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幕間「戦場夢想」

 肌を刺すような強烈な日差しが真夏のインド洋に降り注ぐ。波打つ海面に照り返された陽光は容赦なくそこに存在する者たちの肌を焦がし、キラキラと輝いている。

 抜けるような青空と透き通るような碧色の海が水平線の彼方で混じり合う一方で、目を転じればそこに連なる無数の島々が、白い砂浜や生い茂る熱帯雨林、その狭間に点在する集落などの多様な顔を覗かせている。

 これがバカンスで訪れたならば、そして乗り込んだ船が豪奢なクルーザーならばどれだけ心が洗われる光景だろうか。

 だが、轟々たるエンジンの音と共に波濤を蹴散らし突き進むその船は、船型シルエットの美しさでいえばある種の男性的な感性に強く訴えかける優美さこそ持ち合わせていたものの、その用途は余暇の遊覧とは対極的な位置にある目的の為に存在しており、また乗り込む者たちも余暇を楽しむ心の余裕など微塵も持ち合わせていなかった。

 その艦尾に翻る旭日旗が示すとおり、そのフネは日本帝国海軍所属の軍艦であった。

 駆逐艦「夕霧」。「朝霧」型駆逐艦の三番艦である。対水上、対空、対潜全てに対応した装備を持ち、また後部格納庫には哨戒ヘリを搭載する汎用型の駆逐艦であった。

 その就役以来、幾多の出撃を繰り返してきた歴戦のこの武勲艦が遠い南洋の海に姿を現している以上、その任務が実戦以外の如何なるものでもあろう筈がなかった。

 彼女のいるスマトラの沖合いからさほど遠くないマラッカ海峡を東に航海中だった貨物船「マーキュリー」号が突如、通信を途絶したのは今日未明の事であった。航空機による捜索の結果、「マーキュリー」号は海賊グループによるハイジャックを受け、進路を変えて逃走中である事が判明した。

 1990年代末に起きたアジア通貨危機以降、このマラッカ海峡における海賊被害は増加の一途を辿り続け、2000年代初頭の今現在、船乗りたちにとって世界でも危険な海域の一つと見做されていた。

 かねてよりインドネシア政府の要請に伴い、周辺海域で対ゲリラの作戦行動中だった「夕霧」に、現地司令部を通じて海上護衛総隊司令より「マーキュリー」号の奪還と海賊の排除の命令が下されたのは事件発覚から四時間あまりが経過した頃だった。

 海賊に奪われた「マーキュリー」号に最も近い海域で作戦行動中だった軍艦の中では「夕霧」が最も強力であり、そしてハイジャックされた「マーキュリー」号は日本の海運会社が運航する船であったからだ。

 その奪還方法は極めて単純明快なものだった。「夕霧」に搭載している哨戒ヘリ「海梟」に乗り込ませた兵士を直接「マーキュリー」号に送り込み、海賊を制圧するというものだった。

 敵の兵力や装備も定かではない状況下で選択する作戦としてはいささか強引かつ杜撰とも思われる内容であるが、それには理由がある。

 「夕霧」は、その日の日没を期して開始されるインドネシア軍との共同のゲリラ掃討戦に参加しなくてはならなかったのだ。海賊にかかずらっている時間はさほど彼らには与えられていなかった。

 艦尾に設けられたヘリ甲板では、格納庫から引き出された海梟が発進準備を整え、同時に急襲用の兵員が今まさにヘリに乗り込もうとしているところであった。

 機体に乗り込んだ兵士たちの姿は少なかった。元より「海梟」の搭載可能な兵員数はパイロットたちを除き八名程度だ。一個分隊にも満たない人数である。

 だが、実際にヘリに乗り込んだのはその半数にも満たない僅か三名の兵士たちであった。

 驚いた事に、その内の二名までもが小柄な女性であった。

 さすがに不安を覚えたのだろうか、彼らの上官らしき迷彩服姿の曹長が近づき、ヘリのローター音に負けないように大声を張り上げた。

「阿波野!やはり一人増やすか?近接戦闘だったらは威力を発揮するぞ!」

 ヘリの後部座席に腰を下ろしていた伍長が上官の声に首を左右に振った。海軍陸戦隊仕様の戦闘服の胸元に縫いつけた名札には「一〇八特攻・阿波野」の文字が見える。

「大丈夫です、乃木曹長!編入したての新兵に余計な負荷はかけない方がいいでしょう。史奈乃は今晩の戦闘に集中させてください!それにこちらにはみづきがいますから!」

 男たち二人の視線を浴び、全身を覆う迷彩服に防弾着、鉄兜に埋もれるように座席に腰をかけていた少女がそっと顔をあげて眼鏡越しに彼らを見つめ返した。

 曹長が安心させるように笑みを浮かべて彼女に声をかける。

「……そうだな。おまえがいれば充分か。頼むぞ、小笠原」

「はい、班長殿」

 少女の返答はヘリの轟音に掻き消されてろくに聞こえなかった。代わりに、彼女の隣から不満げな大声が響く。

「ちょっとぉ!なんでおミヅだけに言うのさ!?あたしは!?あたしを無視しないでよ!」

 日焼けした顔に憤懣やるかたない感情を露わにして大声で喚くもう一人の少女に曹長は苦笑を浮かべてみせた。

「勿論お前もだ、森本!さっさと片づけて昼飯までに帰ってこい!今日はカレーだそうだ」

「了解!間に合わなかったらあたしの分ちゃんと残しててね?大盛りで」

 海梟の乗員がハッチを閉じた。機内の騒音が幾らか軽減される。

 ローターが回転を増し、ヘリは空へと舞い上がる。見下ろす窓の外に居並ぶ曹長たちの敬礼に見送られながら海梟は一路北へと機首を向けて飛行を開始した。

 機内無線を通じて阿波野軍曹が少女たちに話しかけてくる。

「よし貴様ら、念の為に今一度、突入の手筈を確認するぞ!ユズ、ちゃんと聞いておけよ」

「聞いてるじゃん!もぉ、うるさいなぁ」

「海賊どもに乗っ取られたのはパナマ船籍の貨物船マーキュリーだ。現在、マーキュリー号は進路を変えてアチェ方面に向かい航行中だ。乗組員たちの状況は不明。海賊の人数及び武装も不明。現在、インドネシア海軍機が触接しながら監視中との事だ」

 阿波野の取り出した地図を少女たちは覗き込んだ。

「俺達の目的は簡単だ。海賊の殲滅、ついで囚われた人質の解放。この順番だ。まず機上からの制圧射撃の後に甲板に懸垂降下し制圧する」

 少女の一人――森本柚香が手を挙げた。

「班長殿ぉ、人質の解放を優先しないでいいの?」

「助けられればもちろん助ける。だが時間をかけていては逃げられてしまう」

 今度は小笠原みづきが尋ねてきた。

「使用兵装は?」

「船を轟沈させない程度に片をつけるぞ。貴様らが大暴れして船を沈めてしまっては元も子もないが、船体が孔だらけになる分には、まぁ政府が何がしか補償するだろう……他に質問は?よし、じゃあ海賊どもに日本オレたちの羊に悪さをしたらどんな目に遭うか教えてやれ!」

「「了解!!」」 

 少女たちの声に合わせるように、ヘリが降下を開始した。

「機長より分隊長へ、これから接敵を開始する!当初、目標の周辺を飛行して脅威の度合いを判別してから機銃掃射を実施、その後、接近して貴官らを降ろす。いいな?」

「了解、制圧射にはうちの娘も参加してもいいか?」

「それはかまわんが、振り落とされないように気をつけろよ」

 眼下には既に目標の貨物船が見えていた。

 甲板に数名の人影が見える。手に自動小銃を持っているのが見えた。不意に、その内の一人が何か筒のような物を構えてこちらに向けたのが見えた。

「機長!噴進弾だ!射ってくるぞ!」

 阿波野の声に機長が反応した。操縦桿が倒され、機体が急旋回する。機内が激しく揺さぶられ、少女の悲鳴があがる。

「射ってきた!九時方向……逸れる!大丈夫です!」

 窓の外を睨んでいたみづきが叫ぶ。海賊が放ったRPGのロケット弾が煙を吐きながら蒼空に飛び去っていく。他の海賊たちもライフルをこちらに向けて放ってきた。

「くそっ!こちらも反撃するぞ!」

 機長が叫ぶ。

 機付乗員の上等兵が窓を開け、搭載された機関銃に取り縋る。機内に強風が吹き込んでくる。機載された七四式機関銃が無数の空薬莢を撒き散らしながら船の甲板を叩く。

「ユズ!おまえも射てるか!」 

「めんどいからロングランスぶっ放していい??」

「船ごと沈めるなよ?機長、これより特殊弾で甲板を一掃する!こちらの森本兵長の誘導に従ってくれ」

「そこの上等兵、射ち方待て!ちょっとどいて」

 機銃を放っていた兵士を押しのけるようにして森本柚香が窓の外に顔を出す。階級こそ一つ上だが、明らかに自分より年下の少女に命令され、上等兵は怪訝そうに彼女を睨んだ。

 柚香は開け放たれた窓の桟に掴まりながら機内無線を入れて機長に呼びかけた。

「あ~あ~、機長さん聞こえる?ちょっとだけこのまま進路固定してちょうだい?オッケェ、宜候ヨウソロ――発射!ありがと!もう動かして大丈夫だよ!」

 柚香が顔を引っ込めて自分の座席に引っ込んでいく。目を閉じていただけで何もしなかった少女を怪訝そうに見やった後で再び上等兵が機銃に取りつく。

 彼が甲板に向けて再び照準を合わせたその瞬間、甲板上で爆発が起きた。

 大音響と共に甲板上に巨大なクレーターが誕生し、近くにいた海賊たちが吹き飛ばされていた。

「バカヤロ、ユズ貴様!コンテナが一つ吹き飛んだだろうが!クソッ!機長!今のうちに機体を船に寄せてください!」

 阿波野の声に機長が海梟を操る。生き残りの海賊目がけて機関銃が7.62ミリ弾を叩き込む。ヘリが貨物船の直上に到達した所で上等兵がロープを三本投げ落とした。

 阿波野たちがロープを素早くハーネスに通し、窓際に立つ。

「御武運を!」

 上等兵のGOサインと共に三人は一斉に虚空に身を投じた。ロープを掴む手袋が摩擦で熱くなる。見る見るうちに甲板が迫る。

 真っ先に甲板に降り立った阿波野がロープを外して八九式小銃を構えると、残存する海賊たちの頭を抑えるように連射を加える。

 その彼の横を兵士たちが駆け抜けていく。

 みづきが召喚した日本兵の英霊たちである。阿波野たちが僅か三名の兵力で突入作戦を決行した理由がこれであった。

 いくら半世紀以上昔の装備であろうが、突然現れた精兵たちの吶喊に、海賊たちが対応できる筈もなかった。

 亡霊たちを加えて、今や中隊規模にまで膨れ上がった阿波野たちが船内を制圧し終えるまで30分もかからなかった。

 船室に鍵をかけて閉じ籠り抵抗を試みた海賊たちも、敵の少女たちが無尽蔵に仕掛けてくる爆薬を前にしては、なす術がなかった。

 13名いた海賊たちは全て射殺され、「マーキュリー」号は事件発生から6時間で解放された。乗員の犠牲は襲撃時と交戦の巻き添えで殺された四名だった。

 船の奪還と人質の解放を報告した後で、阿波野たちは些か引き気味にその戦闘を機上から見守っていた海梟のパイロットたちにより回収された。

 まるで化け物でも見るような目つきの機付き兵の視線を無視しながら、阿波野は部下の少女二人に睡眠を含む休息を指示した。

 「夕霧」に帰還して数時間もすれば、この哀れな少女たちには今度は見知らぬ島の密林の中でゲリラとの戦いが待っているのだ。

 内心で彼女たちの境遇への同情を覚えながらも、阿波野はその不幸から少女たちを救い出す事などできなかった。

 常に国家として存亡の危難と隣り合わせの道を歩み続ける彼の祖国にとって、彼女たち者の存在こそがそれを免れる為の唯一無二の武器に他ならなかったからだ。

 そうであるならば、彼女たちを戦場で消耗し尽くすまで使い潰す以外の手段など、彼らが選択しうる筈もなかった。




  暗い病室で小笠原みづきは目を覚ました。

 夢を見ていた。

 あれは何時いつの頃の何処どこの戦場での出来事であっただろうか。

 マラッカの海賊被害が続発し、今は大破して廃艦となった「夕霧」に乗り込んでいたのを思えば十年ほど前の対ゲリラ作戦の頃の夢だろうか。

 人生の回数と年齢と戦歴が錯綜しすぎていて、いちいち過去の戦場を思い返すのは億劫だ。

 久那守葉月の呪詛に囚われた少女は死ねない。魂が磨耗して消滅するまでこの世に戦禍を広げ、死と破壊をもたらし続けなければならない宿業を負う。

 ましてや彼女は自ら願ってその運命を受け入れたのだ。

 荒ぶる祟り神の代行者として、そして水漬く屍や草むす屍たちの鎮魂を為す血まみれの巫女として、彼女自身が滅びるまで戦い続けなければならない。

 だが、今は休息が必要だった。

 生身の体は、与えられた力に比して恐ろしく脆弱だ。今はそう遠くない未来に起きるであろう次なる戦いに備えて少しでも傷ついた体を癒さなければならない。

 再び訪れた微睡みの糸を手繰り寄せ、小笠原みづきは再び夢の中へと戻っていった。

 たとえ次に視る夢幻の世界がどれほどに凄惨な戦場であっても、小笠原みづきにとってはまさにその生々しい記憶こそが彼女にとってこの世に生きてきた証であり、彼女とこの世を繋ぎとめる絆に他ならないのだから。


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