7、和光惣吉の追想(その4)「撫子」
和光惣吉が久那守葉月の呪詛感染者たち――日本帝国軍の秘匿名称でいうところの〝撫子〟の存在に気づいたのもちょうどその頃だった。
米軍による占領と新日本の独立の以前から、旧日本は東京を中心に新日本の各地に数多くの密偵や諜報員たちを浸透させていた事は周知の事実であったが、その活動を活発化させたのは1950年代前半の事であった。
朝鮮動乱における特需の恩恵を受けた彼らが漸くにして国力を回復させつつあった事も大きかったが、もう一つ別の要因も大きくそれに影響していた。
かつて太平洋戦争末期にクーデターを起こし、日本を破滅の淵にまで引きずり込んだ久那守葉月が密かに残した呪詛の罹患者がこの頃、一定数に達したのだった。
葉月の呪詛が確認されたのは1946年の終戦直後の事であった。
呪詛に感染したのはその大半が10代の女性――つまりは生前の久那守葉月と同年代の少女たちばかりであった。
その呪詛に感染した者たちは、葉月が戦時中に発揮した異能の力の一部をその身に宿して発現するようになった。勿論、本家である稀代の魔女には及ぶ筈もなかったものの、彼女たちの宿した力を存亡の危機に瀕した日本帝国が見逃す筈もなかった。
日本列島から呪詛の発現者たちを徴集し(その中には新日本領内での非合法な誘拐や拉致行為も含まれていた)、兵士として訓練を積ませたのだ。
その少女たちがある程度、兵士として使い物になり、部隊としての編制を終えたのがちょうどこの頃のことであったのだ。
そうした事実を、惣吉は丁寧に説明を受けた訳ではなかった。
密会した旧日本側の人間たちの会話の端々から情報を拾い上げ、検閲と機密の破却でろくな記録も残されていない資料を密かに集め、そして捷子たち呪詛感染者本人たちから聞かされた話を頭の中でまとめあげた結果、そうした推察がおぼろげに浮き上がってきたのだった。
真実は確かめようもなかった。
日本帝国、GHQ、日本共和国のいずれの行政機関も久那守葉月という人物は公には存在していなかったという立場をとっており、あらゆる公文書からもその名前は抹消されており、その存在を語る事は禁忌に他ならなかった。
したがって、その後継者というべき呪詛感染者たちの存在も公にはなっておらず、ただ大多数の日本人たちの目の届かぬ闇の中で、暗闘の道具として使われているに過ぎなかったのだ。
惣吉の精神的な祖国である日本帝国の友人たちも、この件に関しては途端に口が重くなり、完全に惣吉を部外者として扱っていた。
そうであるならば、和光惣吉が彼女たちの存在にかまける必要など何もなかった。
彼は約束された次期社長としての立場で平和金属を発展させ続け、そしてその裏で密かに日本帝国のコラボレーターとして密かに彼らに対する便宜を図り続けるだけだった。
もっとも、惣吉にとって久那守葉月の呪詛が全く無縁であったという事ではない。
未だ海外からの物資の輸入に制限を受け続ける日本帝国にとって、平和金属は彼らが東京に築いた重要な経済的橋頭堡に他ならなかった。
その為、平和金属の発展の為に逆に旧日本の諜報員たちが裏から力を貸すという状況も度々発生していた。
競合するライバル会社の動向の監視や盗聴、場合によっては暗殺や破壊工作まで行われたのである。勿論、その尖兵となったのは、廣山捷子たち呪詛感染者だった。
廣山捷子は、極めて優秀な工作員だった。在日米軍を含めて、当時の日本国内で彼女の盗聴や電子攻撃に対抗できる存在はなく、通信、情報という戦場に関する限り彼女は無敵の女王であった。惣吉が捷子の協力によって受注できた大口の仕事も一つや二つではなかった。
「凄いな君は。もし良かったらそちらの仕事を辞めてうちの会社に来ないか?丘陵は十倍出すよ」
惣吉は冗談交じりに捷子にそう誘った事もあった。生真面目な捷子はそれを真面目に受け取ってしまう。
「申し訳ありませんが、自分のこの体は日本の再統一の為に捧げております。お金の問題ではありません」
苦笑を浮かべながら惣吉は欧米人のように肩を竦めた。
「残念だな。ではせめて、今回のお礼に一緒に夕食でもどうかな?銀座の美味いフレンチをご馳走しよう」
「せっかくですがお気持ちだけで充分であります。自分はあくまで命じられた任務を遂行しただけであります。それに」
何故だか不機嫌そうに捷子は半目で惣吉を睨みつけてきた。
「そのお店、和光さんは他の女性もよく連れて行かれておりますよね?奥様もいらっしゃるのに、あまり感心はしませんよ」
「…まいったな、君は俺の事まで調べているのか」
惣吉は背中に噴き出る冷や汗を感づかれないようにするのが精一杯だった。
「お答えできません」
少女らしい潔癖さで捷子はそっぽを向いた。
それから数ヵ月後、惣吉は廣山捷子の死を目のあたりにする。
神奈川県にあるコテージを利用して旧日本の工作員たちとの秘密の会合をしていた惣吉は、米軍憲兵部隊と新日本の警察の合同部隊の急襲を受けた。
幸いにして、惣吉は護衛についた少女が血路を切り開いてくれたおかげでなんとか落ち延びる事ができ、その身元も官憲に見破られずに済んだ。
だが、捷子はダメだった。
日米合同の山狩りの中で、山中を追われ追い詰められていくうちに彼女の体力は尽きた。
捷子の身体能力はごく平凡な少女のそれと大差はなく、落伍寸前の捷子は明らかに逃避行を続ける工作員たちの足手まといとなっていた。
「和光さん、ここでお別れです。さようなら」
憲兵部隊の追撃が迫る中、捷子は惣吉にそう告げてきた。
汗と泥に塗れた彼女の澄んだ目は、惣吉にとって生涯忘れられないものだった。
工作員の一人とその場に留まった捷子と別れた惣吉がその場を離れた直後、一発の銃声が鳴り響いた。彼らに追いついてきたのは工作員一人だけで、捷子の姿はなかった。




