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幕間「ノモンハン、1939年9月(下)」

 ろくな埋葬もされぬまま、無念のうちにノモンハンの戦場に彷徨い続けていた彼らの魂を呼び寄せ、再びこの世に受肉させたのは久那守葉月の祈りだった。

 蘆屋彌稚乃の教育の下、これまで既に数々の魔術的奇跡を顕現させてきた彼女が、漸く死人返りの秘術を軍事的実用化に漕ぎつけたのは、今を去ること僅か一月ほど前の事であった。

 大本営参謀の肝煎りでノモンハンの最前線に彼らが姿を見せているその理由は、その反魂の術の実地試験に他ならなかった。

 幸い、戦場には未だ成仏しきれぬ無数の死者たちの霊が無数に漂っていた。葉月はそれらの霊魂を呼び寄せ、支配し、受肉化させたのだった。

 今のところ、そのテストは成功という他ない出来栄えだった。

 人類史を紐解いてみても、これほど大規模かつ高度な死霊術(ネクロマンシー)を成功させた術者は存在しえないであろう。

 その意味で、いみじくも先程大佐が口にしたとおり久那守葉月は日本軍が切り札として誇るべき空前の魔術師であった。たとえその内実が複数の秘術と呪い、それに因果に雁字搦めにされたに過ぎぬ哀れな生贄であったとしても、それが久那守葉月の功績を貶める事には決してならなかった。

 死者たちの行軍を満足げに見守りながら、蘆屋彌稚乃が紅を引いたような赤い唇を艶かしく歪ませた。

「大佐殿、いかがですか?この出来ならば、支隊と言わず本隊の総反攻に加勢して兵士を投入していれば、此度の戦は容易に我らの勝利に終わったのではないですか?」

「馬鹿を言え。たかだか不毛の草原を奪ったところで我らに何の益がある?地図上の線引きと引き換えに、反魂の術の存在を米英に知らしめる訳にいくものか」

 大佐はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 「それに――この戦にもし勝ってしまえば、我が軍は勝利に酔ってシベリアの凍土に雪崩れ込み、身動きがとれぬままに米国に本土を衝かれてしまうのだろう?」

 現実には分かる筈のない未来の話を、まるで事実であるかのように大佐は尋ねた。

「少なくとも、北進論の声が大きくなってしまうのは確かです。私の視たその歴史では、反魂の術はありませんでしたが」

 受け答える彌稚乃も、仮定の話をやりとりしている風には見えなかった。まるで経験した過去のような口ぶりでそう答えた。彼女の予言の精度の高さは頑迷にて保守的な参謀本部のエリートをしてその信憑性を疑わせたりはしなかった。

 大佐が聞き咎めたのは別の部分だった。

「同じことだ。国を動かすのは兵器ではない、人の意志だ」

 大佐はそう断言した後で、もう一人の随行者、海軍中尉手島虎四郎を見やった。

「貴官は何か言いたげだな?中尉」

 先程から死者たちの行進を見つめる気鋭の若手海軍士官の顔は険しいままだった。

「いえ、特には申すべき事柄はありません」

「存念があるならば言いたまえ。多少、無礼な口を利いたところで自分には貴官を罰する権限も理由もない。むしろ将来を嘱望される海サンの俊英に遺恨を貯め込まれる方が面倒だ」

 大佐の言葉に手島は漸くその鋭い視線を向けてきた。

「では申し上げます。大佐、これは統帥の外道であります」

「ほう、聞こうか」

「たとえ勝利の為とはいえ、国の為に殉じて散っていった英霊たちを再び戦の駒として扱うような真似は、一帝国軍人として自分は見過ごせません。いや、それ以前に人として、死者を冒涜し穢し辱めるような真似は到底許容できません!果たして英霊たちをこの世に呼び返して戦わせねばならぬ程に我ら皇軍は追い詰められるとでもいうのでしょうか」

 若い士官の物おじせぬ言葉に、年嵩の陸軍将校たちはその青き理想論を苦笑で受け入れ、ただ一人、彼より幼き少女だけが怯えたように困惑した視線を中尉に向けて佇んだ。

 その葉月の震える肩に手を置きながら、蘆屋彌稚乃は手島に向け口を開いた。

「中尉、貴方の言いたい事はわかります。ですが、これは我らの祖国を救う為の力です。おそらく二年後に迫る対米戦は未曾有の消耗戦となり、我々皇軍がかつて体験したこともない犠牲を強いられるでしょう。その時になって兵が足りぬと騒いでも遅いのです。ならば、今一度、国難に対して英霊たちの力を借りるのはやむを得ぬ仕儀ではないですか」

「ですが」

「それともう一つ。死者たちにとって最も恐ろしい事は再びの死ではありません。己の死がまったくの無駄死にとなり、そして弔われる事もなく後世の人々に忘れ去られる事です」

 反論しかけた手島の口を封じて彌稚乃はそう断言した。手島は押し黙るしかなかった。

 元より魔術の素養も、霊魂の知識も全くない一海軍士官が本物の魔女にこの手の議論で勝てよう筈がなかった。

「たとえば想像してご覧なさい。国の敗北によって国民が軍を憎み忌避する未来を。国の為に戦った筈の兵士たちが、蛇蝎のごとく忌み嫌われ、人々の目から背けられ続け、そして徒に政争の道具に落とされる姿を」

「馬鹿な、ある筈がない!たとえ軍人として敗北の責を負ったとしても、敗れたのは自分たちの父や夫であり、命を賭けて御国の為に戦った同胞ではありませんか!」

 愕然として答えた手島に対して、彌稚乃は言葉で言い伏せる真似はしなかった。ただ、嫣然と微笑みこの若い士官を見つめてみせた。

「中尉、貴方はやさしく真っすぐな若者です。この先何が起ころうともその心だけはずっと持ち続けてください」

 手島にとっては、いかなる辛辣な面罵よりもそれが応えた。

 この魔女は恐らく、可能性という言葉で彼に起こりえる未来を提示したのだ。それは、極めて日本的な社会観の持ち主である手島に充分すぎるほどの衝撃を与える告白に他ならなかった。

 同時に、海軍兵学校を上位のハンモックナンバーで卒業した優秀な頭脳の持ち主である手島にとっては、蘆屋彌稚乃と大本営が結託して行った反魂の術の軍事的有用性は充分すぎるほどに理解できていた。

 いかなる軍隊においても、将兵の損耗とその補充は重要な問題である。

 部隊の編制上の枠は常に有限であるのに対し、戦死傷、事故、病気、人事異動、その他諸々の要因で将兵は常に減じて部隊の戦力は低下していく。戦時ともなればその損耗の度合いは加速度的に増加する。

 後方の基地から前線に向けて兵士を送り出し配備する為のコストもそうであるが、たとえば、とある戦闘で兵士を10人失った部隊に対し、後方から同じ頭数だけ兵士を送り込めば解決するかといえば、状況は殊更簡単な問題ではない。

 その性質上、当初の部隊の兵員に対して補充兵は質的に劣るのが軍事上の常識であり、また送り込まれた兵士を部隊に適応させる為の教育訓練等の負担は必ず生じるのだ。

 反魂の術は、実用化さえしてしまえば、少なくともそうした様々な諸問題を容易に軽減するだろう。

 なにしろ、乱暴に言ってしまえば、たった今まで戦っていた兵士をそっくりそのまま前線の部隊に補充し、復帰させられるのだから。

 もちろん、術者の力量の問題や、術者本人の疲労の問題は当然あるものの、少なくとも現時点においては久那守葉月が一人いれば、陸の会戦であれ、海の決戦であれ、極めて多くのアドバンテージを誇れることになるのだ。

 勝利を義務づけられた軍人である手島にとって、それは良心の呵責を呼び起こすと共に抗えぬ魅力を秘めた禁断の秘術であった。

「ねえ中尉。武人にとって何よりの供養は彼らの墓標に勝利を捧げ、彼らの死を無駄にはしない事でしょう?」

 彌稚乃の甘い言葉を手島は自身の内部から沸き起こってきたどす黒い誘惑と誤解した。

 暫くの煩悶の後で、手島は懊悩に満ちた顔を葉月に向けた。

「葉月、話がある」

 呼びかけられ、緊張と怯えの入り混じった顔で少女は中尉を見つめ返した。

「なんでしょうか、中尉」

「済まない、君のやっている行為を責めたい訳じゃないんだ。むしろ、本来俺たち軍人が担うべき事を君に背負い込ませてしまっている事を許してくれ」

「いえ、そんな…私は御国の為に少しでも役立ちたいだけです」

「ありがとう」

 悲しげに微笑んでみせた後で、手島は被っていた鉄帽を脱ぎ、年下の部下に向けて短く刈り込んだ頭を下げてみせた。

「頼む――たとえ君に使役される存在となっても、彼らは俺たちの仲間であり同じ日本人なんだ。くれぐれも丁重に扱ってあげてほしい。そして、戦いが終わった後は、彼らを必ず解放して、今度こそ彼らに安息の眠りを与えてやってくれないか?君ならできるだろ?」

 少女は驚いたように頭を下げる手島を見やり、次いで傍らの彌稚乃の顔色を窺った。

少し困惑した表情を見せた後で、彌稚乃が曖昧な視線を向けてくるのを、葉月は敢えて自分に都合のいいように解釈した。

 それから、恥らうように口許を綻ばせて手島に声をかけた。

「わかりました、中尉。約束します。ご命令のとおりに致しますから頭を上げてください」

「本当か、葉月」

「はい!誓って呼び出した兵たちの御霊は慰め癒すように致します」

 その言葉を聞いて、手島は嬉しそうに破顔した。葉月の手をとり、そのまま上下に振って見せた。

「すまない葉月、ありがとう」

「ひゃっ!?ちゅ、中尉……!?」

 真っ赤に顔を赤らめた少女の内面に気づいた様子もなく、手島は「ありがとう」と繰り返し、彼女の手を握り続けた。

 その光景を、年嵩の大人たちは半ば冷めた目で見守っていた。

「いいのか?この先、対米戦が進めば兵たちの召喚は莫大なものとなるぞ?それを一々鎮めていたのでは厄介な縛りになるまいか?」

 魔術にさほどの造詣はない筈であるのに、大佐の指摘は流石に的を得たものだった。

 彌稚乃は苦笑を浮かべて答える。

「確かに余計な手間ではありますが、いずれ使役した霊魂を再び鎮める必要は発生します。それに、彼女の霊力を考えればその程度の浪費はさほど影響ない筈です」

「そうか。ならばいいのだが」

「はい。少なくとも、その事で葉月が手島中尉との絆を確かめられるのでしたら、かえって彼女にとっては有益な誓いとなるかもしれません」

 




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