7、和光惣吉の追想(その2)「青年期」
和光惣吉が帰国してから数年後、彼の祖国は分裂した。国籍の選択の際に彼が新日本という新造の人工国家を選んだのは、米国から有無を言わさず与えられたお仕着せの共和国やら民主主義といった概念に賛同したからでは勿論なかった。
彼が生活の拠点としていた場所が共和制日本の首都に定められてしまい、そして彼の働くべき職場もまた、新日本の国内に重きを置くべき企業であったからに他ならない。
惣吉は帰国後すぐに父の経営する平和金属に就職していた。
これまで日本経済を牽引してきた財閥の解体に伴なう混乱の中で、彼の父徳次郎は巧みに立ち回り、気づいた時には新日本有数の製鉄会社社長としての地位を確立していた。
これは徳次郎本人の才覚の故でもあったが、時代が彼を後押しした部分も強い。
軍の特務機関長時代に溜め込んだ豊富な財産と人脈に加え、かつての彼の職場の上長たちが彼をいわゆる残置諜者として利用する事を決めたからだった。
つまり、和光徳次郎は新日本における会社社長としての表の顔の他に、旧日本の協力者としての裏の顔を持っていたのだ。
分裂したとはいえ、当時の日本は(旧日本に殆んど国家としての余力が残されていなかったこともあり)さほど両国の人的、経済的交流に関してはやかましくはなかった。
その為、平和金属は新日本のみならずそのパイプを活かして旧日本への金属の輸出も行ない、一躍新日本の鋼業界の雄にまで昇り詰めたのだ。
その会社としての成長期に惣吉は企業人として多くの経験を積んだ。
元より社長の息子という縁故採用の立場には違いはなかったが、惣吉はその事実を忘れさせるだけの勤め人としての実力を兼ね備えていた。次々と事業を立ち上げ、自らも精力的に働く惣吉は紛れもなく平和金属のエースであった。
国内のみならず、アジアを中心にいち早く海外展開を行ったのも惣吉の手腕であった。
かつて大日本帝国が渇望して得られなかった海外の鉱物資源を、惣吉は金の力で安定して供給する道筋を作り出していた。
無論、彼のそうした動きの背景には、彼の父の行動が常にそうであったように彼のもう一つの祖国の思惑が複雑に絡んでいた。
やがて平和金属が鋼業の枠組みを大きく越えた大企業に成長していく中で、惣吉は特に海外においては経済活動を優先すべき企業の商行為を幾らか逸脱するプロジェクトをも手がけるようになっていた。
ジャパンマネーの強さを押し出しての経済的侵略のみならず、現地の反社会的勢力と結託しての薄ら暗い商売にも手を染めるようになったのだ。
それは当然の帰結として、惣吉自身も多くの人の恨みを買い、そして政治的な目標にされる事をも意味していた。
東南アジア某国に建設した新しい工場の視察を終えた帰り道、現地の反政府ゲリラによって惣吉が身柄を拘束される羽目になったのもそうした事実が背景にあった。
反政府ゲリラによる一流企業の幹部社員の誘拐事件は新日本を震撼させた。
新日本政府は早々に独力での救出を断念し、現地政府に和光惣吉の解放を依頼すると同時に、ゲリラ側の要求する身代金を言い値で用意して金の力での解決を目論んだ。
一方で、新日本政府の対応により反政府ゲリラが増長し類似の事件を起こす事を恐れた現地政府は和光惣吉が拉致されたと見られる地域に軍を派遣し、あくまでゲリラ側との対決姿勢を強めた。
彼らには切り札があった。
当時、独立後間もなかった彼らの国軍は、その編制にあたり独立時に共闘関係にあった日本帝国の多大な協力を得ており、日本軍の軍事顧問を招聘していた。
今回の人質解放作戦には極秘裏の内にその軍事顧問団の一部が投入される事になっていた。第二次世界大戦後、急速に軍事技術が発達し続けようとも、未だ密林でのゲリラ討伐においては歩兵たちが自らの足を使って敵を追い詰める原始的な戦い方が最も有効であり、皮肉にも列強において近代化の遅れた日本陸軍はその手の戦い方を最も得意とする(せざるを得ない)軍隊であった。
誘拐から四日目、劣悪な環境下で人質として過ごす羽目になっていた惣吉は、常ならぬ物音に気づき、憔悴した瞼を開いた。
時刻はまだ夜だった。
攫われた時に腕時計は奪われ、明かりもない納屋のような所に閉じ込められてしまったので正確な時刻はわからない。ただ、日中であれば建物の隙間から日の光が差し込んでくる筈なのに、現在は暗闇に包まれたままだった。
後ろ手に縛られたままの不自由な体を苦労して惣吉は起こした。
誰かが争っている。
誰かの怒鳴り声と悲鳴、そして銃声らしき破裂音が散発的に聞こえてくる。救援部隊だろうか。希望を抱く反面、そうであるならば急いでほしいと惣吉は願った。
下手に救出に手間取られでもしたら、反政府ゲリラたちは惣吉という人質を目一杯利用して抵抗や交渉を続けようとするに違いないし、下手をすれば腹いせに殺されかねない。
祈るような気持ちで惣吉が見つめるその先で、納屋の扉が開いた。
姿を見せた兵隊たちが銃を構えたまま、懐中電灯で惣吉を照らしてきた。突然の光源に目を焼かれながらも、惣吉は腹を立てなかった。
「和光惣吉さんですね?」
彼の耳に飛び込んできたのは、彼の母国の言葉に他ならなかったからだ。




