好例とも言うべき事件だったかもしれない。

 この屋敷に住む資産家の主人の財産を狙った強盗犯たちは、慣れた手口で闇夜に乗じて邸内に侵入し、居合わせた屋敷の使用人たちを容赦なく襲いながら金目の物を求めて荒れ狂ったのだ。

勿論、財界の要人であるこの屋敷の主人は、邸内に厳重なセキュリティーシステムを施し、また住み込みの秘書たちの中には専門の訓練を受けたボディーガード役も含まれていた。

 だが、それらはあくまで平和な新日本の基準に即した防犯体制の範囲内に留まるレベルのものであり、銃を装備して強引に飛び込んでくる無法者たちを排除するものではありえなかった。

 ましてや、潜入してきた強盗たちがこうした荒っぽい侵入に慣れきったタチの悪い連中であれば尚の事、彼らを押し留められる術などあろう筈もなかった。

 驚愕の表情を浮かべたまま、罪もない住み込みの家政婦が床に倒れる。彼女の額に穿たれた銃弾孔から溢れ出た赤い物が絨毯を汚す。

 不幸な彼女の最期にまったく頓着した様子もない黒尽くめの連中が走り去る中、その最後尾を進んでいた小柄な人影だけが唯一、足を止めてその哀れな犠牲者を見下ろした。

 両手を合わせて拝んで見せた後で、人影は仲間たちを追う。

 それほど遠くない部屋の中で、仲間の一人が懐中電灯を頼りに手荒く室内を物色していた。

 明らかに屈強な体躯の持ち主であるその男は近づいてきた影に振り返り、顔の下半分を覆うマスク越しにくぐもった声を出した。

「おう、史奈乃。不満そうだな」

「当たり前です。笑ってできる仕事じゃありません」

 少女の声で人影が不満を漏らした。

「当たり前だ。別に笑う必要なんかねぇ」

 近くの衣装箪笥の中に入っていた男は、小さな小箱を無造作にポケットに捻じ込み部屋を出た。後に続く少女に振り返りもせずに声をかける。

「貴様は廣山の飼ってる〝撫子〟が飛び出してきたらぶん殴るのが仕事だ。それ以外は何もしなくていい。後は黙って後ろで見ていろ」

「見たくないから言ってるんです」

「こんなクソ仕事で手を汚すのも、それを見ているのもの俺達の俸給の内に含まれてるんだよ」

 男――坂木北斗は事務的にそれだけ告げた。

 風体だけみれば職業的犯罪者のイメージそのままの坂木だったが、彼の職業は軍人である。

 ただしその帰属先は憲法で軍事力の保有を禁じた日本共和国が詭弁を弄して創設した自衛隊という歪な軍隊ではなく、陸続きにあるもう一つの日本、大日本帝国陸軍に他ならない。

 つまり和光邸に坂木が押し入った理由とは、新日本国内での情報工作活動を目的に潜入中の特殊部隊、第一〇八特別攻撃隊の分隊長としての作戦行動に他ならないのだ。

 ただし表面に出るストーリーとしては、和光惣吉宅を襲ったのはあくまで凶悪な武装強盗犯の一団の仕業でなければならなかった。その為、坂木たちは必要以上に手荒く乱暴なやり方でこの和光邸に入り込んでいた。

 強引に力技で押し入るのも、住人たちを容赦なく殺傷するのも、不良外国人どものやり口に見せかける為だった。

 勿論、坂木たちのこの所業は金に困っての犯行ではなかった。

 和光惣吉の裏切りに伴い、幾つものアジトが米憲兵隊に襲撃されて多くの仲間を失った事への報復の意味合いもあったが、同時に、彼の伴侶である和光捷子の身柄の確保が主たる目的であった。

 世界中の戦場で戦い抜いてきた日本帝国の特殊部隊員たちは、驚くべき手際の良さで邸内を探索し障害を排除していった。

 最新のセキュリティーシステムは、隊本部から貸し与えられたもう一人の少女、茂庭寧によって完全に無力化された。「エニグマ」のコードネームでNATO軍に恐れられる電子戦特化の呪詛感染者の前では、邸内の通報装置や監視カメラなど物の役にも立たなかった。

 結果、誰にも気づかれないままに東京市内では破格の広さを持つ和光邸は急襲から30分も経たずに制圧された。

 裏切り者の和光惣吉は銃弾に斃れ、彼の書斎には火が放たれた。

 ただし、彼らの最大の目標であった和光捷子の確保は襲撃当時、邸宅を離れていた為に達成できなかった。

 和光惣吉の言動ならびに捷子の私室の様子からも、彼女がこの襲撃を事前に予期していた事は明白であった。

 だが、坂木分隊からの報告を受けた第一〇八特攻隊指揮官代理の乃木誠一郎はその件についてはさほど問題視はしていなかった。

 そもそも彼らが追う和光捷子自身、「エニグマ」としては茂庭寧にも匹敵する実力の持ち主である。祖国を裏切った時点で報復は充分に予期していた筈であり、したがってこの急襲が見破られたとしてもなんら不思議ではなかった。

 それに、南関東の至る所で坂木たちと同じように乃木の放った猟犬たちが和光捷子の潜伏していそうな拠点を潰しては彼女の居場所を追っている所であった。

 もっとも、皮肉なことに和光捷子を追い詰めつつある彼の現状もまた控えめに見ても人がましいものではありえなかった。

 例の一斉摘発をからくも逃げ延びた後で、最重要人物の一人として米軍憲兵隊による捜索を受けていた彼はホームレスに身をやつして、ボランティア団体による炊き出しの列に並びながら携帯電話でそれら一連の指揮を執っていたのである。


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