1、ミヅキさん(その6)「交戦」
先程まで身じろぎどころか瞬き一つしていなかった川田兵長が突然動いていた。
腰だめのライフルを構えたまま、一瞬で哲めがけて突っ込んできたのだ。銃の先端に鋭く輝く剣に危うく刺されそうになり、哲はうひゃあと悲鳴をあげ尻餅をついた。
幸い、川田兵長は無様に転んだ哲にとどめをさすような真似はしなかった。
哲の事など一瞥すらせずに、そのまま体を90度反転させて廊下に佇むモンペ少女の方を睨む。
ミヅキさんは彼の事を見ていなかった。哲の方にお尻を向けた状態で、つまりは川田一兵長と同じ方向を睨んでいた。
その理由は哲にもすぐにわかった。
彼らが見つめるその先の廊下から、何者かが近いてくるのだ。
何事か喋り続ける甲高い話し声。耳障りな笑い声。騒がしい足音。生臭い臭い、なにより哲の本能に訴えかけてくる恐怖感。迫ってくる。
「やはりいたか」
ミヅキさんが独り言のように唸る。
その彼女の前方に川田兵長が進み出て、膝をついた姿勢で銃を構える。
「ミ、ミヅキさん!何か近づいてくるよ??」
喚いた哲に、振り返りもせずに少女は答える。
「ヒャッキだ」
ヒャッキ?
少女が口にした固有名詞が理解できず、哲は混乱した頭で反芻する。
「戦闘用意――ぬかるなよ、兵長」
彼を無視するようにミヅキさんは告げ、自らも先程のピストルに弾倉を叩き込んだ。チラリと見えたその内部はBB弾じゃなく実弾ぽい物が籠められたように見えたがそれを気にしている時間はなかった。
川田兵長もガチャリと槓桿を引き、銃の薬室に弾を送り込んでいる。
なんかもう台詞といい行動といいアレすぎるのだが、残念ながら今の状況下ではあまりにそれがしっくりとしていて、哲にはむしろ彼らの方が正しいように思えてならない。
コスプレ二人組があれこれと動いている間にも、廊下に満ちた不気味な気配は一層濃厚に密度を増していく。
空気が歪んでいる。先ほどまでと同じ光景だというのに、強烈な違和感。鼻をつく獣のような生臭い臭い。夜の校舎の影に息づく明らかな存在感。
そしてソレは現れた。
「うわっ!?なんだあれ!?」
哲は悲鳴を洩らした。
矮躯の異形が踊っていた。獣のような怪物が四つん這いでこちらを睨む。その後方には隆々たる筋肉質の肌を黒光りさせた馬頭の鬼が、明らかに質量のある金棒を引き摺っている。
怪物だ。異形の怪物たちが徒党を組んで押し寄せてくる。
「射撃用意!前方30、ヒャッキ!射て!」
少女が怒鳴り、自らも体を半身にした姿勢で銃を連射した。
ピョンピョンと跳び跳ねていた小鬼が被弾して倒れる。さすがに最近のモデルガンはリアルだ、などとは哲も思わなかった。音といい発射炎といい威力といい、何処からどう見ても実銃だった。
セーラー服にモンペを組み合わせるハイセンスなコーディネートに合計4本の三つ編みというファンキーな髪型を合わせ、おまけに拳銃まで所持している謎の少女。幽霊などよりずっと非常識だ。
いきなり、少女の拳銃などとは比較にならない大きな発射音が廊下に響き渡った。
軍服コスプレイヤーがライフルをぶっぱなしたのだ。馬の頭をした男が胸に風穴をこしらえて吹き飛ぶ。
素早く銃に弾を装填して更にもう一射加えた後で、そのまま獣じみた雄叫びをあげた川田兵長が突っ込んだ。
小銃の先に着いた銃剣が空中に浮かぶ巨大な老人の顔を貫く。そのまま兵長は銃を振るって銃の床尾を隣にいた蝙蝠に叩きつける。
彼の周囲に群がろうとする異形たちを、少女が拳銃で次々と仕留めていく。
一匹射ち洩らした。
蜘蛛の体に女の顔を載せた怪物だった。
哲と目が合った瞬間、蜘蛛女が歓喜の笑みを浮かべた。大きく開かれた口に乱食い歯が覗く。
蜘蛛女は壁に張り付くと天井まで這い上がり、満面の笑みを浮かべたまま、八つの脚を蠢かせ突進してきた。大口を開けて女が飛びかかる。ゾロリと尖る乱食い歯が光る。
哲は絶叫した。
彼の顔が歯型だらけにならずに済んだのは、横合いから振るわれた一撃が蜘蛛女を叩き落したおかげだった。
ミヅキさんだった。
いつの間に手にしたのか、刀らしきものを握った美月が鞘ぐるみそれを蜘蛛女の顔に叩きつけたのだ。そういえばさっき、初めて彼女に出会った時、首筋の辺りが妙にチクチクした事を思い出し、哲は背筋が寒くなった。下手な真似をしないでよかった、と哲は本気で思う。
悲鳴をあげた蜘蛛女が醜悪な腹部をみせてひっくり返る。
直後、乾いた音が響き、腹部に孔が刻まれていく。少女が至近距離から拳銃弾を浴びせていた。体液が噴き出し、蜘蛛女は身の毛もよだつ絶叫をあげた後で痙攣し動かなくなる。
「早く去れ!何度も守りきれんぞ」
怒鳴りながらミヅキさんはとって返していく。すれ違い様に抜き身の刀で褌姿の男を袈裟懸けに斬り伏せ、近くにいた落武者に拳銃弾を叩き込む。
少女の言いつけを無視して居残った哲の見守る先で、少女と日本兵は迫り来る怪物たちを相手に戦い続けた。
だが、押し寄せてくる化け物たちの数は減らない。それどころかどんどんその数を増やしていく。
「また来るよ!?キリがない」
哲の叫びに、少女は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「当たり前だ。ヒャッキだからな。一匹や二匹で済む筈がない」
ヒャッキの意味がなんとなくわかった。百の鬼。百鬼夜行と言われる怪異は目の前の光景の事を言うのであろう。
だが、これはまずい。
次々に湧いてくる化け物に対し、こちらの武器は少女の拳銃と刀、それに兵隊の小銃だけだ。兵隊の銃は今日びの自動小銃と違って連射ができないらしく、仕留められる敵は一体ずつだ。その隙に接近を許してしまう。
次第にこちらが圧され始めている。
化け物たちもそれがわかったのだろう。百鬼たちは数を頼みに一斉に駆け出してきた。何匹かは射たれて落伍するがそのまま勢いを消さずに押し寄せてくる。
「川田兵長!」
ミヅキさんが叫んだ。
ただ一人、前衛に踏み留まって獅子奮迅の働きを見せていた川田兵長が、背中から小鬼に飛びつかれた。
兵長が小鬼を振り払い、銃尻を叩きつけているその間に別の百鬼が組み付く。たちまち川田兵長は化け物たちに群がられて地面に引き倒された。
哲たちに川田兵長の安否を気遣っている余裕はなかった。
兵長がやられて一気に戦力が半減した事で、勝利を確信した百鬼たちがどっと押し寄せてくる。
少女の拳銃の火力ではそれを押し留める事は不可能だ。
支えきれない。哲は絶望的な思いで戦況を見やった。
「ミ、ミヅキさん!逃げよう!」
声をかけ、遁走を決め込もうとした所で哲は悲鳴をあげ、尻餅をついた。
振り返った背後の空間に、川田兵長と同じカーキ色の服を着て同じ鉄砲を持った無数の腕だけが、宙に浮き上がっていた。
少女が頭上に刀を掲げた。
異変に気づいた化け物たちが立ち止まろうとして、後ろから押し寄せる仲間と衝突し、将棋倒しを起こす。
「射てぇ!」
刀が振り下ろされた瞬間、幾つもの発砲音が廊下に反響した。
銃弾が放たれ、何体もの鬼たちが吹き飛ぶ。銃火の洗礼を免れた化け物たちも明らかに怯み、戦意を喪失していた。
轟音にひっくり返った哲の横を、無数の軍靴が通り抜けていく。いつの間にか、腕だけだった兵士たちが実体化して姿を見せていた。
少女が廊下中を圧する声量で怒鳴る。
「これより逆襲発起する!突撃にぃ――――進め!」
先陣をきって駆け始めた少女の後を、雄叫びをあげながら兵士たちが追う。
これを見て、恐慌状態に陥った化け物たちが崩れた。
逃げ惑う化け物を、兵士たちは蹴散らす。追い詰められた怪物たちが必死の反撃に出る。
廊下や教室、階段と至る所で乱戦となった。
勢いに乗せられて後に続いてしまった哲の所にも海老みたいな体をした老婆が襲いかかってきた。
またしても救ってくれたのはミヅキさんだった。
刀で老婆を斬る。脂が巻いたのか致命傷は与えられなかったようだ。
かまわずミヅキさんは刃零れした刀を何度も海老に叩きつける。グロい。しばらく海老は食べたくない。
百鬼たちは追い詰められていた。西側階段の踊り場。そこに巨大な姿見があり、怪物たちはそれを守るようにして最後の抵抗を続けていた。
「見つけた」
少女が呟く。
「――百鬼の営巣だ。工兵、前へ」
彼女の声に応じて、また新たな兵士が――長い筒のようなものを担いだ兵士が現れた。
他の兵士たちがそれを守るようにしながら怪物たちを排除して突き進む。
異変が起きたのはその時だった。
鏡の中から巨大な腕が伸びて、目の前に迫っていた兵士を弾き飛ばした。
続いて、鏡より何かがゾロリと這い出てきた。
それは巨大な鬼だった。
全身漆黒の肌をして、その手に巨大な金棒を掴んだ鬼は、銃で応戦する兵士たちをいとも簡単に弾き飛ばした。
そのまま猛然と迫る巨躯の鬼に、ミヅキさんが斬りかかる。無茶だ。勝てる訳がない。
棍棒が少女に叩きつけられ、彼女の小さな体が吹き飛ぶ。
「ミヅキさん!!」
正直、絶対死んだと哲は思ったが、駆け寄ったミヅキさんは予想に反して生きていた。
ゴホゴホと咳き込みながら立ち上がるミヅキさんの体には、いつの間にかセーラー服の上から剣道の胴みたいな鎧が着けられていた。その胸の辺りが大きく凹み、損壊しているのはそこに鬼に打撃を受けたせいだろう。
「軍曹、三〇秒足止めしろ!」
兵士の一人に向けて言うなり少女は脱兎のごとく今来た道を駆け戻る。
哲も慌てて後を追う。
「に、逃げるの?ミヅキさん」
「距離を稼ぐ。ここでは近すぎる」
言葉どおり、廊下を半分ほど走った辺りで少女は足を止め、振り返った。
「八〇式を放つ!射線上の者は退避せよ!――そこの貴様、邪魔だ」
「ぐえっ!?」
哲は少女に尻を蹴られて廊下の端に追いやられた。
一方で巨躯の鬼は相変わらず猛威を振るっていた。
兵士たちがライフルを射つ。止まらない。被弾しているというのにかまわず荒れ狂い、兵士を薙ぎ倒した後で、鬼は踊り場から階段を一気に飛び降りた。
地震にも似た振動が伝わる。
鬼は哲と少女を睨みつけ、咆哮をあげた。
「く、来るよ!」
だが、美月はそんな鬼を見ながら身動き一つしない。
ぶつぶつと何か呟いている。
哲は耳を澄ます。謎のカウントダウンをしていた。
「ごぉ――よん――さん――ふた――ひと―――今!!」
その直後だった。
鬼が、爆ぜた。
なんの前触れもなく、轟音と共に鬼の巨躯がバラバラに吹き飛ぶ。
爆発は周囲の窓ガラスや教室の扉にも影響を及ぼしそれらを粉砕した。特に階段に起きた破壊の被害は深刻だ。壁に大きく孔が穿たれ、外の風景が丸見えになっている。
「うわぁぁっ!?爆発した!何あれ!何あれ!?」
「八〇式隠密誘導弾――〝ロングランス〟と敵は呼ぶ」
「うわ、厨二臭い!でもカッコいい!よくわかんないけどカッコいい!」
興奮する哲を尻目に、少女は油断なく階段に近づき、踊り場の姿見が完全に粉砕されているのを確認した後で告げる。
「営巣は破壊した。総員退避急げ!間もなく騒ぎになるぞ!」
先ほど鬼に弾き飛ばされた筈の兵士たちが、何事もなかったかのように彼女の傍らに現れ、階段を駆け下りる少女の後に続いて走り去る。
「うわ、待ってよミヅキさん!?」
哲も慌ててその後を追う。
既に外では大きな爆発音に気づいた者たちが騒ぎ始めている。前方を走る少女の四本の三つ編みが踊るのを見やりながら、いったいこの後始末は誰がやるんだろうと哲は真剣に悩んだ。