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幕間「ノモンハン、1939年9月(上)」

 1939年。紀元でいえば記念すべき皇紀2600年を翌年に控え、また昭和大帝の御世として数えるならば十四年目を数えるこの年、日本は激動の真っ只中にいた。

 欧州ではフランコ将軍率いるナショナリストたちの勝利によってスペインの内戦が終結し、またナチスドイツによるチェコスロバキアの併合や突然の独ソ不可侵条約の締結、そしてドイツ軍のポーランド侵攻など、次第に世界は再び戦乱の時代へと足を踏み入れつつあった。

 日本もその例外ではない。

 拡大する支那事変に対して無策のまま、一月には近衛内閣が総辞職し、後を継いだ平沼内閣も独ソという仇敵同士の不可侵条約という外交的敗北を目の当たりにして瓦解。年に三度の組閣を余儀なくされた政界は尚も混迷を続けていた。

 そして満蒙国境での小競り合いから起きたノモンハン事件で日本陸軍はソビエト軍相手に多大な被害を蒙る事になる。

 この戦闘はあくまで局地戦でありながら、日本陸軍にとっては近代的な機甲部隊を擁する陸軍との初めての戦闘となり、またノモンハンの上空では激烈な大規模航空戦も展開された。

 ソ聯軍は手強かった。

 味方の被害は甚大であり、そして日本軍は己の弱点をまざまざと見せつけられる結果となった。

 八月下旬に始まったソ連軍の攻勢により、日本軍部隊は敵の包囲を恐れてじりじりと後退を余儀なくされていた。

 ソ聯軍は奪取した地域に強固な陣地を築き、その確保に努めた。日ソ両国で進む停戦交渉においては、その現状の占領地域が重要となるからである。

 一方、そのノモンハン南方のハンダガヤにおいては歩兵二個聯隊を基幹とする片山支隊が反攻に打って出ていた。

 その将兵たちの中に、風変わりな一団が混ざっていた。

 まず、夜目にも目立つのは参謀飾緒を身に付けた高級参謀である。大本営より停戦前の前線視察という名目で派遣されたこの大佐はその階級や職務でいえば、同行する支隊長らよりもよほど上の立場にいる。

 勿論、権制上の理由から部隊の指揮権はないが、支隊本部にとっては扱いに困る珍客には違いなかった。いくら前線視察とはいえ、これから敵と殴りあう最前線にまで大本営の高級将校が同行するのは異例と言えた。

 その彼に随行するのもまた、奇妙な三人組だった。

 一人はなんと海軍士官であった。海も無いこの内陸の戦場においてほぼ全く傍観者の位置にいた日本海軍の、稀少な例外である。

 残る二人は、性別すら異なっている始末だ。

 年嵩の方は身なりこそ陸軍将校のそれだったが、妙齢の女性である。

 陸軍特務機関所属の蘆屋彌稚乃(みちの)といえば、権謀術数に生きる昭和の魔女として有名だった。

 その彼女が連れているのは年端もゆかぬ少女だった。

 美しい少女だった。血と硝煙の臭いに満ちたこの戦場には似つかわしくない、どこか儚げで静謐な雰囲気を漂わせている。

 その名を、久那守(くなもり)葉月(はづき)という。

 彼女こそ、この終結間際の局地戦に大本営参謀が顔を出し、海軍士官と妖しげな特務機関長が同道しているその理由であった。

 彼らの眼前で、ハンダガヤの高地群を巡る日ソ両軍の攻防は激化の一途を辿り、次々と将兵は敵弾に倒れていった。

 苦戦を強いられる片山支隊長に、大本営参謀が夜戦を助言したのはその日の黄昏時の事であった。

 片山は隠しきれない不快感を滲ませながらその大佐を見やる。たとえ助言の立場をとっていても、大本営から来た参謀の言葉は実質的な命令と他ならない。

「大佐殿、ご助言はありがたいのですが、これは我々の戦。それに兵たちは連日連夜の戦いで限界に達しております」

 前線で横合いから現場の指揮権に介入されたのではたまったものではなかった。

「貴官の職務に容喙するつもりはない」

 大佐は腹を立てた様子もなく頷いた後で、控えていた少女を呼び寄せる。

「ただ、貴官にその為の兵士を貸そうという、ただそれだけの事だ」

 目の前に現れた少女を怪訝そうに見やり、片山は尋ねた。

「大佐殿、お気持ちはありがたいですが、まさか彼女を援軍に、などというおつもりではあるますまいな」

 大佐は鼻で笑った。

「馬鹿を言え。彼女はきたる大戦における決戦の為の切り札だ。こんなちっぽけな戦場ですり潰せるものか」

 自分たちの戦場を愚弄された片山以下の男たちが顔色を変える中、悪びれた様子もなく大本営参謀は告げる。

「もちろん、戦うのは兵士たちだ。忠勇無双の皇軍の兵たちだよ」

「だが、その兵とやらは何処にいると言われるか」

 クッ、と大佐の咽喉の奥が鳴った。笑ったのだ。

「今、召集をかける」

 まるでその言葉に導かれるように、少女はゆっくりと祈りの声をあげた。

 祝詞だろうか。

 独特の節回しと言葉で紡がれる彼女の声に応じて、黄昏時の戦場に幾つもの影が揺らめく。

 次々と現れて血のような残照に身を赤く染めるその姿は紛れもなく日本軍の兵士たちであった。

 その姿を見て、誰かが絶叫した。

「ば、馬鹿な……!?あれは歩兵第六四聯隊だぞ!?」

「なにぃ……!?そんな筈はあるか!第六四聯隊は壊滅状態に陥ったばかりだぞ」

 だが、居並ぶ兵士たちの前に翻っているのは紛れもなく、聯隊長の自決と共に敵に奪われるのを恐れて焼却した筈の聯隊旗であった。

「た、大佐殿……これは……」

 蒼ざめた顔で尋ねる片山支隊長に大佐は笑ってみせた。

「これは軍機に相当する話だ。この場限りにしてもらいたい」

「ハッ」

「我々は独自の研究により、死せる兵士の復活に成功した。反魂という。今はまだ不完全ではあるが、この反魂の力が完成した暁には、我が皇軍は兵の損耗を恐れず戦い続けられる無敵の軍隊となる」

 まるで、白昼夢にうなされるかの如く、片山たち支隊の要員たちが呆然と見守る中、大佐は現れた兵士たちを振り返り、傲然と告げる。

「これで心おきなく戦えよう!貴官は兵たちが傷つき倒れる事を恐れる必要はないのだ!進め、片山!ここにいるのは七(たび)蘇り国に報いる不滅の兵士たちだ!もし武運拙く貴官らが戦地に斃れるとも、この乙女が再び貴官らに銃を執らせて、武人の本懐を遂げさせるであろう!」

 慄然たる想いに囚われながらも、片山はその実質的な突撃命令を拒む事はできなかった。

 既に戦略的な敗北を喫したとも見做されかねないこの戦いで、多くの指揮官たちが戦死し、或いはその責めをとって自決を余儀なくされた。

 このまま劣勢のままに戦いが終わってしまえば、たとえ彼が生き残ったとしても遠からずその責の一端を押しつけられるであろう事は片山にも容易に想像がついた。

 元より彼には前進以外の選択肢は残されていなかった。

 片山は覚悟を決めて、夜戦の準備を部下達に命じた。

 生きる者たちが進んだその後を、死者たちの行進が追いかけていく。青白い顔をしたそれ以外はまったく生者と変わらぬ質感をもった兵士たちの群れは足音と砂埃さえあげて進んでいく。

 先の友軍将校の指摘のとおり、彼らはつい先月、ソ連軍の八月攻勢により大打撃を受けて壊滅した歩兵第六四聯隊の兵士たちに他ならなかった。



 その日から二日間に渡って繰り広げられた猛攻の結果、日本軍片山支隊は対峙するソ聯軍第603狙撃兵連隊を退けた。9月16日の日ソ両軍の停戦発効時にはハンダガヤの実効支配権は日本のものとなっており、この地域の国境線の確定に際して日本に有利に働きかける事となった。一方でこの戦いの結果に衝撃を受けた日本はソ聯強しとの認識を新たにし、当時大いに議論されていた対外伸張戦略の内、北進論を封殺して対米英戦となる南進論に拍車をかけていく事となる。



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