幕間「万骨の上で哭く」
久那守葉月は目を開けた。
束の間、脳裏に浮かんだ記憶を彼女の遥か内面に仕舞い込むと、目の前の現実に焦点を合わせる。
薄暗く閉塞感のあるコンクリート製の室内では、照明に照らされて喧々諤々の議論を軍人たちが続けていた。
長野県松本の地下に設けられたこの要塞に、極秘裏の内に大本営が移転してきたのはほんの先月の事だった。
広島と長崎に投下された二発の新型爆弾、それに不可侵条約を一方的に破棄して襲いかかってきたソ聯の侵略によって一旦は降伏に傾きかけた日本は、昭和二〇年八月十五日の未明に発生したクーデターの成功により、ポツダム宣言を拒絶して絶望的な本土決戦へと突入しようとしていた。
だが、幾ら彼ら軍人たちが徹底抗戦を呼号しようとも、実際問題として彼らの国には戦うべき兵器も、車を動かすべき燃料も、そしてそれらを扱う筈の兵員たちすら、先に行なわれた南九州での一大決戦によって払底しかけていた。
陸海のエリート軍人たちがこの地下要塞に何日も籠もり、その頭脳を駆使しようともその如何ともしがたい現実は覆る筈もなかった。
けれども、その絶望的な状況下にあって尚、一部の軍人たちはこの大戦における奇跡の勝利を妄想していた。その根拠こそが、久那守葉月の存在であった。
今まで人智を超えたその力によって皇国に勝利をもたらせてきた葉月は、今や神格化された救国の聖女であった。
堂々巡りの議論にも疲れ果てた参謀たちが縋るような視線を葉月に送る。葉月は微笑み、その形のいい唇を開いてみせた。
「案ずる事はありません。米軍が湘南か九十九里に上陸を果たしたその時こそ、我々は彼らを相手に関東平野の全ての地域で遅滞戦術を展開して敵を疲弊させて消耗戦に巻き込めばいいのです」
まるで女神の託宣を聞いたかのように軍人たちは彼女の言葉に聴き入った。
だが勿論、中には葉月の言葉にまつろわぬ者たちも存在する。
「遅滞行動をとれというが、それは明らかな反撃の為の用意がある場合にしか意味をなさん!連合国は無尽の物量で損害を回復し、対する我らにはまともな補給網も残されてはいないんだぞ!?」
軍事的常識的に考えれば至極まっとうな意見を吐いた参謀に、葉月は笑顔で応えた。
「ご安心を。反攻の為の兵たちならば私が用意いたします」
「ふざけるな!そんな予備の兵力など何処に存在する!?敵の数は一万や二万では済まんのだぞ?それを追い落とすとなれば……」
「問題ありませんよ。我が神州には一億の人間がいるのです」
艶やかな笑みを浮かべた葉月に見据えられ、参謀は凍りついた。
「まさか…貴様、この国で反魂の術を濫用するつもりか」
久那守葉月の駆使する反魂の徴兵術を知る者は大本営のエリートたちの中でも一部しかいない。だが、その存在を知る男たちは騒然とした。
「「馬鹿な!?南洋の島ならばいざ知らず、国民の目の前でそんな真似をしたら大混乱が起きるぞ!?国際世論もますます悪化する」
「そもそも反魂の秘術で扱える兵数には限界があろう」
「あの技は統帥の外道だと聖上もお言葉を発せられた禁忌の術だ!」
降り注ぐ批難の言葉を正面から受け止めた後で、葉月はその秀麗な美貌で男たちを見回し尋ねた。
「ならば、貴官らがその生身で迫り来る米兵どもを押し返してくださいますか?」
軍人たちは答えられなかった。
口を歪めて葉月は尋ねる。
「そもそも私の術を統帥の外道というのならば、何故あれ程無闇な特攻作戦によって有為の若者たちの命を大勢奪ったのですか?そちらの方がよほどに酷いでしょうに」
「それは、練度と戦況を考えれば他に手は無かった……」
「つまりは貴官らの無能を前線の兵たちに押しつけた、と」
嘲り笑ってみせた後で、葉月は傲然と告げた。
「この期に及んで臆したか?それでも貴様らは陛下の忠勇なる藩屏か?我が皇軍は死してもなお何度でも蘇り国に報いる神兵なのだぞ」
そして葉月は一人の男を見やった。海軍大将の階級章をつけたその提督は、彼を見据える葉月の目に殺気が宿っている事に気がつき、蒼ざめた。
「貴様ら軍令部の無能の所為で、大尉は死んだ」
「ま、待て!?何のことだ?誰の事を言っている」
「知りたくば、レイテの海まで泳いでその目で確かめて来い」
いつの間にか彼女の手に握られていた拳銃が火を噴き、提督の額に風穴が空いた。
騒然とする軍人たちが気づいた時には、彼らの背後を取り囲むように兵士たちが立っていた。
「さぁ、議論の時は終わりです。もはや動かす兵もない大本営になど留まっていても仕方ありますまい。かくなる上は、貴官らも原隊に戻って一軍人としての本分に立ち返り、最期の時まで戦い続けなさい。案ずる事はありません、もし武運拙く路傍に屍を曝しても、私がすぐに立ち上がらせてあげますから安心して玉と砕けなさいな」
蒼ざめる軍人たちの一人が、呻き声をあげた。
「狂ってる…貴様は狂っている」
少女は楽しげな笑い声をあげた。
「えぇ、私は狂っているのかもしれません。ですが、私を狂わせたのは貴方たちですよ?」
不意に、床に転がっていた筈の提督の遺骸が動き出した。近くにいた者たちが悲鳴をあげて離れる中で、銃痕から血を流した生々しい姿のまま、提督は緩慢な動作で歩き出す。
「さぁ皆さん、死にましょう。敵を殺して、貴方たちも死ぬのです。私が何度でもよみがえらせてあげますから心おきなく戦ってくださいな」
逃げ散るようにして軍人たちが部屋を出て行った後で、葉月は一人、椅子に身を投げ出して虚ろな目を天井に漂わせた。
「そう…皆、死ぬのよ。だって、貴方のいない世界なんてもう何の意味もないんですもの」
葉月の双眸から涙が一筋零れ落ちた。
「手島大尉……どうして貴方だけは、私の反魂に応じてくれないんですか。どうして、還ってきてくれないんですか……」
乗艦していた武蔵と共にレイテ湾に消えた彼女の想い人は、二度と葉月の前に姿を見せてくれる事はなかった。
「大尉……」
死者たちの将軍はたった一人、嗚咽の声を洩らした。




