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7、和光惣吉の追想(その1)「対馬沖の乙女」

 新日本の鉄鋼王和光惣吉がこの世に生を受けたのは当時、日本の領土であった満州の地であった。

 日本陸軍の憲兵将校和光徳次郎を父に、母は地方の名士の娘であり女子師範学校を卒業した才媛()()を母として生まれた惣吉は、紛れもない日本人でありながら、偶の里帰りを除けば殆んど祖国の土を踏むこともなく異邦の地で少年時代を過ごした。

 やがて上海での外交工作を主任務とするとある特務機関の長に命じられた徳次郎に付き従う形で惣吉の一家は上海に居を移した。

 中国でありながら日本の占領下にあり、欧米の資本が流入した上海は富と情報と欲望を吸い寄せ権謀術数の渦巻くの魔都であった。

 この地で表向きは商社の海外支社長を装いながら暗躍する徳次郎の姿を、惣吉は間近に目の当たりにしながら多感な青春を過ごす事になる。

 彼が祖国に戻ってきたのは1946年の事である。

 再び松代で発生したクーデターにより本土決戦を強硬に推し進める久那守葉月と軍強硬派が排された直後、日本政府の全権特使吉田茂と連合国軍との間で停戦条約が結ばれた。これにより、海外領土の殆んどを喪失した日本は駐留していた将兵たちの撤退と在留邦人たちの引き上げに奔走する事になる。

 和光一家はその復員業務の最も初期の段階で本土に帰還を果たした。終戦間際の混乱の最中、舞鶴の港に彼らは降り立ったのだ。

 タイミングとしては間一髪といえた。

 連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの間で一応の停戦は発効されたものの、未だ満州や樺太、朝鮮や北海道ではソ聯軍の侵攻に伴ない戦闘が続いており、また日本の敗北に乗じて中国国民党や共産党の八路軍、蜂起した朝鮮人たちが各地で日本人たちを襲い続けていたのである。

 殊に、大陸での工作活動期間中に莫大な資産を蓄えた和光機関の噂は連合国軍にも広く伝わっていた。その財宝の押収を目論んだ各国諜報部隊や国民党軍、更には独断で軍規を無視して祖国に撤退する和光機関への処断を図る陸軍部隊からの追撃を見事に振り切ったのは、偏に和光徳次郎大佐の辣腕と膨大な人脈、それに要所にばら撒いた金の力であった。

 独自の情報網から停戦の兆候を掴むや、和光徳次郎は調達した貨物船に乗り込み、更には海軍の駆逐艦2隻の護衛さえつけて日本海を押し渡ったのだ。

 この時、和光惣吉はそして九死に一生を得ている。

 彼らの出港の情報を掴んだ米海軍により、対馬沖で彼らの乗った船は捕捉され包囲されてしまったのだ。

 護衛の駆逐艦は奮闘も虚しく各個に撃沈され、和光一家の命運も正に尽きようとしていたその時、思わぬところから援軍があった。

 突如、降り注いだ巨大な砲弾が敵艦を打ち砕き、飛来した急降下爆撃機の編隊が日の丸をあしらった銀翼も鮮やかに襲いかかる。

 泡を食って遁走した米艦と入れ違うように姿を見せたのは、旧式だが紛れもない日本海軍の駆逐艦だった。

 歓喜の声をあげる惣吉たちに応えるようにして駆逐艦はすれ違うと、対馬海峡を再び釜山方面に向けて艦首を巡らせて引き返していった。

 惣吉が駆逐艦の甲板に出て答礼してくる水兵たちの中に、奇妙な少女の姿を見出したのはその時だった。

 軍服に身を包み、凛とした仕草で敬礼を送ってくる彼女の姿は遠めに見ても美しく、惣吉はその姿を後々までも覚えていた。

 傍らに立っていた父が、そっと呟くように告げてきた。

「アレが、久那守の三女だ」

 惣吉は不思議そうに父を見返し、尋ねた。

「久那守?それは……」

「救国の乙女の話はおまえも聞いていよう。久那守葉月――今は大逆の魔女としての悪名の方が名高いか」

 久那守葉月の名前は惣吉も伝聞程度には耳にしていた。

 女だてらにたった一人で米軍に立ち向かい、次々と戦功を掲げるという少女の話は、敗勢著しい中で次々に尾鰭をつけて伝わってきた。

 勿論、分別のつく年頃になってからは惣吉もそうした講談じみた噂を頭から信じたりはしなかった。大方、前線近くで徴用された少女の話が戦意高揚の為に膨らまされて一種の戦場神話になってしまったのだろう。惣吉は既に大本営発表の嘘に気づいていた。

 だが、彼が目の当たりにした光景は、その戦場神話の信憑性を信じざるをえないものであった。

「哀れだな」

 敬礼を送りながらそう呟いた徳次郎の言葉の意味を惣吉が知るのはずっと先の事になる。


 なお、久那守家の三女悠芽(ゆめ)は、その後、復員を進める日本軍の指揮下で朝鮮や満州を転戦し続け、多くの邦人居留民たちの撤退行を護衛し続け、最期はソ聯軍の猛攻を受けて行方知れずになったという。


 その対馬沖での少女との一瞬の邂逅が、和光惣吉と久那守葉月の呪詛との関わりの始まりであった。


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