6、月に怯えて逃げ出せども(その2)「今野朝莉の決意」
和光邸の大きな門を潜って、待ち受けていたタクシーに乗り込みながら朝莉は盛大なため息をついた。
「……どうしよう……なんか、とんでもない事になってきちゃった」
朝莉は捷子から直々に、哲とみづきを引き離すように命じられていた。
「大変だな。ま、頑張ろうよ」
他人事のように手を肩において慰めてくる瑠琉亜を朝莉は恨めしげに睨む。
「もぉ!元はといえばルーちゃんのせいだよ!哲先輩の事、秘密にしてってお願いしてたのに、捷子さんに喋っちゃうんだから!」
「だってしょうがないじゃん」
瑠琉亜は悪びれない。
「下手にその先輩の事隠しておいたら次もその人巻き込まれちゃうかもしれないし、それに、もし先輩の素性が捷子さんにバレたら、何で隠してたのって朝莉ちゃん責められるよ?」
「そ、そりゃそうだけど……でも、言うにしたってまだ私の心の整理がついてないのに」
朝莉は頭を抱えた。
あの旧校舎襲撃の晩、朝莉は石橋美怜と曽根崎瑠菜の二人を手にかける小笠原みづきの傍で、彼女を止めようとする哲の姿を目撃していた。
助け出そうとした二人が眼前で惨殺された事以上に、それはショッキングだった。
「……ともあれ、早めに何とかしないとね。取り返しのつかない事にならないうちにさ」
「取り返しのつかない事って?」
「具体的に聞きたいの?」
朝莉は慌てて首を振った。瑠琉亜が濁した内容なんて、言われるまでもなく想像がつく。
「どっちにしろ、急ごうよ。捷子さんも随分と、お尻に火が点いてるみたいだしさ」
これだけ訳のわからない状況に追い込まれてしまっているのに、平然と振舞う瑠琉亜の図太さが、今の朝莉には羨ましくもあり、頼もしくもあった。
(哲先輩……)
朝莉は哲の顔を思い浮かべた。
いつも彼女には意地悪で、ちょっとオタクっぽくてあまり冴えない部活の先輩は、けれども朝莉がこのままむざむざと見過ごせる人物ではなかった。
(私が、絶対に助けてあげますから)
無意識の内に組み合わせた手に力が入った。
思い詰めた顔の朝莉は、その隣に座る瑠琉亜が僅かに顔を曇らせた事に全く気がつかない。
(厄介だなぁ)
運転手に行き先を告げながらも瑠琉亜もまた憂鬱になっていた。
朝莉を手伝う事が、ではない。
瑠琉亜は行きがかり上、朝莉を助けて彼女の説得工作を手伝うように捷子より「お願い」されていた。断ることなどできる筈もなかった。
その事は別にかまわない。
どうやら小笠原みづきとの交戦を経ておめおめと逃げ帰ってきた事は先の情報で帳消しになったようだったし、この期に及んで瑠琉亜を捷子が信じて後輩の面倒を任せてくるという事は、彼女が未だ諜者として尻尾を掴まれてない事を意味していた。
問題は、朝莉だった。
必勝を期して送り込んだ刺客たちが小笠原みづきに返り討ちに遭い、そして捷子の仲間たちは猛烈な勢いでみづきの反撃を受けて数を減らしつつあった。
その戦況を見抜く目は未だ持ち合わせてはいないにしろ、新人に過ぎない朝莉が巻き込まれるには明らかに危険極まりない情勢である事には間違いないだろうし、朝莉もまたこないだの交戦を経て、相当のショックを受けていた。
恐らく普通の神経の少女ならば、とっくに捷子との関係など放り投げて逃げ出している筈だ。その状況下で、知り合いの先輩を助ける事を朝莉は承諾した。
瑠琉亜が見る限り、朝莉の精神構造が特別とは思えなかった。楽観的で物怖じしない性格には間違いないが、新日本の一般的な環境に育った普通の少女が、今の異常事態をすんなり受け止められる筈がないのだ。
であるにも関わらず、朝莉は未だに捷子の下を去ろうとするそぶりなど毛頭も感じさせずにいた。懊悩こそ続けているが、その知り合いの先輩をみづきから引き剥がすという捷子の命令を履行しようと考えている事は間違いない。
普通の人間は、ただの知り合いの先輩程度の関係でしかない人物を、命の危険を冒してまで救おうと考える筈がない。
それだけ、和光捷子の呪縛が強力という事なのだろうか。
或いは、朝莉にとってのその先輩とやらはひょっとして憧れの恋人か何かなのだろうか。
だが、朝莉が奪おうと考えるその先輩は、あのみづきにとっても和光捷子との交戦の切り札なのだ。迂闊に手を出せば、今度こそみづきとやりあう羽目になる。
(あぁもう面倒くさい。早く撤収命令貰えないかなぁ)
心からそう願いつつも、先日の米憲兵隊による急襲の影響で瑠琉亜のボスたちとの連絡もままならないのが現状だった。当然、任務完了の命令など来る筈もなかった。
思わず口から漏れた瑠琉亜の重いため息の理由を勘違いしたのか、朝莉が弱々しい微笑を向けてきた。
「お互い大変だけど、頑張ろうね!ルーちゃん」
瑠瑠亜は曖昧に笑って誤魔化すしかできなかった。




