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7、和光惣吉の追想(その5)「過ぎる時と止まった秒針」

 惣吉が死んだ筈の彼女と再会したのは、それから数年後の事であった。


 真昼の陽光の下に現れた亡霊は、惣吉の記憶の中と変わらぬ外見のまま、美しく微笑んでいた。

「お久しぶりです。和光さん」

 神奈川の山中で、官憲の追及から逃げきれないと悟り拳銃自決した筈の少女の姿に絶句していた惣吉はそれでもなんとか声を出す事ができた。

「……生きていたのか。知らなかったよ、あの時、死んだとばかり思っていたからね」

 廣山捷子は曖昧に微笑んだまま、その代わりに彼女の後ろで所在無さげに佇んでいた少女を指し示した。

「今は私、職場が変わって後輩たちの教育係みたいな事をやっているんです。紹介しますね、彼女は煤ヶ谷(すすがや)柑那(かんな)さん」

 促されて進み出てきたのは、捷子とさほど年の変わらない少女だった。快活そうな笑顔で浮かべて挨拶をしてきた。

「どうも、煤ヶ谷柑那です」

「こら柑那!ちゃんと挨拶しなさい!失礼でしょ!こちらの和光さんには私たちもすごくお世話になってるんだから」

「は~い。じゃあ改めましてよろしくね、和光のオジサマ」

「もう!柑那!…ったく、すみません。後で叱っておきますので」

 大人に対してもさほど物怖じしないどころかか茶化すような態度をとるのは今時の子供というべきなのだろうか。

 敗戦から十年以上経ち、この国の人間たちの価値観や立ち居振る舞いは急速に変化しつつあるように惣吉は感じることがあった。

「いやいや、かまわないよ。なかなか面白い子じゃないか」

 苦笑混じりに笑って告げると、捷子は申し訳なさそうに頭を下げてきた。

「手を焼かされて困ってるんです。生意気で全然言う事を聞かなくて」

 軽く拳骨を落とそうとした捷子の手を掻い潜り、連れの少女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「それは捷子先輩の指導力のなさのせいだったりして」

「柑那ぁ!言ったわね」

 キャーっと嬌声をあげて逃げるフリをする少女の襟首を掴みながら、捷子は再び生真面目に謝ってきた。惣吉は咎めだてたりはしなかった。無礼よりも少女たちの快活さが眩しく見えていた。

「君も元気そうで何よりだ。じゃあまた、君とこっちで仕事をすることもあるのかな」

「その時はよろしくお願いしますね」

 そう言って捷子たちは走り去っていく。

 他愛もない彼女たちのじゃれ合いを見守りながら、この少女もこんな表情をできるのだな、などと当り前の感想が脳裏に浮かんだ。

 思えば惣吉が目にする捷子は常に年上の男たちと共に行動する姿ばかりだった。同年代の少女たちが学友たちと共に青春を謳歌しているまさにその時に、彼女は文字通り命がけで大人たちのゲームに付き合わされていたのである。

 そんな彼女にとって、あの少女は立場の差を越えて貴重な友達なのだろう。

 不意に惣吉は彼の三才になる娘の顔を思い出した。もし自分の娘が捷子の立場になったとしたら――それを想像した途端、慄然たる想いがこみ上げてきた。

 走り去る少女の今後に幸多かれ、と惣吉は思わず祈っていた。

 勿論、彼のそんな祈りは聞き届けられる事はなかった。

 廣山捷子と煤ヶ谷柑那はその後も度々、彼の前に姿を現した。時には一人ずつ、或いは二人ペアで動いている事もあった。協力者にすぎない惣吉が度々目にしていたくらいなのだから、彼女たちは頻繁に動き回っていたに違いなかった。

 時代は高度経済成長を経て安定成長期に入り、東京は恐ろしい早さで変化していった。

 激化する米ソの冷戦の最中、ヴェトナム戦争からの撤兵でアメリカの威信は低下し、旧日本は核武装をもってアメリカや新日本と決別し、新日本は米国との間で結んだ安保条約の下、ひたすらアメリカの庇護の下で「最も成功した植民地」と揶揄されながらも経済成長に邁進していった。

 東京の街には日本語をしゃべられない住人たちも増え、当の日本人たちですら英語の方が得意になっていった。葬式はいつの間にかキリスト教式のスタイルが増え、そのくせ庶民たちの専らの関心はカラーテレビとクーラーと自家用車のことばかりだった。

 巷では米国との安保条約の更新反対を叫ぶ若者たちが大学に立て篭もり、国会議事堂と大統領府を取り囲み、それもやがては過激派同士の内輪揉めに幻滅して終息していった。

 やがて経済大国としての束の間の繁栄を謳歌した後で、新日本は長引く不況に突入して閉塞感が社会に蔓延するようになった。

 そんな時代の狭間で、捷子たちはまるで泡沫のごとく現れては硝煙の残り香だけを漂わせて消えていく。思えば捷子は一向に年をとらず、惣吉の記憶の中にあるその姿と殆んど変わらぬ姿のままだった。

 変わっていくのは彼女の周りにいる大人たちばかりであった。

 惣吉もやがて例外ではない。

 男の人生で最も充実すべき壮年期を迎えて父から社長職を引き継ぐとひたすら会社を発展させ、国内外に多くのパイプを形成し、その裏では相も変わらずもう一つの彼の祖国への援助を続けた。

 保守派の政財官の要人たちの会合である「愛国の茶会」の発起人の一人としてその立ち上げに尽力したのは何も旧日本の意向だけではない。

 戦前の文化や社会を全て悪と断じて否定し、次々に変貌を遂げていく新日本の姿に彼の中の愛国心が反発したのだ。惣吉は既にこの新日本という歪な人工国家をも愛し始めていた。


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