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6、月に怯えて逃げ出せども(その3)「藤ヶ谷さつきの絶望」

 藤ヶ谷さつきは自室のベッドで頭から布団を被って震えていた。

 昨日から高校も無断欠席して部屋に閉じ籠もり、心配して顔を覗かせた母親も追い返し続け、食事もろくに摂っていない。

 憔悴し、蒼ざめた顔で恐怖に慄き続けるばかりだった。

 先程は、日頃あまり娘に干渉してこない父親までが部屋に乗り込んできたが、さつきは一切の会話を拒み、追い出していた。

 必死に説得を試みる両親の会話の端々から推測するには、愛娘が失恋したか深刻なイジメでも受けているんじゃないのかと思われているようだった。

 冗談じゃない。今のさつきにそんな些細な理由などで悩む贅沢など持ち合わせてはいない。

「さつき、何か悩みがあるならお母さんに教えて!絶対に叱ったりしないから」

 母親が泣き崩れながらそう告げてきたが、答えられる筈がなかった。

 今の彼女は命がけの戦いに巻き込まれていて、敵の殺人鬼に狙われているかもしれないなどと告白したら、彼らは娘の正気ををまず疑うだろう。

 とりあえず、心療内科に連れて行かれて問題の解決にはまったくならない医師のカウンセリングを受けさせられるのが関の山だ。

 それでも必死に説明してみれば、両親は娘かわいさに話半分には信じてくれるのかもしれない。だがその後はどうなるのか、容易に想像がついた。

 娘が変質者に狙われると警察に相談して、警察官がおざなりのパトロールを数日してくれるのが精々だ。

 そんな事をされても全くの無意味だろう。たとえ、数時間に一回のパトロールの時にその警察官がたまたま異変に気づいたとしても、彼が対処できる筈もないのだから。

 おそらくは家の前に機動隊が張りついていたって何の役にも立たないだろう事は火を見るよりも明らかだった。

 せめて――せめてさつきが和光捷子から与えられた力が完璧だったら。

 この世には理屈では説明のつかない現象が実際に起きていて、そして彼女がそれに巻き込まれてしまった事を両親や警察などの大人たちにも証明できる筈だった。

 だが、和光捷子のお泊まり会に参加し始めてからまだ二ヶ月のさつきには、自分の力を上手く制御するのも難しかった。よほどリラックスしていて体調のいい時でなければ、あの幽霊たちは彼女の召喚に応えてくれない。

(あいつが、来ちゃう)

 さつきは湧き起こる恐怖を抑えようと必死に自分の体を抱き締めた。

 地方都市の廃校に立て篭もっていた小笠原みづきを、お泊まり会の仲間たちが攻撃するという話はさつきも仲間内から聞かされていた。

 正直なところ、お泊まり会の友人たちが誰と何の為に戦っているとか、そんな事はさつきは全然わかっていなかったし、興味もなかった。

 ただ、捷子や皆が口々に悪い奴と戦わなければならないと言っていたのをよくわからないままに相槌を打って周りに合わせていただけだったのだ。

 その襲撃には彼女の教育係役の岸町綾香も参加していた。

 お泊まり会のルールについて色々と教えてくれた優しい先輩であり、頼り甲斐のある優しい先輩だった。

「行ってらっしゃい、お気をつけて」

 前日の夜には電話でそう伝えて彼女を送り出していた。

 その彼女たちが敗北した。綾香も結局戻ってこなかった事を、さつきは人づてに聞かされた。信じられなかった。送り込まれた少女たちは全員、お泊まり会の中でも指折りの実力者ばかりであった。その彼女たちが負けるなんて信じられなかった。

 そして、その後の一週間で事態はより悪化した。

 お泊まり会の仲間たちが、僅か数日のうちに次々と音信不通になっていったのだ。

 彼女たちが、小笠原みづきに襲われたのは間違いなかった。

 戦況について和光捷子は何も教えてはくれなかったが、頻繁に回ってくる安否確認と身の回りに対する警報が、事態の深刻さを物語っていた。

 中には、友人たちが男たちの集団に拉致されたなどという怪情報も流れてきたが、そちらはデマだと一蹴されていた。和光捷子から力を与えられた少女たちが、普通の人間に敗れるとは思えなかったからだ。

 同時に和光捷子からは単独行動を控え、孤立する事のないように手近な別荘に集まるように指示が入っていたが、さつきはそれに従わなかった。

 この状況下で外出するのも恐ろしかったし、正直なところ、もうこれ以上お泊まり会に関わって変な戦いに巻き込まれるのもまっぴらだった。

『さつき……!助けてよぉ……!』

 耳朶に友人の悲痛な声が蘇り、さつきは耳を塞いだ。

 一昨日、ついに小笠原みづきは彼女の街に現れた。

 さつきはそれを一本の電話で知った。友人の恵美が助けを求めて寄越したその電話は、そのまま恵美との最期の会話となった。

 追われて逃げ惑っているらしい恵美は、悲鳴や聞き取りづらい金切り声をあげるばかりでまともに会話もできなかった。

 ただひたすら『助けて!助けて!』と連呼するばかりで要領の得ないまま、突然絶叫を残して電話は途絶えた。

「もしもし!?もしもし恵美!?どうしたの!?」

 尋ね返すさつきの耳に聞こえてきたのは、聞き覚えのない女の声だった。

『……貴様も、呪詛の感染者か?』

 さつきは反射的に電話を切っていた。

 恵美の身に何が起きたのか、本能が察知していた。

 呆然と見つめる携帯電話が再び着信を報せる。ディスプレイの表示は恵美からの着信を伝えていた。悲鳴をあげながらさつきは携帯を放り投げた。

 震動しながら能天気な着メロを撒き散らす自分の携帯を恐怖の顔で見つめ続けた。

 ようやく着信が途絶えたのを見計らい、さつきは慌てて恵美の番号を着信拒否に設定を入れた。それからすぐにもう一人の友人の麻奈に電話を入れる。こちらは何度コールしても繋がらなかった。あれからずっと、麻奈とも連絡はとれていない。

「なんでこんな事に……」

 さつきは頭を抱えた。

 彼女はただ、ちょっとだけ自分を変えてみたかっただけだったのに――。

 藤ヶ谷さつきが和光捷子のスカウトを受けたのは、たいした考えがあっての事ではなかった。

いきなりの捷子の申し出も、日頃は内気で控えめな自分を変えるチャンスだと言われれば、確かにこれ以上の変身の時は無いようにも思えたし、お泊まり会のお誘いも、友人の恵美と麻奈と共に三人まとめてであればさほどの不安も感じなかった。

「さつきさん、すごいわ。貴女はやっぱりジェネラルの才能がある」

 捷子はさつきを高く評価してくれた。

 なんでも彼女は第五症例といって、兵隊の幽霊を呼び出す能力が潜在的にあるらしく、それはとても稀少で重要な力なのだという。

 さつきはすっかり舞い上がってしまった。

 彼女は内気で引っ込み思案な性格が災いして、クラスでも地味で陰の薄い、目立たないポジションを常に定位置として人生を過ごしてきた。

 授業中、教師にあてられて答えるだけで赤面してしまい、しどろもどろにモゴモゴと口の中で呟くことしかできないさつきは、これまでの人生で何かの主役になるような事は皆無であった。

 まじめで大人しいばかりの彼女は、同じようなポジションの友人たちと教室の隅で目立たず密やかに人生を過ごすのを己の役どころとし、そして本人もそれを甘んじて受け入れていた。

 不満はない筈だった。けれども、和光捷子に出逢い、そして自分の中に眠っていた本当の力に気づいた時、さつきは自分の視界が急に晴れ渡ったように感じたのだ。

 教室でも地味で目立たない彼女が、実は選ばれた存在であり、もしかしたらこの力を使って劇的に何か活躍して、誰よりも輝けるかもしれないなどという現状は、密かにさつきが頭の中で描き続けていた妄想を具現化したものであったし、そうなって初めてさつきは、自分の心の奥底に隠れていた変身願望に気づかされたのだった。

 以来、さつきは捷子のお泊まり会に誘われることを心待ちにするようになっていた。

 選ばれた少女たちが集まり、お嬢様みたいな夢の一時を共有できるお泊まり会のメンバーの一員に、普段は冴えない自分が加わる事ができ、そしてその仲間内でもさつきは特に重要で大切な存在なのだ。

 お泊まり会に通うようになってから、さつきは変わったと自分でも自覚するようになった。

 今まで、同級生に声をかけられてもろくに目も見られずに口ごもるばかりだった彼女が、笑顔で人に接する事ができるようになったのだ。

(私は選ばれた人間なんだ。皆にはない秘密の力を持った女の子なんだ)

 その事実がさつきに自信を与えておいた。友人の恵美と麻奈も同じだったのだろう。友人の身贔屓を差し引いても尚、彼女たちは垢抜けて見違えるように魅力的になった。

さつきがバスケ部でレギュラーの田中くんから告白されたのは先週の事だった。

「俺、前から藤ヶ谷の事、いいなって思ってたんだけど。最近すげー変わったっていうか、明るくなったっていうか、すげぇ気になってんだよね」

 放課後、呼び出された校舎裏でそんな言葉と共に付き合ってほしいと言われた時は、さつきは天にも昇る気持ちだった。

 そういえば、それっきり返事を待たせたまま、田中くんとは連絡をとっていない。

 突然、彼女の街に現れた小笠原みづきに怯えるあまり、告白の返事どころではなくなってしまっていた。

 今からでも田中くんに電話してOKの返事を伝えるべきだろうか。

 けれども、携帯電話の電源を入れたらまたあの女から着信が入りそうで、怖くてそんな勇気は出なかった。

 恐怖と絶望で狂ってしまいそうだった。

 もしこんな命の危険すらあるような危ない事に巻き込まれると知っていたなら、さつきは絶対に和光捷子のお泊まり会なんかには参加しなかったのに。

 さつきはただ、内気な自分をちょっとだけ変えたかっただけなのだ。

 他の人とは違う選ばれた存在として、素敵なお泊まり会を楽しんで、そしてその事で恵美や麻奈と三人だけの秘密を共有して、自尊心と優越感を満たせればそれでよかったのだ。

 静寂に静まり返った部屋で、さつきは後悔ばかりを繰り返していた。

 先程までは聞こえていた階下の物音も、今は堪えていた。時計は見ていないが、父も母ももうとっくに寝てしまったのだろう。

 夜は長い。朝日が顔を出すのはずっと先の事だ。

 みしり――。

 不意に、階段が軋んだ音を立てた。

 さつきは身を硬くした。

 誰かが階段を昇ってきている。

 恐らくは父か母に違いない筈なのに、何故だかその足音が恐くて堪らない。

 みしり、みしり。

 ゆっくりと近づいてくる。

 悲鳴をあげ、さつきは「お願い」と兵士たちを呼び出した。日頃は不気味でしょうがない幽霊たちがこれほど心強く思えた事はない。

 みしり、みしり、みしり。ひた。ひた。

 足音が彼女の部屋の前まで来て止まった。

 なんでこんな事になってしまったのだろう。

 絶望に押し潰されそうになりながら、さつきの目から一筋の涙が溢れた。


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