7、和光惣吉の追想(その6)「手紙」
やがて五十の坂を越え、六十歳という人生の節目を迎えた。彼の頭脳や精神は驚くほどに昔と変わらぬ働きを見せていたが、さすがに肉体の衰えはいかんともしがたかった。
幾度目かの邂逅の時に、惣吉は捷子に告げた事がある。
「君は、いつまでも変わらないな。年を経てしまえばそれが羨ましく見えてくるよ」
捷子は少しだけ寂しそうに微笑を返した。
「変わらない、というのは少し違います。変わるだけの時間がないだけですから……裏返せばいつまでも成長できないという事ですし、私たちは逆に普通の人たちの人生が羨ましいです」
惣吉は自分の失言に気づいた。
「…すまない。詮無きことを口にしてしまった」
「いえ、私たちは、そういうモノですから」
惣吉は既に、捷子たち呪詛感染者たちが転生を繰り返している事を察していた。
生物としての条理を捻じ曲げたその奇跡は、だが彼女たちにとっては地獄でしかなかった。
まともな青春時代を謳歌できるのであればいざ知らず、彼女たちは蘇る度にその特異の力を欲する祖国に召集されて苛烈な戦場に投入されるのが定めだった。
彼女たちの属する日本帝国は軍事力が国家としての生命線であり、そしてそれは彼女たち呪詛感染者の力を前提に成り立っていたからだ。
勿論、その凶悪極まる力に比して、それを宿す少女たちの肉体は脆弱極まるそれでしかなかった。皮肉な事にその任務が危険であればある程に彼女たちの力は求められ、その結果、呪詛感染者たちの損耗率は尋常ならざるものになっていた。
惣吉はそれを実際に目の当たりにしていた。
鉱物資源の利権を巡ってアフリカ大陸の某国で紛争が発生した時、彼の平和金属が所有する鉱山もそれに巻き込まれた。
鉱山を極秘裏に守るべく出動した日本帝国軍の特殊部隊たちは、幾つかの不手際と不運が重なり、現地の叛乱軍と民兵を相手に孤立して壊滅した。
救援部隊により辛うじて救出された数少ない生き残りの中に廣山捷子もいた。
現地の対策本部に居合わせた惣吉は、その凄惨な姿に思わず言葉を失った。
民兵たちの捕虜となった捷子は激しい暴行と拷問を受けており、半死半生のまま後送されていった。
だがその数年後、惣吉は再び銃を執る彼女を見かける事となった。
あの時の捷子が命ばかりは助かったのか、それとも今ここにいる捷子が何度目かの生を受けた存在なのか、惣吉には知るよしもなかった。
だが、たとえどうあれ、あの時の彼女が心身に癒えぬ深い傷を負った事は間違いなかった。
惣吉の目から思わず涙が流れ落ちた。
「君は……」
暫く絶句した後で、惣吉は彼女の傍らにいた将校に捷子を除隊させられないか必死で頼み込んだ。それが一蹴されても、惣吉は尚も彼女を後方勤務に回すよう懇願し、そしてその対価として世間的には目の飛び出すような大金を、彼の祖国と将校個人にも提示してみせた。
「和光さん」
それを感謝の言葉と共にやんわりと拒んだのは捷子自身であった。
「いいんです。私は、平気ですから」
「だが、君は」
「平気です。私には柑那や、他の仲間がいますから」
捷子の悟りきった微笑を見ながら惣吉は気づかされた。
第二次世界大戦後、常に存亡の危難にある彼女の祖国が、捷子ほど優秀な呪詛感染者を温情や目先の金で見逃してくれる筈がなかったのだ。たとえ軍務を離れたとしても、今の彼女に他に居場所などなく、そして捷子の体に刻まれた呪詛が消え失せる訳でもなかった。
何より捷子はコラボレーターとしての一線を越えようとしていた惣吉をその一言で救ってくれたのだった。
惣吉は思わず彼女を抱き締めていた。
「――もし君が、本当に困った時は私に言いなさい」
「わ、和光さん!?あの……」
「私は君に幾つもの借りがある。そして君を傷つけた責任の一端もある」
「…………」
「私は君の味方だ。絶対に君を裏切らない。だから、もし何かあった時は私に言うんだ。どんな事でもいい。いいね?」
捷子は返事をくれなかった。彼女が口を開くより先に、将校が二人を引き剥がして捷子を突き飛ばし、惣吉を睨むように嗜めたからだ。
「和光さん、あまりふざけてうちの娘をからかってもらっては困ります」
歯を食いしばってうな垂れる惣吉にそう告げた後で、将校は少女にこの場を去るように命じた。
おそらくこの一件が問題視されたのだろう。
その後、暫く廣山捷子は惣吉の前から姿を消した。
そのまま彼女の消息を知る由もないままに十年以上もの時が流れ、惣吉は人生の晩秋を迎えていた。彼にとって廣山捷子は手の届かぬ所にある古傷として時折思い返しては胸を痛ませる記憶に他ならなかったが、同時にその存在は過去の思い出として風化しつつあった。
既に半ばリタイヤ状態にある惣吉にとっては、未だ頼りない会社の後継者たちを後見して未来に繋げると共に、とうとう最後まで新日本の防諜当局に尻尾を掴ませぬままに成功させた数々の工作活動を後進たちに引き継ぐ事こそが、彼の最後の勤めであった。
新日本有数の大企業の経営者として社会的地位も名声も財産も掴み、そしてたくさんの子や孫たちに囲まれた余生を送り、うまくすれば曾孫の顔も見る事ができるかもしれない。
人々の羨む人生の有終の美を飾りつつある惣吉の下に、一通の手紙が届けられたのは三年前の事だった。
私設秘書の手渡してきたその封筒には美しい文字で懐かしい差出人の名前が書かれていた。廣山捷子からの手紙だった。




