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1、ミヅキさん(その5)「怪奇、コスプレ電波少女」

 旧校舎は九品学園高校の新校舎が8年前に建てられて以来、その学び舎としての実質的な機能の大部分を新校舎に委譲しており、今では建物のあらかたが取り壊されて一部のみが文化系部活動の部室や教育資料の保管などの為に残されていた。古い建物だけあって、怪談もたくさんある。

 職員室から借りた鍵で玄関の施錠を外し、扉を開放するとむわっとした空気が哲たちの顔を包む。

 黴臭い、古びた建物の臭いが鼻をついた。

「さて、電気電気」

 懐中電灯を片手に哲はさっさと校舎の暗闇の中に入っていく。

 異世界の生き物を見るような顔で朝莉はそれを見送る。

「なんで哲先輩ってあんなに平然としてるんですかね?怖くないんですかね?」

「門倉はオカルト系大好きだからな。廃墟とかにも一人で行くらしいぞ」

「うわ、信じらんない。イカレポンチです」

 恐らく新校舎の完成後はろくにメンテナンスにも力を入れられていないのだろう。随分と消耗した蛍光灯のぼんやりとした明りの下を三人は進む。

 事あるごとに朝莉が口を開いてきてうるさかった。

「な、なんかあそこの窓に誰かいません?ほら!」

「あれは木だろ」

「せ、先輩。私、トイレ行きたくなっちゃったんですけど引き返しません?」

「うん?ションベンか?だったらその先に便所あるだろ」

「イヤですよおっかない!夜にこんな所のトイレ入ったら絶対なんか出ます!新校舎に戻りましょうよ」

「やだよめんどくさい」

「じゃあじゃあ、せめてトイレの前で待っててください。哲先輩なら変態さんだからそれくらい喜んでしますよね?あ、調子こいて中に入ってきたらぶっ殺しますからそこんところヨロシク」

「こいつホントめんどくせー!」

 やむなく哲たちは朝莉のトイレ待ちになった。

「ひぃぃぃっ!こわっ!?無理!」

「いいから早く行けよ」

 無駄にうるさい後輩の背中を哲はグリグリと押しやる。

「わ、わかってますよ。絶対、イタズラして電気とか消さないでくださいよ?」

「――なぁ今野?昔、このトイレの三番目の個室で」

「やめろぉ!そんな話今はやめろぉ!うぅ、もぉダメ。我慢の限界……先輩、三番目って右からっスか?左からっスか」

 ようやくトイレに入ってからも、10秒刻みで中から「先輩~?ちゃんとそこにいますよね?返事してください先輩~!」と朝莉の喚き声が聞こえてきた。

「ったく、子供かあいつは」

 哲はため息をついた。

 いっそ、トイレの電気を消してやろうかとも思ったが、まず間違いなく朝莉が大パニックを引き起こすだろう事は間違いないのでそれは思いとどまる。

「しかし、さすが旧校舎は雰囲気があるな。ホントになんか出てきそうだ」

「建てられた時代も古いですしね」

 染みの浮かんだ廊下の壁を見やりながら哲は答えた。人の顔に見えなくもない。

「でもハヅキさんが出たのはこっちじゃなく、新校舎の方なんだろ?」

「そりゃ、新校舎と旧校舎じゃ圧倒的に人の数が違いますからね。こっちじゃ目撃するべき生徒もろくに出入りしないでしょう」

「じゃあ、こっちで遭遇する可能性もあるかもな。そろそろ腹も減ってきたし、出るならさっさと出てほしいもんだ」

 誠司の言葉が呼び水になった訳でもないだろうが、廊下の蛍光灯が一瞬、光度を下げた。

 さすがの哲もギョッとしたが、当の誠司は平然とした顔で蛍光灯に近づき鼻を鳴らす。

「もうダメだなこれ。寿命が切れかけてる」

「田原先輩って実はこういうの全然信じてないですよね」

「話としては面白いから大好きだぜ?ただ、俺は見た事ないものは信じない主義だからな」

 哲は苦笑した。

「まぁ、実際に怖い怖いと思ってたら何でも怖く思えますしね。たとえば窓に映った自分の顔にすら――」

 コンと桟を叩いて何気なく窓の外を見やり、哲は言葉を止めた。

 旧校舎とL字の形で繋がっている別棟、その三階辺りに何やら動く影を見つけたのだった。

 哲の様子に気づいた誠司が声をかけてきた。

「門倉?」

「――誰かいます」

「おいおい、脅すのは無しにしてくれよ」

 言いながら誠司も窓に張りつき覗き込む。

「――どこだ?わからない」

「三階の東階段です。誰かが昇ってます。ほら!」

「俺には見えないぞ?見回りのガードマンじゃないか?」

 誠司が窓越しに闇を睨みながら尋ねる。

「それなら電気を点けるなり懐中電灯を持つなりします。それに、人影は複数でした……僕、先に行って見てきます」

 哲はビデオカメラを構えて走り出した。

「あ、おい!門倉!」

「ぎ、ぎゃ~!?先輩!?何かあったんですか!?置いてかないでくださいよ!」

 トイレから朝莉が悲鳴をあげた。

「くっ!今野!まだか!早くしろ!門倉が何か見つけた!」

「え?え?そんな事言われてもぉ~」

 後輩の女子を一人置き去りにする訳にもいかず、誠司は走り去る哲の背中に声をかけるので精一杯だった。

「門倉、あまり無茶すんなよ!泥棒とかだったらシャレになんないぞ!」

「大丈夫です」

 哲は応えて走る。

 長い廊下を息を切らせながらかけると、別棟への渡り廊下を曲がる。

「ん?なんだ?これ?」

 哲は別棟の入り口に書かれた落書きに気づく。哲には読み取れない文字が書かれている。気になったが、今は人影を追うのが先だ。

 人影が見えたのは三階の階段付近だ。

 電気を点け、ビデオカメラを構えると哲は慎重に階段を昇り始めた。

 物音は聞こえてこない。

「たしかこの辺り……」

 三階の踊り場に辿り着き、周囲を見回す。窓の外を見やれば、先程、哲がいた旧校舎一階のトイレがここから見える。まだ待ち呆けぼうけを食らう誠司の姿も見える。

「……大だな、ありゃ」

 ひどくどうでもいい事を口にした後で、哲は階段を昇り終える。誠司たちの増援は当分期待できそうもない。一人で探すしかない。

 まずは人影の見えた三階を探してから、残った4階を攻めていこうと決める。

 廊下の電気を点ける。

 歩き出してすぐ、小さな異常を発見した。

 足許ギリギリの所に紐が通してあり、中央付近に小さな鈴がぶら下げられている。

「なんだこれ?」

 紐を跨ぎ越えて進む。

 一つ目の教室を覗き込む。誰もいない。二つ目の教室を覗き込み、そこも無人である事を確認して首を引っ込めようとしたその瞬間、

「動くな」

背後から声がかけられた。

「ふわっ!?」

哲の口から情けない悲鳴が漏れた。

後ろは振り向けない。首の後ろ辺りに何かチクチクするものが突きつけられている。恐らく刃物か何かだ。哲は恐怖で凍りついた。

タレか」

 耳に届くか届かないかの、微かな囁き。

 それが彼に向けて発せられた言葉だと気がついた瞬間、

タレか」

 再び同じ声がした。

 首の辺りがチリチリする。痛い。

タレか」

 三度、声は告げた。哲の耳朶に吐息がかかるほどの間近な距離。

 哲は漸く、それが彼への言葉足らずの問いかけだと気づき、慌てて答える。

「ぼ、僕は門倉、二年D組の門倉哲!放送部です」

 背後の気配が困惑げに息を呑むのがわかった。首に突きつけられた物の感触も弱まる。

 振り返ろうと身じろぎしかけた哲を、声が鋭く制した。

「動くな!」

「はい!」

 哲は素直に従う。声が背後から降ってくる。まだ若い女性の声だった。

「貴様、何者だ。この学校の生徒か?何の用があってここに来た」

「え、えぇと……学校で幽霊を見たっていう怪談話が持ち上がりまして、その取材をしてました」

「幽霊だと?ふざけるな。貴様、ブン屋か?こんな所に何しに来た」

 ブン屋とは随分レトロな言い回しだが、たとえアマチュアにしても放送部員の肩書きを持っている以上、哲もまたジャーナリストの端くれなのかもしれない。

「えぇ、まぁ。ただの部活動ですけど。あの、それで、さっき取材中にたまたまこの辺りで人影を見かけて来たんでけど……あなたですかね??」

「信じられんな。ただのブン屋が私の偽装を見抜いたというのか?正体を明かせ!さもなくば痛い思いをするぞ」

 再び首にチクチクする痛みが走った。

「ちょっ、やめて!暴力反対!正体も何も、僕はただの高校生ですって」

「――調べさせてもらう。ゆっくりとそのカメラを床に置け。そこの壁に手をついて動くな」

 哲はバンザイの格好をとらされてそのまま壁に手をついた。

 後ろから手が伸びてきて哲の懐やズボンのポケットを弄ってきた。

 随分と華奢で小さな手だった。

「おぅ、ふぉ、ちょ、くすぐったいです」

「だから動くなと言っておる!――ふん、まぁいい。武器は隠してないようだな。ゆっくりとこちらを向け。ただし妙な事は考えない事だぞ」

 哲は言われたとおりにした。

 それでようやく哲にも声の主が見えた。

 小柄な体躯の少女だった。

 少女は眼鏡をかけ、長い髪を三つ編みに編んでいた。

 学生、ではあるようだ。ただし九品学園の制服ではなかった。臙脂色のラインとスカーフの入った、どこか野暮ったく古風なデザインのセーラー服だ。

 記憶を辿っても近隣の学校に該当する女子学生の制服は思い浮かばなかった。

 三つ編みにメガネ、そしてセーラー服という姿は、女子生徒というよりも女学生と称した方がいいような時代錯誤の印象を受ける。

 たとえばこれがドラマや小説だったら、まず間違いなく内気でおとなしく夢見がちな文学少女、といった役回りを与えられるであろういでたちの少女。

けれどもおとなしくて夢見がちな文学少女は三つ編みを四本も吊るしてなどいない。

 よく見ると少女の三つ編みは後頭部の長い二本に加えて顔の横にこじんまりとした小さなそれが二本。合計四本もの三つ編みが揺れていた。地味なんだか奇抜なんだかわからない髪形だ。

 そして奇抜といえば、彼女の下半身はスカートではなく奇妙なズボンだった。木綿の生地を紺色に染め上げたそれは完全に少女の脚線美を包み隠していた。

 上はセーラー服で下はブカブカのズボン。斬新過ぎる組み合わせのファッションだ。

 これでは文学少女どころかまるで――――戦時中の女学生じゃないか。

そこまで思考を巡らせたところで哲は会心の笑みを浮かべた。これこそ、彼が追ってたモノの姿そのままではないか。

「で、出た――――」

興奮と恐怖、それに幾ばくかの好奇心で心臓がバクバクと高鳴る。

「君が、ハヅキさんだね?」

確認の意味で尋ねた言わずもがなの問いかけ。

けれども、聞かれた三つ編み少女は何故か動揺した表情を浮かべた。

「ハヅキ――?貴様、クナモリハヅキを知っているのか?」

「え?クナモリハヅキ?誰それ?」

「貴様が今、口にしたではないか」

どうでもいいけど、現実世界で二人称を貴様って呼ぶ人初めて見たな――そんな事を考えながら哲は応える。

「あ、えぇと。ハヅキさんってのはうちの学校に出る幽霊の事で……あの、てっきり君の事だとばっかり思ってたんだけど?条件ぴったりだし」

 三つ編み少女は小首を傾げた。

「――なるほど。そうした怪談の下地があるならば、ここに新たな撫子や百鬼が現出するのも納得がいく」

「え?え?なに?」

「いや、こちらの話だ」

 見た目同様、言動もよくわからない少女だった。

 もっとも、夜の校舎を電気も点けずほっつき歩く人間が普通の感性の持ち主の筈もない。

「??……よくわからないけど、ハヅキさんじゃないなら君は誰なの?人間なの?幽霊なの?いったいここで何をしてるの?」

「質問の多い奴だな」

「ご、ごめん。……で、どうなの?」

 少女は首をピンク色の眼鏡のフレームを指で押し上げた。

「自分は――うむ、ミヅキさんだ」

「ミヅキさん?」

 なんだか、とってつけたような二番煎じのネーミングだった。

「人間なの?」

「このおみ足が目に入らぬか貴様?」

 ミヅキさんは足を突き出してきた。

「なんだぁ……せっかく本物の幽霊を見つけたと思ったのに」

 哲は肩を落とした。だが落胆するのはまだ早かった。

 目の前にいるのは幽霊ではないにしても、見るからに怪しい格好をした謎の怪少女だ。

 こんなに美味しいネタはなかった。

「ねぇミヅキさん、それってモンペだよね?なんかのコスプレか何か?」

 哲に指差され、怪少女は呆れたように答えた。

「なんで夜の学校で一人でコスプレしなければならないのだ?そんなバカがいるか」

「あー……違うんだ」

「これは私物だ。運動着とどっちにするか迷ったが、今日の気分はこっちだった」

「……へー」

 今日はモンペの気分。女の子の気持ちはわからない。

「ここで何してるの?肝試し?」

「軍事機密だ。その質問に答える事はできない」

「うん、わかった」

 哲は納得した。

(――こいつ、ただの電波だ)

 幽霊の正体見たり、モンペ姿のコスプレ電波娘。

 虚しい結末だ。やはり怪談は真実など突き止めないで素直に怖がってるのが一番なのかもしれない。

「ま、いいや。ねぇ、せっかくだからカメラ回して撮ってもいい?少し話を聞かせてよ」

 ビデオカメラのファインダー越しに覗いた三つ編み少女が不快そうに顔をしかめフレームから外れる。

「断る」

「ちょっとだけ。身バレしないように顔とか声とか加工するからさ。ちょっとだけインタビューさせてよ」

 たとえ幽霊の少女がエキセントリックな電波少女でも、その結末は冷徹に記録としての子さなければならない――というのは建前で、なんとなく面白そうだと哲は考えたのだ。

 三つ編み少女は言葉ではなく行動で答えた。

 構えたカメラのファインダー越しに突きつけられた黒い物体。

「……オッケェわかったよ。降参」

 たとえモデルガンのBB弾でもレンズに傷は入る。哲はカメラを外して両手をあげた。

 少女は不機嫌そうに握っていたモデルガンを下ろした。

「情けないな。日本男子が軽々しく投降するな」

「僕、草食系なもので」

 ミヅキさんは腰に手を当てて哲を見上げてきた。

「用事は終わりか?ならば去れ。邪魔だ」

 随分と勝手な言い草だった。

「あ、あの。ミヅキさん」

 哲は慌てて口を開こうとしたが、それより早くミヅキさんが吼えた。

「気ヲツケぇ!」

 裂帛の号令に思わず哲は身を固めた。ダウナー系の喋り方のくせに、こういう時だけ体育会系部活みたいなすごい迫力だった。

「回レぇ、右!!前ヘぇ、進メぇ!」

 言われるがままにオイッチニィと歩きながら、こんな事させられるのは小学校以来だなと哲は思った。

 まあ、これ以上この電波少女に関わっていてもろくな事にはならなそうだ。とりあえず誠司たちと合流してからこの面白エピソードを披露するとしよう。

 だらだらと行進の真似事を始めながらそんな事を考えていた哲は、ふと視線を感じて横を向き、ギョッとする。

 空き教室の扉の陰に、男が立っていた。

 青白い痩せこけた頬の上で、落ち窪んだ目が眼光鋭くこちらを睨んでいる。葉っぱのついたヘルメットを被り、ボロボロの軍服みたいな上下を着て、先に剣のついた鉄砲を腰だめに構えている。どこからどう見ても第二次大戦中の日本兵だった。

 ひぃ、と思わず悲鳴をあげて哲は飛び退いた。

「うわ~ビックリした!もう一人いた!」

 バクバク高鳴る心臓を抑えながら哲はへたりこむ。

 そういえば、さっき哲が見かけた人影は複数だった。入院した野中結衣の話でも戦争中の日本兵の格好をした幽霊がいたとか言ってたのを忘れていた。

「ほぉ。貴様、気づいたか」

 驚いたような、感心したような声で後ろの少女が声をかけてきた。

「こ、こちら、君のお友達?」

 まだ心臓の動悸が止まらないままに兵隊を指差して哲は尋ねた。

「川田兵長だ」

 先程、この空き部屋を覗いた時にはこの男には気づかなかった。

 よっぽどうまく隠れていたのだろうか。服のボロボロ具合や鉄砲につけた銃剣の金属の質感も妙にリアルで、本物っぽかった。

「ど、どうも。門倉哲です」

 暗がりから青白い顔でこちらを睨んでくる男に挨拶をする。

 無言のノーリアクションが怖い。

 帰ろう、と哲は思った。

 夜の学校で日本兵と女学生のコスプレをしている二人組。なるべくなら関わらない方が絶対にいい。


 結果的には哲の判断は正しく、そしてそれ故に手遅れだった。


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