5、魔女たちの大釜は煮えた(その1)「病院内はお静かに」
門倉哲は眦を決して病院の扉を潜る。
連日の訪問ですっかり顔馴染みになった看護師に面会を告げた後、宿敵の動向を探るのも忘れない。
みづきの周囲をウロチョロとつきまとっているあの男の事だ。
元カレなどではないとみづき本人の口から伝えられて安堵したのも束の間、これまである事ない事デタラメを吹き込まれてきた柚香に抗議した哲は一転して不安に突き落とされた。
「あ~ゴメンゴメン、てっきりあいつら付き合ってたんだと思っててさ~。だっておミヅたち、たった二人きりで一夜を共にしてたこともあるみたいだったし?じゃあ、あれって何をしてたんだろ~ね?」
唖然とする哲に悪魔じみた笑みを浮かべてみせた小学生は、更にこんな事を言ってきた。
「それにさ~?おミヅはあの性格だから付き合う気なんて更々ないとしてもだよ?男の方はどうなんだろうね~?だいたい下心とか恋愛感情なしでそこまでおミヅの周りをウロチョロする理由とかってあるのかなぁ?どう思う?同じ男として」
「そ、それは、だって、元上司なんでしょ?だったら」
「だったら、なに??元なら今は上司でもなんでもないただの他人の筈じゃん?」
真っ青になって頭を抱えた哲は邪悪な顔でほくそ笑む柚香に気づかなかった。
以来、再び嫉妬と疑心暗鬼に狂った哲は、嗾けられるままに再び男への憎悪と敵愾心を滾らせていた。
幸い、例の恋敵はさほどマメなタイプではないらしく、哲ほどにはみづきの見舞いには訪れていない。
けれども不期の遭遇こそ初日の一回きりだが、先だってもみづきの病室には男の物と思わしき見舞いのフルーツ盛りが置かれていたこともあるし、見覚えのない文庫をみづきが読んでいたこともあった。
嫉妬の鬼と化した哲は物量作戦で対抗した。訪問頻度を増やし、毎回ささやかな手土産を持参した。
何かの雑誌に年収1000万越えの敏腕営業マンの特集が載っていた事がある。
その記事によれば、できる営業マンは足繁く顧客の下に通うらしい。訪問頻度は顧客との親密度をあげる効果があるらしく、週三くらいで顔を出せば顧客的には殆んど毎日来ているような錯覚さえ覚えるそうだ。そういえばギャルゲーでも攻略ヒロインは出会うだけで好感度が上がっていくことが多いな、と哲は得心した。
加えて哲はプレゼント攻勢を仕掛けている。
病人に果物盛りなんてベタ過ぎかつセンスが古すぎる。みづきが好きなのは和風きなこドーナッツやあんみつゼリーだ。現にナースの目を盗んでそれを差し入れた時のみづきは俄然として機嫌がよくなる。
更に哲は長引く入院生活に不自由のないよう、汗拭き用のウェットティッシュやブラシ、ハンドタオルなどの日用品もさりげなくプレゼントしてデキる男アピールをしていた。
一度、気を利かせて通販で仕入れた下着を差し入れた時はぶっ飛ばされて二日ほど会ってもらえなかったのも今となってはいい思い出だ。
最高のヒットはマンガだった。父親の蔵書の中にあった、オムニバス形式で凄腕の暗殺者がおよそ達成不能な依頼を達成していく劇画調の長編マンガを手渡した所、当初は馬鹿にしていたみづきも翌日には次の巻を要求してきて、今では哲よりもその漫画の来訪を楽しみにするようになっていた。
そして今日の哲の贈り物は花束だ。なんといっても花を贈られて喜ばない女性はいない。殺風景な病室に可憐な花で彩りを与えれば、哲の株も上がること請け合いである。
鉢植えは根づくからNGとか青色や白色、赤すぎる花はダメとか散りやすいのはダメとかそこら辺も花屋のお姉さんに確認したからバッチリだった。
「いつも熱心ね。こんなボーイフレンドがいるなんてうらやましいわ」
ブーケを見て微笑む看護婦さんの言葉に破顔したのも束の間、哲の心は暗転した。
「そういえば今日は例の男の人、来てるわよ」
恋仇との二度目の会敵であった。
以前、その素性について哲はこっそり聞いたことがあった。返答は「わからない」との事だった。
「元々あそこの病室は使われてないのよ。でも、院長先生の知り合いの人に頼まれてどうしてもって事で入院してもらってるのよ。基本的にはここに入院している事は内緒にして、特別に許可の出てる人だけ会わせていいってことになってて」
「え?なんでですか?」
「その辺りって私たちにはよくわからないんだけどね。院長先生も色々と付き合いが広いみたいだから。それにあのみづきちゃんって子、礼儀正しくておとなしくて手のかからないいい子だしね。……あぁ、あの元カレって人の話だったわね。実際、よくわからないのよ。私たちとは全然話さないし、みづきちゃんも教えてくれないから。たまに来るけど、いつも私服で昼間に来るみたいだからお仕事もわからないしね」
きっと定職にもつかずにブラブラしてるロクデナシに決まってる、と哲は信じている。
いい年して平日の昼間から年下の少女に交際を迫るロクデナシなんかにミヅキさんを渡す訳にはいかなかった。
いざみづきの病室で決着をつけるべく歩き出そうとして、哲は気づいた。
「……あれ?」
それは何気ない、パッと見ただけでは恐らく気づかず見過ごしたであろう些細な違和感だった。
哲と同い年くらいの二人組の少女が受付の前を横切り、病室の方へと歩いていったのだ。病院ならば取り立てて不思議ではない光景ではあろう。
けれども哲はその違和感の正体にすぐに気づいた。
この病院では一般の診療室と入院患者の病室は明確に区切られており、そして入院患者の病室は一見すれば分かりづらい位置に配置されている。外来の患者が決して誤る事はないだろう。そして外部の人間が入院している患者に面会する時は受付でその旨を申し出なければならない。
けれども、来客に対しては目聡く目を光らせている筈の受付の事務員も看護師もニコニコと哲への応対をするばかりで、土足で上がりこんできた二人の闖入者を見咎めなかった。
「いいんですか?勝手に行っちゃいましたけど?」
訳ありなのだろうか、と思いつつも哲は尋ねる。返ってきたのは看護師のキョトンとした視線だった。
「え?何が?」
「いや、ほら、今女の子が二人入ってっちゃいましたけど。受付しなくてよかったのかなって」
看護師が何言ってるんだこいつと言いたげな顔をした後で周囲を窺う。
「え?どこ?」
「あれ、いないな。病室の方に向かってったみたいですよ」
既に遠くに歩いていってしまったのか、少女たちの姿は見えない。
身を乗り出して病室の方を見やっていた看護師が、苦笑を浮かべた。
「も~、やめてよそういうの。お姉さん今日夜勤なんだから脅かさないでよ」
「え?」
どうやら真昼の怪談話と受け取られてしまったらしい。哲は頭を掻く。何かの見間違えか、勘違いだったのだろうか。
とりあえず、どう見ても中年に差し掛かった看護師さんが自分をお姉さん呼ばわりした事についてツッコむ事だけは自制した。
みづきとの再会と、恋敵との再戦の両方に気持ちを昂ぶらせながら廊下を歩く。途中、キョロキョロと病室を覗いて回っている二人組の少女を再び視界に収めた。
病室の扉を開け、あからさまに怪しい仕草で室内を覗き込んでいる少女たちの事を看護師に報せるべきか、それとも見て見ぬフリをするべきか悩んでいると、哲の視線を感じたのか少女の一人が振り返る。
そばかすの目立つ少女と目が合い、哲は困惑しながら声をかけた。
「……ねぇ君、何してんの?」
少女はビクッと身を竦ませ、左右を見回して哲が他の誰でもなく彼女を見やっている事を確認すると、驚愕した表情を浮かべた。
「え?え?……ひょっとして私のこと、見えてる?」
ひょっとして頭の弱い子なのだろうか。
「うん、そりゃ見えるよ。そんな所に立ってコソコソしてたら」
少女は悲鳴をあげた。
「えぇ~!?嘘ぉ!?ウソウソ!なんで見えてるの!?」
「ちょっ、石橋ちゃん何見つかってるのよ!」
相方の少女もギョッとした顔で振り返り、哲を見やる。
「ど、どうしよう、見つかっちゃった」
「どうしようって、知らないよ!とりあえずバックレよう」
ギャーギャー言いながら少女たちは逃げ出していく。
「あ、ちょっと!?」
なんなのだろう。
怪しい二人組の追跡や正体の解明、病院への報告――脳裏に浮かんだ様々な選択肢は、一人の男の出現によって完全に立ち消えた。
阿波野弘毅という名前は柚香に教えてもらっていた。哲が今現在、地球上で最も敵対視している男だ。
どうやら自動販売機で飲み物を買ってきた帰りらしい。その手に二本の缶が握られているのが哲の癪に障った。
男は脇を駆け抜けていく少女たちを眉を顰めて見送った後で、哲にも視線を向けた。
「またおまえか。何してんだこんな所で」
「またとはなんだ!あんたにそんな事言われる筋合いはないぞ」
敵意剥き出しの哲に呆れたような表情を浮かべた後で、阿波野は哲の手許にある花束を見つけて馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「なんだそれ。みづきへのプレゼントか」
「わ、悪いですか!あんたには関係ないでしょ」
睨み返して声を荒げた途端、男たちは通りがかった看護師に「廊下で騒がないで」と怖い顔で窘められてしまった。




