5、魔女たちの大釜は煮えた(その11)「戦後処理」
敵の兵士たちは最後まで抵抗をやめなかった。
狭い廊下を挟んでの射ち合いを制したみづきの下に、ヨタヨタと階段を昇ってきた哲が声をかける。
「みづきさん…」
敵兵に向けて悲しげな表情を浮かべていたみづきが、彼を一瞥する。斃れた敵の兵士に与えていたほどには優しくない眼差しだった。
「門倉、無事か」
哲が頷ける筈もなかった。階段を転げ落ちたのだ。
「体中痛いよ。階段から突き飛ばされてさ……くそ、阿波野さん、なんて事するん……だ……」
恨み骨髄の眼差しで階段から突き飛ばした恋敵を探していた哲の目が、一点で止まる。
「…………あ」
阿波野は倒れ伏していた。血溜まりの中に沈んだまま身じろぎ一つしない彼の体に穿たれた銃創から夥しい血がなおも溢れ続けて床を汚している。
「――阿波野班長殿」
みづきが、その阿波野に近寄る。ゆっくりとその体を起こす。
暫く目を閉じて天を仰いだ後で、みづきは阿波野の体を壁にもたれかかるように座らせた。
軍刀を抜き、祈るように眼前に立てた後で振り下ろす。まるで物語の騎士のような所作だと哲は思った。
それっきり、踵を返して少女は哲を見やる。その顔に一切の感情は感じられなかった。
「行くぞ。敵を追う」
「で、でも、阿波野さんが……」
「あぁ、尊敬すべき武人だった―――いずれまた、靖国で逢える」
彼女が仇を取るべき敵はすぐ近くにいた。
追跡に哲の目を借りるまでもなかった。傷ついた敵の残した血痕が彼女たちの行き先を黒々と示していた。
兵士たちを先頭にして、みづきは暗い教室に足を踏み入れる。敵の気配は濃く残っているが、その姿は見えない。
「哲、奴らは何処にいる」
みづきの問いかけに、哲はちょうど教卓のあたりを示す。
「そこに二人ともいるよ」
指さした瞬間、悲鳴があがる。今や、みづきの目にも姿の浮き上がった少女たちの姿は捉えられている。
「お願い!降参するから命だけは助けて!」
「殺さないで、お願い」
口々に命乞いをする少女たちは身を寄せ合い、泣きじゃくっていた。青ざめガタガタ震える二人を暫く眺めた後で、みづきはようやく口を開いた。
「武器を捨てろ」
少女たちは逆らわなかった。持っていた拳銃をこちらに放り投げてくる。
「お願い、この子、怪我してるの。乱暴しないで」
足と肩口から激しく出血する少女をもう一人が庇うように抱きしめている。その少女にみづきは尋ねた。
「英霊たちを使役していたのはどっちだ」
反応は鈍かった。
「エイレイ?なによそれ?わかんない」
みづきの目が細められた。吐き捨てるように告げる。
「貴様らはそんな事も知らされずに――」
少女たちは、みづきの言葉の意味は理解できなかったが、その憤激だけは理解できたようだ。「ごめんなさい、教わってないの、ごめんなさい」と何度も詫び言を喚いていた。
「もういい。あの兵隊を指揮していたのはどちらだ」
ゾッとするような声で問いかけるみづきに少女たちは顔を見合わせ、おずおずと片方が手を挙げた。
「は、はい。それなら私です」
「そうか」
まったく無造作に、彼女の額に銃口が押し当てられた。
何の躊躇もなく引き金が引かれるその瞬間まで、その場にいる全員が動けなかった。恐らく当の少女自身も、自分の身に何が起きたのか理解できなかっただろう。
ごとり、と少女の体が崩れ落ちる。
驚きの表情を浮かべたまま、額に孔を開けて天井を見上げる彼女の顔は、どうして自分がこんな目にあったのか訴えかけているようだ。
一瞬遅れて、連れの少女の金切り声が響き渡った。
「い……いやあああっ!?」
少女は事切れた友人の体に縋りつき、泣き喚いた。
「ソネっち!?ソネっち!!」
事の次第に動顚したのは哲も同じだった。降参した無抵抗の少女を射殺するなどという残虐な行為を眼前でみづきがとるなんて思ってもみなかった。
腰が抜けて尻餅をつく哲の前で、半狂乱になった少女が傷の痛みを忘れてみづきに食ってかかっていた。
「どうして!?なんで射ったのよ!?」
まるで鬼女の如き凄絶な顔で掴みかかる少女に、みづきは再び拳銃で応えた。銃声が教室に響く。
物言わぬ少女たちと、それを無表情に見下ろすみづきを哲は呆然と見つめた。
「ミ……ミヅキさん!!」
彼女の名を呼んだ声が裏返る。
目の前で二人の命があっさりと消え去った。しかも、それを平然と奪ったのは彼の想い人だ。思考が感情についてこない。
「ミヅキさん!なんでだよ!?なんで射ったんだ!?この子、降参してたじゃない!」
思わず胸倉を掴み、怒鳴る。傷に障ったのか、彼の手の中で華奢な体の少女は苦しげに唸った後で、それでも睨み返してきた。
「ならばなんだというのだ?今は戦闘中だ、捕虜など抱えている暇は無い。投降した敵の生殺与奪は私の自由だろう」
「な……何言ってんだよ!?ミヅキさんおかしいよ!だって、こんなの……ただの殺人じゃないか!人殺しだよ」
その言葉に、みづきがカラカラと乾いた笑い声をあげた。
「何を言い出すのかと思えば、今さらだな」
「ミヅキさん」
「銃や刀で傷つければ、相手は死ぬ。当たり前ではないか。それとも貴様はこれが遊びかおふざけに見えていたのか?」
語りかけてくるみづきが、まるで得体の知れない怪物のように見えた。わからない。どうしてこうも無造作に人を殺せるのか、理解ができなかった。
「でも……だからって……なんで降参した子を射っちゃうんだよ?そんなの、絶対間違ってるよ」
侮蔑の笑みを浮かべた後で、少女はそっと哲の顔を覗き込むように顔を近づけてきた。紫の目が哲を見据える。
「ならば貴様が私を罰するか?やってみろ」
「な、何言ってんだよ?」
「貴様もこの馬鹿どもと同じだ。ろくな覚悟もないままに命のやり取りを遊び程度にしか思っていなかったのだろう?違うか」
「だって僕は」
「僕は知らなかった、だから僕は悪くない。私が悪い――か?平和ボケも大概にするんだな」
「何言ってるんだよ……君が何言ってるかわかんないよ……なんで……なんで……」
「では聞こうか。今まで、私に助力して敵を探してくれたのは誰だ?その貴様が、何故今更のように賢しらぶって私に戦いの愚を説くのだ?」
哲は答えられなかった。滑り落ちた哲の腕をみづきは払い除けた。膝をつく哲を無視してみづきは倒れた少女たちの元に歩み寄った。
茫然と見つめる哲の眼前で、みづきが何かを唱えた。
死者たちを前にして、神様にせめてもの祈りを捧げてるのだろうか。
いや、違う。彼の耳に聴こえてきたのは葬儀の際に教会の牧師たちの唱える聖書の一節ではなく、不気味な抑揚を伴う謎の詠唱だった。
不意に、哲は悲鳴を洩らした。
まるでみづきの詠唱に答えるかのように少女の体が消え去り、代わりに小さな石のような塊だけがそこに残った。
僅かに差し込む月明かりを受けて輝くそれに、哲は見覚えがあった。
以前、園田香月という少女を追いかけていた時にみづきが同じ物を手にしていたのを思い出したのだ。
たしかあの時、みづきは園田香月を取り逃がしたと言いながら、その追撃に執着する事もなく掌にそれを弄んでいた。
その石の正体を哲は今初めて理解した。
血の気を失う哲の眼前で、みづきはそれをまるで愛おしむように目の前に掲げた後で口づけると、そのまま飲み干した。
細い彼女の喉首がコクリと音を立て、嚥下する。
いつの間にか哲は後ずさり、教室の壁に震える体を押しつけていた。みづきが目の前で何をしているのか、本能が理解を拒んでいた。それなのに、彼の内心にある何かが恐怖で歯の根の合わない口を動かして訊いてはならない問いかけを尋ねてしまう。
「ミヅキさん……それ……」
その彼を見向きもせず、少女はぼそりと告げる。
「魂魄だ」
抑揚のない小さな声なのに、静まり返った夜の校舎に彼女の声がはっきりと響く。
まるで己が行為を哲の心に刻み込むように、みづきは言の葉を紡ぐ。
「久那守葉月の呪詛に囚われたこの娘の魂を魂魄縛りの呪法で封じたものだ。やはり紛い物はひどく不味いが、今の私には贅沢も言えぬ」
そう答えてみづきは首に巻かれていた包帯を乱暴に剥ぎ取った。そこにあった筈の傷が消え去っていた。
「……その子を、食べたってこと?」
「その言い草は正確ではないな。元よりこの娘に与えられるべきではない久那守の魂を回収したまでだ。この娘も、七たび繰り返される生き地獄を味わうよりはよほどよかろう」
「今までも、そうやってたの……」
みづきは答えなかった。
尚も何かを口にしようとして、代わりに何かが咽喉の奥からせり上がってきて哲は激しくその場に吐いた。
自分の吐き出した汚物に塗れながら、怯えた目で哲はみづきを見やる。
彼女は哲を見ていなかった。
教室の扉の向こう、そこに密かに隠れていた人物を見据えていた。
「――まだもう一人、そこにいたか」
みづきは銃を構えた。
悲鳴があがる。覗いていた誰かが泡を食ったように身を翻す。
一瞬見えたその姿に哲は心臓が止まりそうになった。
部屋から飛び出した敵を追ってみづきが走る。逃げていくその背中に拳銃の照準をつけたその腕に、哲は食らいついた。
狙いが外れた弾丸が廊下の壁にめり込む。
「邪魔をするな!」
「待ってミヅキさん!射たないで!」
突き飛ばそうとするみづきに哲は必死に縋りつきながら叫んだ。
「知り合いなんだ!あの子、僕の後輩なんだよ!」
二人が揉みあうその隙に、逃走者――今野朝莉は階段の向こうに走り去っていった。




